「三浦雄一郎とその挑戦を支える仲間たち」では、ここまでは日本人のメンバーだけご紹介してきましたが、この第10弾は、エベレスト登山において欠かすことのできない現地ネパール人、サーダーのペンバ・ギャルゼン(Pemba Gyalzin)さんをご紹介します。

なお、通訳はウェックトレックの稲村道子さんにお願いいたしました。

$CarZoo Blog - Challenge is my life.

(久保)ペンバさんは、サーダー(シェルパ頭)と呼ばれていますが、そもそもサーダーとは何ですか?

(ペンパ)全般を見るのですが、皆さんがうまく行くように全てをコントロールして、もちろん高所に行くシェルパのこともお客さんのことも全てがうまく行くように自分がコントロールし、それらを見ていくことが私の仕事です。

(久保)ちなみにペンバさんがこの遠征隊でコントロールしているスタッフの数というのはどのくらいいるのでしょうか?

(ペンバ)ネパール人はキッチン担当も含めて19人です。

(久保)サーダーの役割としてもっとも難しいこととは何でしょうか?

(ペンバ)一番心配なのはアイスフォール(筆者注:ベースキャンプとC1の間)を越えて、その後のルート工作も含めた部分で、ときどきルートが壊れていたり、あるいは雪崩があったりなどするので、常に状況がどうであるかを注意しなくてはなりません。

(久保)ペンバさんは、三浦さんのプロジェクトに関わるのは初めてなのですか?

(ペンバ)トレッキングと遠征を含めて5回目になります。三浦さんとの遠征は2回目です。

(久保)ペンバさんから見て、三浦さんというのはどういう人だと思いますか?

(ペンバ)とてもいい人で、とても優しい人ですし、まるで僕のお父さんみたいな感じでとてもいい人です。

(久保)この三浦さんの挑戦が成功した後に、ペンバさんご自身が挑戦したいことや夢などがあれば教えて下さい。

(ペンバ)今は、三浦さんが成功することだけを希望していますし、まだ自分自身の先のことまで考えられません。

(久保)最後に、日本人の小学生の子どもたちにエール、メッセージをいただけますか?

(ペンバ)子どもたちには、大きくなって身体が強くなったら、三浦さんのようにチャレンジのできる人になって、夢を持って何度も何度も挑戦してもらいたいです。子どもたちにはぜひ頑張ってほしいと思っています。

ペンバさんはサーダーというシェルパのトップにありながら、全く偉ぶることなく、気は優しくて力持ちという方でした。私たちの滞在中はシェルパの多くがルート工作のためにC4まで上がっていてベースキャンプのシェルパが手薄だったこともあり、食事やお茶の提供なども献身的にしてくれました。

しかし実はペンバさんは、エベレストに既に10回も登っている強者でもあります。ペンバさんに限らず、優しさに覆われた強さを持っているのがシェルパたちだというのが、今回のトレッキングを通じて私自身が肌身で感じた印象です。

三浦さんのチャレンジを支えるシェルパたちの存在は、登頂のために欠かすことができません。一人の成功の裏に、日本人・ネパール人を含めたチーム全員の力があることに想いを馳せながら、三浦さんの応援をしていきましょう!
「三浦雄一郎とその挑戦を支える仲間たち」の第9弾は、ミウラ・ドルフィンズHP上の遠征隊メンバーリストには載っていない「裏キャラ」というと失礼にあたるかもしれませんが、遠征隊に同行している産経新聞社のカメラマン、早坂洋祐(はやさかようすけ)さんをご紹介します。

$CarZoo Blog - Challenge is my life.

(久保)早坂さんは産経新聞のカメラマンということなのですが、三浦さんの挑戦において、どのような役割を担っているのでしょうか?

(早坂)メディアとして隊に同行して、三浦さんの様子をリポートすることです。産経新聞(創刊80年)と三浦雄一郎さん(80歳)が同い年であるというご縁があり、三浦さんの挑戦を取材しています。当初は記者と2人で同行していたのですが、現在は私だけが残って取材していますので、写真を撮るだけではなく記事も書いています。

(久保)こうして遠征隊に同行しているとき以外は、どのようなことをされているのですか?

(早坂)ふだんは、ニュース全般を扱っています。事故も、経済も何でもやります。3.11以降は震災関連などの取材もよくしていました。山とか風景とかの写真も撮りますが、実は山の写真を撮り出したのは会社に入ってからなんですよ。

(久保)そういう早坂さんが、どのようなきっかけで三浦さんへの同行取材担当に選ばれたのですか?

(早坂)実は2008年の遠征の際にも同行しているんです。そのときは産経新聞も三浦さんも75歳というご縁で(笑)。私が選ばれたのは、一番動けるカメラマンだったからだと思います。学生時代にチベット側のベースキャンプに行ったことがあったり、日本の山にも登っていましたしね。

(早坂)それ以降も、三浦さんの同行取材を何度かしてきましたので、今回もその流れで私がここに来ています。

(久保)今回の三浦さんのチャレンジをメディアとして取材している、早坂さんご自身にとってのチャレンジとは何でしょうか?

(早坂)2008年も同行していますので、前回と違う写真をいかにとるかということがチャレンジです。同じ時期に、同じ場所に来て、同じ被写体を狙っているわけですから、普通に撮っていたら同じものになってしまいますので、時間帯や目線を変えるなど、いろいろ工夫をしながら撮影をしています。

(早坂)もう一つのチャレンジは、写真を撮るだけではなく記事も書いているので、記事の中での写真の使い方、構成も考えて必要な写真を撮るようにしています。

(久保)早坂さんにとって三浦雄一郎さんというのはどのような存在ですか?

(早坂)「憧れ」ですかね。あと、被写体としてとても面白い。これは三浦さんに限った話ではなくて、三浦ファミリー自体が被写体としてとても面白いです。本当に楽しいファミリーですよね。

(久保)何か具体的なエピソードがあれば教えてもらえますか?

(早坂)そうですね~、昨年三浦さんたちのトレーニングに同行して剣岳に行ったのですが、三浦さんは12時間ですよ、12時間同じペースで歩き続けているんです。本当にすごかったんです。ところが写真を撮って、その話をしたら社内で疑われまして・・・。「その写真は豪太さんじゃないのか」とか。でも豪太さんは別に写っているから、三浦さん以外にはありえないのに・・・。それでもなかなか信じてもらえませんでした(笑)。

(久保)そういう普通じゃない三浦さんに同行する早坂さんもきっと普通じゃないと思うんですが、早坂さんは何でカメラマンになったんですか?

(早坂)私は小学生のときからカメラマンになりたかったんです。高校時代も写真部でした。旅行が好きで、カメラも好きで。そうこうしているうちにカメラマンになっていました。

(久保)最後に子どもたちに一言メッセージをお願いします。

(早坂)「見たいものがあったら、どんどん見に行け!」

プロのカメラマンとして、日本中そして世界中を飛び回っている早坂さんだからこそ、自分の足で、自分の目で確かめることの大切さ説く言葉には説得力がありました。

東京コミュニティスクールの子どもたちに報告をした際に、このブログで使っている写真を見せたのですが、早坂さんのサービス精神が見事に伝わって、何台カメラを持っているのかが話題になりました。人に伝える仕事をしている人は、自分が被写体となるだけでも伝えることができるものだと、思わず感心してしまいました。

実は、この一連のインタビューをするときに念のため音声録音もしていたのですが、帰国して早坂さんの音声データだけが消失していることに気がつきました。ご迷惑をかけないように早坂さんのインタビューを掲載しない選択肢もありましたが、やはり三浦さんのチャレンジを支える仲間の一人として早坂さんをご紹介しないわけにはいかないと思い、この記事だけは、私のメモと記憶だけで作成しました。表現方法や事実関係について問題があれば、そのときに訂正するということで、早坂さん、お許しくださいね!
「三浦雄一郎とその挑戦を支える仲間たち」の第8弾は、総合サポートの三戸呂拓也(みとろたくや)さんをご紹介します。

$CarZoo Blog - Challenge is my life.

(久保)まずは、三戸呂さんが三浦隊の一員としてどのような役割を担っているのかを教えてください。

(三戸呂)肩書きとしては「総合サポート」ということで、ベースキャンプではマネジャーの五十嵐さんのサポートとして隊全体のマネジメントを支えるのが役割で、さらに私はキャンプ2(6500m)まで上がって、登攀サポートも行ないます。登っているときにヘルプをするというのはもちろんのこと、本隊がキャンプ2より上に上がっているときに何かがあったときには、中間キャンプ・連絡所として、ベースキャンプと連絡を取りながら危機回避をしたり、許される範囲で自分自身が上に上がって救助に行ったりするなどの可能性もあります。

(久保)いつから山をやってきたんですか?

(三戸呂)部活としてやり出したのは高校生なんですけれど、大学でも山岳部に所属していて、海外登山も機会があって最近はよく行くことがあります。去年も平出和也さんと一緒に2つ山に挑戦してきました。

(久保)普段はどんな仕事をされているんですか?

(三戸呂)それまではずっとミウラドルフィンズのスタッフとして時間給で働いていて、低酸素室という施設の管理運営をしていました。去年の秋に平出さんとの遠征から帰ってきた後は、この遠征までは契約社員として遠征の準備に携わっていたのと、引き続き低酸素室を任されていました。

(久保)この後は、どうなるんですか?

(三戸呂)さぁ~、どうなるんでしょう?(笑)わかりませんけど、それまでもずっとミウラを手伝いながらフラフラしていたので、またそういう生活に戻るのかもしれませんね。

(久保)三戸呂さんが一番やりたいことって何なんですか?

(三戸呂)実は、私は1年間ほど中学校で教員をやっていたことがありまして、教員をもう一回しっかりやりたいなという想いを持っています。ただ、こういう登山の機会をいただいて、誰でもできないような経験をさせてもらっているので、自分がしっかりと登山に踏ん切りをつけてからチャレンジしようと思っています。

(久保)今回、三浦隊に加わるということも自然な流れだったということでしょうか?

(三戸呂)まぁいろんな縁があって、ミウラを手伝い始めたのが3~4年前からなんですが、そのときから三浦雄一郎先生は80歳でエベレストに行くと仰っていて、実現するかどうかはわからなかったんですが、もし実現されるのであればお手伝いをしたい、あわよくば一緒に登山をしたいなと思っていました。

(三戸呂)ただ自分の中だけで思っているのではなくて、仕事を手伝いながらも、自分の登山経験を積むことで無言のアピールをしていました。

(久保)ちなみに今まで一番高い山って、どこに行かれたんですか?

(三戸呂)登頂できたのはカザフスタンにあるハンテングリという山で標高7010mで、ピークとしては一番高い山です。でも先日それよりも高いLower C3(7100m)にもタッチしてきていますし、また登頂はできていないんですが、もっと高いところまで行ったことはあります。

(久保)では今回、三戸呂さんご自身にとってのチャレンジとは何ですか?

(三戸呂)まずはどういったことであれ、登頂にこだわらず成功というものがあると思っています。それは終わってみないとわかりませんが、そうなったときにその成功に対して一つでも役に立つことだと思っています。意味のあるサポートが自分でも残せれば、それが価値なのかなぁと思います。

(久保)それが何だか見えていますか?

(三戸呂)そうですね。今のところあまり上に行けていないので、上に行ってからのことは後から多少見えてくると思うんですが、ベースにおいては、拍子抜けの答えかもしれませんが五十嵐さんに「いてもらって助かった」と思ってもらえることだと思っています。

(三戸呂)標高とか、場面場面によって、自分が必要とされるサポートというのは変わってくると思うので、それは今からも考えてはいますが、そのときに必要に応じて動けて結果を出せればと思います。

(久保)三浦雄一郎さんというのは三戸呂さんにとって、どのような存在ですか?

(三戸呂)まず僕の中で三浦家の最初の印象は、自分が長野県出身なので、オリンピックに出ていた豪太さんなんです。その人のお父さんが、こういう冒険を続けていて、すごい人なんだなという漠然としたイメージだけだったんです。

(三戸呂)まずは、それこそテレビとか新聞でしか見たことのないそういった人と、何かができるだけで嬉しいというのもあるんですが、一緒に生活や行動をしていて思うのは、人の生き方というのはいろいろなたとえられ方をすると思いますが、三浦雄一郎という生き方があると感じたんです。それは豪太さんともまた違っている。自分がそうなりたいかというとそうは思わない。ただ心の底から応援したい存在なんです。

(久保)最後に、子どもたちにメッセージをお願いします。

(三戸呂)ひとつは「頑張っていたら、誰かが見てくれている」ということ。誰かに見せるために頑張るというわけではないですけれども、無駄な努力というのは絶対にないと思っていて、夢とか目標とか、そういう大きなものではなくても、自分がこれに向けて何か頑張ろうということは決して無駄にならないということ。

(三戸呂)あとは、自分の気づかないところでたくさんの人が支えてくれていると思うんですが、それになかなか気づくことができないので、できることとして、日頃の挨拶とかお礼とかをちゃんとする意識を持ってほしい。人に誠意を持つとかいうと難しいかもしれませんが、少なくともそれが子どもでもわかる第一歩だと思います。

「実際にできているかって言われるとわかりませんけどね」と苦笑いをしながらお話しされていた三戸呂さん。「自分は小学生の頃からへそが曲がっていて、今も性格は基本的に変わっていない。でも性格は変わらないけど増えると思っていて、そのおかげで最近は対応力が多少出てきたとは思います」と冷静に自分自身を見つめることができる三戸呂さんの、誠実なお人柄がインタビュー中もずっと伝わってきました。

実はこのインタビューの直後、体調を崩されて翌日も治療・休息をしていた三戸呂さん。たぶんインタビュー中も不調を感じていたに違いありません。そんなことはおくびにも出さないで、笑顔でインタビューに答えてくれた三戸呂さんのお心遣いに心から感謝しています。
「三浦雄一郎とその挑戦を支える仲間たち」の第7弾は、2008年には三浦雄一郎とともにエベレストの頂に立ち、今回もベースキャンプ・マネジャーとして三浦隊を支える縁の下の力持ち、五十嵐和哉(いがらしかずや)さんをご紹介します。

$CarZoo Blog - Challenge is my life.

(久保)ベースキャンプ・マネジャーというのは、どのような役割を担っているのでしょうか?

(五十嵐)遠征と言ってもわかりにくいかもしれませんが、要はここエベレストベースキャンプに来るまでに、装備や食糧、各隊員が着るウェアなど、東京で揃えなくてはならないものがありますので、まずはじめに今回のエベレストの計画を三浦先生やゴンちゃん(豪太)と一緒に東京で立案します。何日くらいかけて(高度)順化をどのようにして、その後何日くらい休んで、何日にアタックするか、そのためには東京を何日に出発するかというおおよそのスケジュール・タクティクスに基づいて食糧の分量などを決めていきます。

(五十嵐)そして各スポンサーに頼めるものは頼んで、頼めないものは買い出しリストを作ります。

(久保)実際にスポンサーに頼める部分と自分たちで買い出しをする部分というと、比率的にはどういった感じなんですか?

(五十嵐)う~ん・・・、半々くらいですかね~。好みもありますし、東京で買うものも、カトマンズに預けてあるものなど、かなり地道な計算を積み重ねて準備します。

(五十嵐)装備も同様で、テントだったら一番トップから行くとC5でする1泊にどういうテントを持って行くのか、何人アタックに入って、メンバーの分とシェルパの分合わせてどれだけテントが必要か、そこで何を食べるかを考え準備します。そこからC4、C3'、C3、C2、C1そしてここベースキャンプまで同様に考えます。さらにトレッキングを何人が何日間やって・・・

(久保)え~、結構細かい計画ですね!

(五十嵐)そう、細かいですね。テントの数だけでも、どういう張り方をするかでも違ってきますし、C2まで何人のメンバーが登るのか、C3に何日滞在するから、その場合C2のテントは1人一張りなのか、それとも2人で一張りなのかによって重量が変わってきます。重量が変わるということは、荷揚げのお金も変わってくるんです。

(久保)ここベースキャンプからの荷揚げは、すべて人ですか?

(五十嵐)そうです。ここからはシェルパが荷揚げをしていきます。

(久保)ちなみにシェルパ1人でどのくらいの重さまで持てるんですか?

(五十嵐)1人が1回に持てる重量は15kgとだいたい決まっていて、今は13kgを1ロード(負荷)としています。それは食事とかもついていて、自分の食糧とか水とかも持っていることを勘案しています。実は、1ロードで13kgを背負う人もいるし、1.5ロード20kg、2ロード26kgを背負う人もいる。それによってペイが変わってきます。

(五十嵐)ペイ自体は、BCからC1までの値段と、C1からC2まで、BCからC2ダイレクト、C2からC3、C3からC4、C4からC5、C5からアタックまで全部違ってきます。

(久保)それがどんどん高くなっていくということでいいんですね?

(五十嵐)そうです。

(久保)それを全部細かく計算するんですよね?

(五十嵐)計算は「ある程度」します。総重量をベースにだいたいシェルパがどのくらいの荷物を持って何回往復するかを計算します。細かい記録はシェルパ頭が毎日つけていて、同様に誰が何日何回行ったという記録を貫田さん(ロジスティクス担当)と私もつけています。それがシェルパのボーナスというか歩合給に反映されるので、そこはきっちりとやっています。

(久保)結構地味ですが重要な仕事ですよね。ただ、五十嵐さんはその他にもいろいろやっているように見えるんですが?

(五十嵐)そうですね、他には、全部の食事の管理もしますし、みんながトイレを使った後の始末はどうするのかなどはSPCC(Sagarmatha Pollution Control Committee)という機関との取り決めで、有料で汚物を回収してもらって山からおろさなくてはならないので、その対応・支払・記録とSPCCへの報告をしています。

(久保)それがベースキャンプ・マネジャーの仕事なのですね。

(五十嵐)僕は2003年も同様のことをして、2008年には頂上に先生と一緒に登りましたが、今回は4人(筆者注:雄一郎、豪太、倉岡、平出)で上がることはもう決定しているし、ここをコントロールする人が必要なので、私がベースキャンプ・マネジャーをしているわけです。

(久保)五十嵐さんは、普段何をされているのですか?

(五十嵐)ずっとミウラ・ドルフィンズにいたんですが、その当時はずっと子どものキャンプとかしていました。冬はスキーで、夏は無人島キャンプとか、川キャンプとか、川下りとか。あとは新谷さん(筆者注:新谷暁生さん。登山家・冒険家、シーカヤックガイド。ニセコ雪崩調査所所長)と知床シーカヤックをやったりしていました。無人島キャンプは23年くらいやっていましたね~。

(久保)今は辞められて、どうされているんですか?

(五十嵐)自分のスキーツアーや、「かぐら」でガイドもしていますし、子どものキャンプなど、アウトドアの企画や運営をしています。

(久保)元々ミウラ・ドルフィンズの方ですから三浦隊に入ることは自然な流れかと思いますが、山は専門だったのですか?

(五十嵐)いえ、僕はスキーヤーです。とは言え、三浦先生とは30年以上ずっと一緒なので、スキーも他の遠征も全部一緒に行動しています。ゴンちゃんも小さいときからずっと一緒で、モーグルも僕自身選手でしたが、その後、ゴンちゃんのコーチになってずっと一緒にいましたし・・・

(久保)本当にずっと一緒ですね!五十嵐さんは、三浦隊にいるのが一番自然な人なんですね。

(五十嵐)そうかもしれないですね。

(久保)ちなみになんでドルフィンズに入ったんですか?

(五十嵐)一番最初はとにかくスキーがしたくて、スキー1本だけ担いで、19歳のときに札幌のテイネまで行って門を叩いたんです。今53歳ですけど(笑)。そのときゴンちゃんはまだ小学校3年生くらいで、雄大が5年生か6年生くらいでした。ずっと一緒に3人でスキーしたり、遊んだりしていました。

(久保)今回、五十嵐さんご自身のチャレンジとは何ですか?

(五十嵐)今までスキーも山もずっと一緒にやってきて、大きな事故も怪我もないんですよ。ちょっとした不注意で指を落としてしまうことも当たり前の世界の中ですし、ほんのちょっとのことで命がなくなる可能性もあるんです。で、今回も高山病とかは少しずつはみんなありますが、例えば怪我をしたり、凍傷になるとかは一切ないんです。ですから今回も同様に、登頂に成功しながらも、三浦隊全体が事故や怪我もなく終われればいいかなと思っています。

(久保)長い付き合いをされている三浦雄一郎さんというのは、五十嵐さんにとってどのような存在なのでしょうか?

(五十嵐)一番のカリスマかなぁ、やっぱり。今まで30年以上一緒にいますが、一緒にいて面白いですし、チャレンジし続けるという姿を見ながら、僕自身もたくさん学び、経験させてもらってきました。これからも一つの過程として一緒にいて楽しい時間を過ごしていきたいですし、この過程はまだまだ続いていくと思います。

(久保)最後に、子どもたちに向けてメッセージをいただけますか?

(五十嵐)ずっと僕も子どものキャンプをやってきて、悪ガキばかり育ててきました。そこで無人島に行ったり、何にもないところに行ったりしている中で思ったのは、「言うことを聞かなくてもいいんじゃないかな」ということなんです。言うことを聞かないくらいの方が元気だし、言うことを聞かないっていうのは自分で考えるってことなので、そういう聞かん坊の方が僕は好きですね。

(久保)ちなみに五十嵐さんはどういった小学生だったんですか?

(五十嵐)魚とりばっかりしていました(笑)

(久保)魚とりっていうのは「釣り」じゃなくて「とり」なんですね?

(五十嵐)そうですね。潜ってもりでグサリと。冬はスキーしてたし、春は山菜採ってたし、秋はキノコ採ってたし。結局、その後そういうのをそのまんまずっとキャンプでやっていたんです。

(久保)じゃぁ、やりたいことをずっとやってきたんですね?いいですね~、他には・・・

五十嵐さんとは、子どもを対象にした学びや遊びをしているもの同士であるせいか、意気投合して、この後も延々と八ヶ岳で「持って来い宿題キャンプ」や魚とりの話が続きました。本当に、子どもや遊びが大好きだということが、ビンビンと伝わってきました。

これからも「きかん坊」を育てるようなプロジェクトをぜひやりたいと目を輝かせる五十嵐さんと話していると、僕自身が「子ども」と話しているような感覚になりました。そこがきっと子どもたちを惹き付ける魅力なんだろうと確信しました。

今回はエベレストの頂には立たないものの、裏方として五十嵐さんが笑顔で仕事をしているからこそ、メンバー全員が安心してこのチャレンジに向き合えるんだと感じました。

五十嵐さん、いつか一緒に子どもの学びと遊びの機会を作りましょう!
「三浦雄一郎とその挑戦を支える仲間たち」の第6弾は、チームドクターとして帯同する紅一点、大城和恵(おおしろかずえ)さんをご紹介します。

$CarZoo Blog - Challenge is my life.

(久保)大城先生がドクターであることはわかってはいるのですが、改めてその役割について教えていただけますか?

(大城)まず、対象はチームメンバー、支えてくれているシェルパたち、たまたま遭遇した現地の人、他の隊も含めて今回エベレストに携わる全ての人、すなわち自分に関わる全ての人に関して、一番は予防、高山病などの予防ですね。2番目は病気などが起きた時の治療や対応をすることです。

(久保)この隊のチームドクターであるけれど、関わる人全てが対象になるということですね?

(大城)他の隊のドクターも全て同じ気持ちでここに来ていらっしゃると思います。 

(久保)普段はずっと山の上にいらっしゃるわけではないと思いますが、何をされているのでしょうか?

(大城)私は心臓の専門医なので、札幌市西区にある北海道大野病院の循環器内科で主に心臓と血管系を診ています。

(久保)ちなみに子どもの頃からお医者さんを目指していたんですか?

(大城)そうですね。私は小学生くらいの時から、母親が病気をして病院に通うときについていったときに好奇心が湧いたのと、人を助けるという仕事自体に憧れがありました。

(久保)ちなみに心臓というか、循環器内科を選んだのも意味があるんですか?

(大城)最初、大学のときは、呼吸器とか血液、免疫とかを学んでいて、心臓ではなかったのですが、私は体全体をアカデミックに診たいという想いがありましたので、そういう学びをするうちに、生死に一番関わるのは心臓とか循環器だということで、循環器の勉強を始めました。なので内科の認定医・専門医、リウマチの専門医、循環器専門医といった形で専門をいくつも持っていて、普通に内科を一般に診るというよりは、一個一個がちゃんと診れないだろうということで勉強しました。

(久保)今回、三浦隊に関わることになったきっかけは何ですか?

(大城)私は山が好きで、以前一人でネパールにトレッキングに来たときに、高山病の人に会いまして、自分が知っている範囲では対応したのですが、もうちょっと山に関わる医学を勉強したいと思って、それを専門に学べるところを探したところ、ヨーロッパにそういうカリキュラムと国際山岳医という制度があったので、イギリスに行って勉強し、その資格を取りました。

(大城)その国際山岳医という資格を取ったのは、私が日本人で初めてだったんです。それで海外のそういったスタンダードの勉強をたくさんできたので、今回声がかかったのではないかと思います。

(久保)大城先生って、「こういうのが重要!」って思ったら、どんどんそっちのほうを勉強して知識を広げていってしまう人なんですね。

(大城)確かに、興味が湧いたことは頑張ろうって思うタイプですね。

(久保)現在、国際山岳医というのは日本に何名くらいいらっしゃるんですか?

(大城)日本でも国際山岳医の制度が始まったので、今は日本で10人くらいはいるのではないでしょうか。だから海外で取るのは私が最後になっちゃうかもしれませんね。

(久保)でも少ないですね。

(大城)そうですね。でもその仕事で食べていけるわけでもないですし、その資格を活かしてというのもなかなか難しいこともありますね。

(久保)ここに来るときに、勤務先の病院からは何か言われなかったんですか?

(大城)私は、国際山岳医の資格を取るときに、大野病院を一回退職したんです。山岳医になるには山にも登らなくてはなりませんし、勉強もしなくてはなりませんでしたので、時間がないから辞めました。それで資格を取って復職するときに、山に行く時間が欲しいから非常勤にしてほしいと頼んだんです。今回は特に、北海道なので、三浦さんに帯同できるなんて言ったら、理事長はたいへん喜んでくれて了解してくれました。本当にありがたかったです。

(久保)なるほど!道産子として、その理事長の感覚はよくわかります。

(久保)大城先生にとって、今回、ご自身としての一番のチャレンジとは何ですか?

(大城)やはり80歳の方が、より安全を高めて登頂できることに関して、まだ医学において未知の部分があって、今回は(登攀リーダーの)倉岡さんというすごく経験のある方がいらっしゃいますから、いろいろ相談しながら、今までなかった方式で登っていくことになります。その方法には賛否はあるとは思いますが、どういう風に実践的に、現実的に、私たちにとって合理的な方法で、山頂を目指すのかということを考えています。

(久保)大城先生にとって、三浦さんはどういう存在なんでしょうか?

(大城)まずは、尊敬できる方ですよね。80歳になって目標を持って、前を向いていかれるというバイタリティは素晴らしいですね。あとは、マイペースなところがカワイイ♡!

(大城)医者が言ったことを全部聞くわけじゃない方だということは、ずっと前からわかっていたことで、こういうことをされる方は自立心が旺盛で、自分の考え方をちゃんともっている方なので、それとこちらの考えをうまく融合させることをいつも考えていて、三浦さんを見ていると、すごく人間らしい方だといつも感じています。

(久保)ありがとうございます。最後に、大城先生から子どもたちに一言メッセージをお願いいたします。

(大城)私はわりと自分のやりたいことは勝手にやってきた人だと思います。小学校の時は親の庇護下にあるというのは、今になって振り返ると、親に嫌われたらまずいんじゃないかという考え方になっていました。それで、親が早く死んだら、急に好きなことばっかりするようになったんです。

(大城)やりたいことがあるっていうことは良かったです。ただ、やりたいことがない時もあるんですよ。やりたいことがない時は、勉強でも、部屋の片付けでも、掃除でも、目の前にあることを一生懸命やっていたことが良かったかなと思いましたね。

(大城)自分がやりたくない役割をあてがわれた時も、面白くないんですが、そこで「自分の役に立たないことはない」というふうに考えるわけです。そうして一生懸命やっていると、その中でやりたいことが見つかったり、一生懸命やったときのやり方があとで役立ったりして、若いときには自分らしさとか、そういうことを追求したがるんですけど、自分らしさなんてやっぱりわからないんですよ。

(大城)目の前にあることを一生懸命やっていくと、自分に合うものが見つかっていくし、自分のやりたいことをその中から探していけたような気がして、何となくつまらなかったりしても一生懸命やることだと思っています。

(大城)いっつもいいことがいっぱいないと嫌なんですけど、そのうち私は、たまにはいいことがあるんだって思えばいいやと思うようになって、たまにいいことがあると思って頑張って、たまにいいことがあるとすごく嬉しい、「たまに」と思っていたのに早く来たな~って喜ぶんです。

エベレストベースキャンプに到着した支援隊メンバーの何人かが体調を崩したとき、それぞれのテントを巡回しながら診察・治療を献身的かつ敏速に行なっている大城先生の凛とした姿は、今も脳裏に焼き付いて離れません。下ネタ好きの男性陣に囲まれても、サラッと笑顔であしらうことができる寛容さも、大城先生の魅力だと感じました。

支援隊のMさんは大城先生に治療されているだけで目尻が下がって嬉しそうにしていましたし、他の方も具合が悪いのに大城先生との会話を嬉しそうにしているのを見るにつれ、心配さえもしてもらえない私の丈夫さが恨めしくなりました。

今回の三浦隊での挑戦の後は、「山の活動をする人に安全に医療を早く導入したい」という想いを実現するために行なっている、ファースト・エイド指導などの活動をしっかりと継続しつつ、仕事ではなく自分の好きな山にも登りたいと語る大城先生。多くの人が山をより安全に楽しめるように、これから大いにご活躍されることを期待しています。