「三浦雄一郎とその挑戦を支える仲間たち」の第8弾は、総合サポートの三戸呂拓也(みとろたくや)さんをご紹介します。

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(久保)まずは、三戸呂さんが三浦隊の一員としてどのような役割を担っているのかを教えてください。

(三戸呂)肩書きとしては「総合サポート」ということで、ベースキャンプではマネジャーの五十嵐さんのサポートとして隊全体のマネジメントを支えるのが役割で、さらに私はキャンプ2(6500m)まで上がって、登攀サポートも行ないます。登っているときにヘルプをするというのはもちろんのこと、本隊がキャンプ2より上に上がっているときに何かがあったときには、中間キャンプ・連絡所として、ベースキャンプと連絡を取りながら危機回避をしたり、許される範囲で自分自身が上に上がって救助に行ったりするなどの可能性もあります。

(久保)いつから山をやってきたんですか?

(三戸呂)部活としてやり出したのは高校生なんですけれど、大学でも山岳部に所属していて、海外登山も機会があって最近はよく行くことがあります。去年も平出和也さんと一緒に2つ山に挑戦してきました。

(久保)普段はどんな仕事をされているんですか?

(三戸呂)それまではずっとミウラドルフィンズのスタッフとして時間給で働いていて、低酸素室という施設の管理運営をしていました。去年の秋に平出さんとの遠征から帰ってきた後は、この遠征までは契約社員として遠征の準備に携わっていたのと、引き続き低酸素室を任されていました。

(久保)この後は、どうなるんですか?

(三戸呂)さぁ~、どうなるんでしょう?(笑)わかりませんけど、それまでもずっとミウラを手伝いながらフラフラしていたので、またそういう生活に戻るのかもしれませんね。

(久保)三戸呂さんが一番やりたいことって何なんですか?

(三戸呂)実は、私は1年間ほど中学校で教員をやっていたことがありまして、教員をもう一回しっかりやりたいなという想いを持っています。ただ、こういう登山の機会をいただいて、誰でもできないような経験をさせてもらっているので、自分がしっかりと登山に踏ん切りをつけてからチャレンジしようと思っています。

(久保)今回、三浦隊に加わるということも自然な流れだったということでしょうか?

(三戸呂)まぁいろんな縁があって、ミウラを手伝い始めたのが3~4年前からなんですが、そのときから三浦雄一郎先生は80歳でエベレストに行くと仰っていて、実現するかどうかはわからなかったんですが、もし実現されるのであればお手伝いをしたい、あわよくば一緒に登山をしたいなと思っていました。

(三戸呂)ただ自分の中だけで思っているのではなくて、仕事を手伝いながらも、自分の登山経験を積むことで無言のアピールをしていました。

(久保)ちなみに今まで一番高い山って、どこに行かれたんですか?

(三戸呂)登頂できたのはカザフスタンにあるハンテングリという山で標高7010mで、ピークとしては一番高い山です。でも先日それよりも高いLower C3(7100m)にもタッチしてきていますし、また登頂はできていないんですが、もっと高いところまで行ったことはあります。

(久保)では今回、三戸呂さんご自身にとってのチャレンジとは何ですか?

(三戸呂)まずはどういったことであれ、登頂にこだわらず成功というものがあると思っています。それは終わってみないとわかりませんが、そうなったときにその成功に対して一つでも役に立つことだと思っています。意味のあるサポートが自分でも残せれば、それが価値なのかなぁと思います。

(久保)それが何だか見えていますか?

(三戸呂)そうですね。今のところあまり上に行けていないので、上に行ってからのことは後から多少見えてくると思うんですが、ベースにおいては、拍子抜けの答えかもしれませんが五十嵐さんに「いてもらって助かった」と思ってもらえることだと思っています。

(三戸呂)標高とか、場面場面によって、自分が必要とされるサポートというのは変わってくると思うので、それは今からも考えてはいますが、そのときに必要に応じて動けて結果を出せればと思います。

(久保)三浦雄一郎さんというのは三戸呂さんにとって、どのような存在ですか?

(三戸呂)まず僕の中で三浦家の最初の印象は、自分が長野県出身なので、オリンピックに出ていた豪太さんなんです。その人のお父さんが、こういう冒険を続けていて、すごい人なんだなという漠然としたイメージだけだったんです。

(三戸呂)まずは、それこそテレビとか新聞でしか見たことのないそういった人と、何かができるだけで嬉しいというのもあるんですが、一緒に生活や行動をしていて思うのは、人の生き方というのはいろいろなたとえられ方をすると思いますが、三浦雄一郎という生き方があると感じたんです。それは豪太さんともまた違っている。自分がそうなりたいかというとそうは思わない。ただ心の底から応援したい存在なんです。

(久保)最後に、子どもたちにメッセージをお願いします。

(三戸呂)ひとつは「頑張っていたら、誰かが見てくれている」ということ。誰かに見せるために頑張るというわけではないですけれども、無駄な努力というのは絶対にないと思っていて、夢とか目標とか、そういう大きなものではなくても、自分がこれに向けて何か頑張ろうということは決して無駄にならないということ。

(三戸呂)あとは、自分の気づかないところでたくさんの人が支えてくれていると思うんですが、それになかなか気づくことができないので、できることとして、日頃の挨拶とかお礼とかをちゃんとする意識を持ってほしい。人に誠意を持つとかいうと難しいかもしれませんが、少なくともそれが子どもでもわかる第一歩だと思います。

「実際にできているかって言われるとわかりませんけどね」と苦笑いをしながらお話しされていた三戸呂さん。「自分は小学生の頃からへそが曲がっていて、今も性格は基本的に変わっていない。でも性格は変わらないけど増えると思っていて、そのおかげで最近は対応力が多少出てきたとは思います」と冷静に自分自身を見つめることができる三戸呂さんの、誠実なお人柄がインタビュー中もずっと伝わってきました。

実はこのインタビューの直後、体調を崩されて翌日も治療・休息をしていた三戸呂さん。たぶんインタビュー中も不調を感じていたに違いありません。そんなことはおくびにも出さないで、笑顔でインタビューに答えてくれた三戸呂さんのお心遣いに心から感謝しています。