大炎上と不買運動の拡がりを受けて、キリンが氷結のCMに採用していた成田悠輔を降ろした。
この件に関して「社会問題を比喩で表現しただけ」「キャンセルカルチャーだ」などと発する、まだ何が問題かわかっていない人たちがいる。

まず最初に言わなければならないのは、「ナチスまがいが平然とメディアに出て賞賛されてたら全力で警鐘を鳴らすでしょ?」ということだ。

今回の記事は、社会・政治学的観点からも、また経済学的観点からも、成田はクソ無能野郎だということを証明したい。

【目次】
①成田悠輔「(集団自決は)メタファーではない」
②障碍者殺戮の植松やナチスとの共通点
③経済学者としての無能さ ~高齢者の消費は全消費の4割
④「財政均衡主義」の行きつく先

*「経済学的問題点」だけ知りたいという方は、③④(次回記事 成田悠輔の「高齢者の集団自決」は何が問題なのか。② | cargo official blog powered by ameba (ameblo.jp))を参照していただきたい。

 

①成田悠輔「(集団自決は)メタファーではない」


キリンは成田の起用撤回の理由を「比喩か否かは別として…」としている。
https://twitter.com/cargojp/status/1767496819662352570

また、CM起用撤回を受けて、成田のお友達の幻冬舎編集者が「言葉狩りだ」などとしている。さすが、成田の本を「老害殺害計画」として刊行しようとしているだけあり、事の重大性を理解していないようだ。
https://twitter.com/dpdp7890/status/1767544442880401773

まだまだ多くの人が「高齢者の集団自決」を「比喩だ」と勘違いしている。

成田自身も、昨年の炎上時におけるNYタイムスなどのインタビューで「比喩だ」との嘘の供述を行っており、現在も平然とその嘘を突き通し続けているし、本人はその嘘を見抜くメディアがいないと高をくくっているからか、今回の再炎上当初には「効いてない」アピールをしていた。


強調しなければいけないのは、これが比喩でも何でもないことだ。

成田自身が「(集団自決は)メタファーではない」「肉体的な切腹」「安楽死の強制」と何度も語っている。

 

・・・・・・・
「物理的な切腹だけでなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて...」(アベマ・プライム)

「将来的にあり得る話としては安楽死の強制みたいな話も」(NewsPicks)

「三島由紀夫がやったような文字通りの切腹」「例えば尊厳死の解禁や一定以上の延命措置への保険適用を見直すことなど」(みんなの介護)
https://www.j-cast.com/2023/01/12454057.html?p=all
・・・・・・・


上記メディアでの発言は検索すればすぐに1次ソースが見つかるし、「メタファーではない集団自決」とした記録がしっかりと動画も残っている。


さらにはこの愚論を小中学生に教えていた記録まである。


さて、ここまでで、成田は「比喩表現ではない老人の大量殺戮を提唱する者」であることがわかったはずだ。
次はその発言の背景や意味を考えて見たい。
 

 

②障碍者殺戮の植松やナチスとの共通点

 

本人は、何か「斬新な切り口で語ったった」風でいるが、成田の高齢者や役に立たない障碍者を切り捨てようという発想は、古くから繰り返されている。

最近では2021年には、「ホームレス・生活困窮者を間接的に死へ…」としたDaiGoが問題となった。
https://www.asahi.com/articles/ASP8J639BP8JULZU00B.html

2020年にはれいわ新選組候補の大西つねきが「高齢者の命の選別」発言で党を除名されている。(この時の議論の流れはどうも疑問があったので、私はやや擁護的だった)
https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12611617949.html

2019年には、古市憲寿と落合陽一が「高齢者の終末医療をうち切れ」論で大炎上した。
https://lite-ra.com/2019/01/post-4464.html

2018年には自民党の杉田水脈議員の「LGBTは生産性ない」発言も大炎上。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/7257.html

ひろゆきは常に「高齢者の医療補助はいずれ切捨てなければ日本は崩壊する」などと発している。
https://www.youtube.com/watch?v=MSKhlgEudZ4

この手の炎上は枚挙にいとまがないが、実際に凶行におよんだ事件がある。
障碍者19人を殺害した「相模原障碍者殺傷事件」だ。

「国の借金が大変なので障碍者を安楽死させる」とは植松被告の動機であるが、成田とそっくりであることがわかる。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/uematsu-sagamihara-japan_jp_5c5a94bee4b074bfeb167c82

これらは、「俺たちの払った税金を無駄食いするだけのお荷物を排除しよう」「高齢者や障碍者の医療費を削減しなければ国の財政がパンクする」などといった成田と同じよう思想が発端になっている。
(大西つねきの場合は財政的制約ではなく「供給制約」をもとにしていた)

古くから「姥捨て山」といった言葉が存在するように、中世以前の金銀本位制の社会では似たようなことが語られてきたが、20世紀に現れた究極の弱者粛清、国家による殺人行為が、ナチスが犯した「T4作戦」だ。

「T4作戦」とは、以下のように無生産者を次々に「安楽死」させていったナチスの作戦だ。

 


当の成田は過去にナチスに関してこんな風に言ってるのだから閉口する。
「自分はアイヒマンら官僚のような凡庸な者ではない」とでも思っていたのだろうか。


民主主義とは、例え体の不自由な人や社会からの落伍者であっても等しく人権を認め、支え合うことを根本原理としてきた。
その原理原則をナチスは見事に粉砕した。
そのことを、人類は深く反省し、その教訓を後世に引き継がねばならないと誓ったはずである。

この点において、成田は再び過去の愚行を掘り返して喧伝していたのだから、強い批判が起こることは必須といえよう。

しかしながら、このような無生産者の排除といった考えは誰もが陥る可能性があり。
私だって、反緊縮の経済学と出会わなかったらそうなっていたかもしれない。
私も、十数年前には外国人の生活保護受給を批判していたが、これらは無知から来る妄想や間違いであったと反省している。

これらの思想の根本には、財源が足りないんだから日本人を優先に、若者を優先にと言った考えがあるのだろうが、自戒を含め繰り返し語っていかなければならないと思う。

その①はここまで。

次回は経済学的な検討となる。

成田悠輔の「高齢者の集団自決」は何が問題なのか。② | cargo official blog powered by ameba (ameblo.jp)

 

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