「三浦雄一郎とその挑戦を支える仲間たち」の第7弾は、2008年には三浦雄一郎とともにエベレストの頂に立ち、今回もベースキャンプ・マネジャーとして三浦隊を支える縁の下の力持ち、五十嵐和哉(いがらしかずや)さんをご紹介します。

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(久保)ベースキャンプ・マネジャーというのは、どのような役割を担っているのでしょうか?

(五十嵐)遠征と言ってもわかりにくいかもしれませんが、要はここエベレストベースキャンプに来るまでに、装備や食糧、各隊員が着るウェアなど、東京で揃えなくてはならないものがありますので、まずはじめに今回のエベレストの計画を三浦先生やゴンちゃん(豪太)と一緒に東京で立案します。何日くらいかけて(高度)順化をどのようにして、その後何日くらい休んで、何日にアタックするか、そのためには東京を何日に出発するかというおおよそのスケジュール・タクティクスに基づいて食糧の分量などを決めていきます。

(五十嵐)そして各スポンサーに頼めるものは頼んで、頼めないものは買い出しリストを作ります。

(久保)実際にスポンサーに頼める部分と自分たちで買い出しをする部分というと、比率的にはどういった感じなんですか?

(五十嵐)う~ん・・・、半々くらいですかね~。好みもありますし、東京で買うものも、カトマンズに預けてあるものなど、かなり地道な計算を積み重ねて準備します。

(五十嵐)装備も同様で、テントだったら一番トップから行くとC5でする1泊にどういうテントを持って行くのか、何人アタックに入って、メンバーの分とシェルパの分合わせてどれだけテントが必要か、そこで何を食べるかを考え準備します。そこからC4、C3'、C3、C2、C1そしてここベースキャンプまで同様に考えます。さらにトレッキングを何人が何日間やって・・・

(久保)え~、結構細かい計画ですね!

(五十嵐)そう、細かいですね。テントの数だけでも、どういう張り方をするかでも違ってきますし、C2まで何人のメンバーが登るのか、C3に何日滞在するから、その場合C2のテントは1人一張りなのか、それとも2人で一張りなのかによって重量が変わってきます。重量が変わるということは、荷揚げのお金も変わってくるんです。

(久保)ここベースキャンプからの荷揚げは、すべて人ですか?

(五十嵐)そうです。ここからはシェルパが荷揚げをしていきます。

(久保)ちなみにシェルパ1人でどのくらいの重さまで持てるんですか?

(五十嵐)1人が1回に持てる重量は15kgとだいたい決まっていて、今は13kgを1ロード(負荷)としています。それは食事とかもついていて、自分の食糧とか水とかも持っていることを勘案しています。実は、1ロードで13kgを背負う人もいるし、1.5ロード20kg、2ロード26kgを背負う人もいる。それによってペイが変わってきます。

(五十嵐)ペイ自体は、BCからC1までの値段と、C1からC2まで、BCからC2ダイレクト、C2からC3、C3からC4、C4からC5、C5からアタックまで全部違ってきます。

(久保)それがどんどん高くなっていくということでいいんですね?

(五十嵐)そうです。

(久保)それを全部細かく計算するんですよね?

(五十嵐)計算は「ある程度」します。総重量をベースにだいたいシェルパがどのくらいの荷物を持って何回往復するかを計算します。細かい記録はシェルパ頭が毎日つけていて、同様に誰が何日何回行ったという記録を貫田さん(ロジスティクス担当)と私もつけています。それがシェルパのボーナスというか歩合給に反映されるので、そこはきっちりとやっています。

(久保)結構地味ですが重要な仕事ですよね。ただ、五十嵐さんはその他にもいろいろやっているように見えるんですが?

(五十嵐)そうですね、他には、全部の食事の管理もしますし、みんながトイレを使った後の始末はどうするのかなどはSPCC(Sagarmatha Pollution Control Committee)という機関との取り決めで、有料で汚物を回収してもらって山からおろさなくてはならないので、その対応・支払・記録とSPCCへの報告をしています。

(久保)それがベースキャンプ・マネジャーの仕事なのですね。

(五十嵐)僕は2003年も同様のことをして、2008年には頂上に先生と一緒に登りましたが、今回は4人(筆者注:雄一郎、豪太、倉岡、平出)で上がることはもう決定しているし、ここをコントロールする人が必要なので、私がベースキャンプ・マネジャーをしているわけです。

(久保)五十嵐さんは、普段何をされているのですか?

(五十嵐)ずっとミウラ・ドルフィンズにいたんですが、その当時はずっと子どものキャンプとかしていました。冬はスキーで、夏は無人島キャンプとか、川キャンプとか、川下りとか。あとは新谷さん(筆者注:新谷暁生さん。登山家・冒険家、シーカヤックガイド。ニセコ雪崩調査所所長)と知床シーカヤックをやったりしていました。無人島キャンプは23年くらいやっていましたね~。

(久保)今は辞められて、どうされているんですか?

(五十嵐)自分のスキーツアーや、「かぐら」でガイドもしていますし、子どものキャンプなど、アウトドアの企画や運営をしています。

(久保)元々ミウラ・ドルフィンズの方ですから三浦隊に入ることは自然な流れかと思いますが、山は専門だったのですか?

(五十嵐)いえ、僕はスキーヤーです。とは言え、三浦先生とは30年以上ずっと一緒なので、スキーも他の遠征も全部一緒に行動しています。ゴンちゃんも小さいときからずっと一緒で、モーグルも僕自身選手でしたが、その後、ゴンちゃんのコーチになってずっと一緒にいましたし・・・

(久保)本当にずっと一緒ですね!五十嵐さんは、三浦隊にいるのが一番自然な人なんですね。

(五十嵐)そうかもしれないですね。

(久保)ちなみになんでドルフィンズに入ったんですか?

(五十嵐)一番最初はとにかくスキーがしたくて、スキー1本だけ担いで、19歳のときに札幌のテイネまで行って門を叩いたんです。今53歳ですけど(笑)。そのときゴンちゃんはまだ小学校3年生くらいで、雄大が5年生か6年生くらいでした。ずっと一緒に3人でスキーしたり、遊んだりしていました。

(久保)今回、五十嵐さんご自身のチャレンジとは何ですか?

(五十嵐)今までスキーも山もずっと一緒にやってきて、大きな事故も怪我もないんですよ。ちょっとした不注意で指を落としてしまうことも当たり前の世界の中ですし、ほんのちょっとのことで命がなくなる可能性もあるんです。で、今回も高山病とかは少しずつはみんなありますが、例えば怪我をしたり、凍傷になるとかは一切ないんです。ですから今回も同様に、登頂に成功しながらも、三浦隊全体が事故や怪我もなく終われればいいかなと思っています。

(久保)長い付き合いをされている三浦雄一郎さんというのは、五十嵐さんにとってどのような存在なのでしょうか?

(五十嵐)一番のカリスマかなぁ、やっぱり。今まで30年以上一緒にいますが、一緒にいて面白いですし、チャレンジし続けるという姿を見ながら、僕自身もたくさん学び、経験させてもらってきました。これからも一つの過程として一緒にいて楽しい時間を過ごしていきたいですし、この過程はまだまだ続いていくと思います。

(久保)最後に、子どもたちに向けてメッセージをいただけますか?

(五十嵐)ずっと僕も子どものキャンプをやってきて、悪ガキばかり育ててきました。そこで無人島に行ったり、何にもないところに行ったりしている中で思ったのは、「言うことを聞かなくてもいいんじゃないかな」ということなんです。言うことを聞かないくらいの方が元気だし、言うことを聞かないっていうのは自分で考えるってことなので、そういう聞かん坊の方が僕は好きですね。

(久保)ちなみに五十嵐さんはどういった小学生だったんですか?

(五十嵐)魚とりばっかりしていました(笑)

(久保)魚とりっていうのは「釣り」じゃなくて「とり」なんですね?

(五十嵐)そうですね。潜ってもりでグサリと。冬はスキーしてたし、春は山菜採ってたし、秋はキノコ採ってたし。結局、その後そういうのをそのまんまずっとキャンプでやっていたんです。

(久保)じゃぁ、やりたいことをずっとやってきたんですね?いいですね~、他には・・・

五十嵐さんとは、子どもを対象にした学びや遊びをしているもの同士であるせいか、意気投合して、この後も延々と八ヶ岳で「持って来い宿題キャンプ」や魚とりの話が続きました。本当に、子どもや遊びが大好きだということが、ビンビンと伝わってきました。

これからも「きかん坊」を育てるようなプロジェクトをぜひやりたいと目を輝かせる五十嵐さんと話していると、僕自身が「子ども」と話しているような感覚になりました。そこがきっと子どもたちを惹き付ける魅力なんだろうと確信しました。

今回はエベレストの頂には立たないものの、裏方として五十嵐さんが笑顔で仕事をしているからこそ、メンバー全員が安心してこのチャレンジに向き合えるんだと感じました。

五十嵐さん、いつか一緒に子どもの学びと遊びの機会を作りましょう!