『今』を生きる、、、とは
『今をしっかり生きる』
って言いますよね。
最近まで本当の意味を理解していませんでした。過去の経験に基づいて今があって、その今によって未来がつくられると、、、当たり前じゃん⁉️程度で受け止めていました。
って言いますよね。
最近まで本当の意味を理解していませんでした。過去の経験に基づいて今があって、その今によって未来がつくられると、、、当たり前じゃん⁉️程度で受け止めていました。
昔から伝わる格言や言い伝えって、結論だけを切り取ってピシャリと言われてしまうので、そのまま鵜呑みにするのには抵抗があります。
でも、それらにはそれぞれ深い背景があって導き出されたものがほとんどなのでは?と感じ始めました。
未熟者の私が少しだけ掘り下げて理解出来た意味は、
◎過去
→今まで見たり聞いたりして解釈したこと。
→同じ現象、事物でも人によって見え方や解釈が変わる不確かなもの。
→人間の記憶という不確かな器に保存されているもの。
つまり、それはまさに『今』現在の脳細胞に存在しているもので、実際の過去とは切り離して考えるべきもの、しかも実態や本質が疑わしいものだとしたら、過去は存在しなく、『今』ここにある意識だけが真実だということ。
◎未来
→不確かな記憶をもとに行われる想像、そして場合によっては妄想。特に人に関することはほぼ妄想に属する。これもまた実態はない。
この想像や妄想も、まさに『今』現在の脳細胞を使って行われる。
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結局は『今』しか無いんだ。
そういうことか、と。
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前のブログで書いた通り、不確かなものを元にしたある時点の断面を切り取って判断することの無意味さを少しだけ理解出来た気がしました。
過去、現在、未来の時間軸は、人間の生活ルールにおける便宜上の概念であって、実際は全てを『今』が包括しているのです。
そう、『今』しかないのです。
あれこれ思考を巡らしてモヤモヤしていると、いま目の前にある大事なインスピレーションを逃してしまいます。
社会生活に参加している限り、どんな人でもそれぞれ運命を背負った他人との関係に不調和が生じることがあります、多かれ少なかれ。でもその不調和が全て『今』の自分の頭の中だけにあるものだと腑に落ちてしまえば、ある程度の対策は取れます。
脳細胞を休ませることです。もちろん人それぞれで脳スペックは違いますが、ある研究データでは人間は1日に6万回もの思考を巡らせるそうです。人の名前を思い出せなかったり英単語がなかなか記憶出来ない一方で、余分な想像や妄想によって限りある脳エネルギーを浪費してしまい、それが身体にまで影響を及ぼすのです。
好きな音楽を集中して聴くのもいいですし、短時間でも瞑想して精神エネルギーを整えるもいいでしょう。自分の好きなことの中から合ったものを選ぶのがいいと思います。
『今をしっかり生きる』
健全な精神で目の前にあるものをしっかりとらえましょう。そして変わりゆく永遠の『今』の景色をしっかりと受け止めて人生に参加して行きましょう❗️
画像は、Parisのオペラ座の天井画、シャガールによるものです。素晴らしいエネルギーが降り注いでいました。そしていまも。
機会があったら皆さんも是非(^^)。
断面を切り取って判断すること。
前回の子育ての話題を起点に書きます。
ある部族では、孫が生まれると子育ては祖父祖母が行うことが風習になっているそうです。大人としての自覚をしっかり持ち、人間としての心が確立できた人格が子育てを行うというのはとても理にかなったものだと思います。
アメリカの大統領、オバマさんそしてクリントンさんも結果的にこの環境下で育ったそうです。意図的に、ではなく結果的であってもこの環境を享受したことが、後の大統領への道、大衆の支持を得ることに少なからず影響はあったでしょうね。
実親に手放された時には決して幸せな環境とは本人も周りも受け取らなかったでしょう。その断面だけ切り取れば…。でも人生は断面で構成されているわけではなく、いまが絶え間なく変化していくひとつのものだとしたら、そうとらえて日々勉学に励むかドロップアウトするかは本人の意識次第です。
人生は、ある断面を捉えて全てを決めつけてはいけないのです。自分のことはもちろん他人についても生まれ育った環境についても。
いま目の前にあることをしっかり意識的に対処し、自分に課された運命に抗うことなく身をまかせる。今この瞬間や過去のある断面を思い出して、未来を想像妄想して憂うことなく、この世界を見つめることが必要です。物事は常に落ち着くべきところに向かって進んでいるのです。
儚い

また桜きっかけの話になってしまいますが☺️。
人気のないところの夜桜って何だかこわくないですか?チューリップの花を夜見てもそんなこと思わないのに。
いくつか理由を考えてみました。
まず、日本には桜がかなり存在していますよね。諸説あるようですが、徳川時代の伝統や雰囲気を一掃することを目的に明治政府がソメイヨシノを植えることを励行したことが現在の風景につながっているようです。寿命が50~60年と言われることもあって、桜の名所だけと言わず、かなりお年寄りの木が目立ちますね。とは言え、驚くべき生命力で毎年この季節には精一杯の花を咲かせてくれます。
この精一杯っていうのがひとつなのではないかと。この開花時期以外は桜の木はほとんど存在感を見せません。ところがこの季節だけ2週間程度だけ全てのエネルギーを放射するように美しい花を咲かせます。
チューリップは夜になると花をしぼませますが、桜は常に全開です。短い期間だけあって夜に浮かぶ桜の花は健気で儚く、我々人間をイチベツすることもなく通り過ぎていくようなそんな崇高な存在に思えるのです。
あとは、昔話の『はなさかじいさん』も関係してますかね(^_^;)。なんとなくですが、桜の木の下には何かが埋まっているイメージがあります。
やはり夜はこわいですね。
ただ、こわいけれども、誰のためでもなく自分の役割を正しく曲がることなく生命を循環させる強さは根本的に見習わなければいけないと改めて感じました。
こわさにも種類があります。私にとっての桜のこわさは、畏敬の念ですね。
みなさんはどう感じますか?

