逸らしていることで本当の悩みがわからなくなります | 時代の片隅で...

時代の片隅で...

70年代や80年代のレトロなものが好きです。
日々思うことを書いていきたいと思います。

みなさまごきげんよう

悩みと怒り

のテーマで
やっていこうと思います


滅私奉公 


私を無くし

人に尽くすことを良しとする

風潮が日本にはありまして

この滅私奉公という言葉が

ありますね







人のために 


人の気持ちをわかる

人間になりましょうという

言葉を私はよく耳にしていますが


人の気持ちをわかるって

ある程度までだと思うんです


ここまでわかって欲しいけど

それ以上分かられると

ダメというところがあるんですよ


そこまで踏み込まれたくない

部分はありますよね







悩みとは 

 

本当の悩みは別の所にある

しかしそれをすり替えてしまう

とき別の悩みが生まれるんですよね


特に簡単なのは

身内の誰かがどうにもならなくて

困っているとか

こんな理不尽があるので

どうにかしてほしい

みたいな出来事です




はっきり言うと

隠された怒り

だったりします









表現と怒り 


悩みは隠された怒り

だとしたら

悩みが多いとすれば

怒りが解決されなければ

ずっと悩んでいることに

なりますよね


そして悩み続けることは

怒りを表現し続けている

ということになります


一体どうしたらいいのか?


その根底にある怒りは

どう解消したらいいのか?




さいごに 


答えは簡単!


おっと時間です

いつか機会があればまた

続きをやってみましょう


えっ?何を言ってるかって?


言いたいことは

特に無いんですよ


また、お会いしましょう😉✋