〜自分の運命に参加できることへの感謝〜 -4ページ目

可決



法案可決後、街でインタビューされた恐らく昭和を生き抜いてきた男性のコメントが儚くも響く。


『これは日頃からしっかりと政治を監視していなかった我々の問題。あわててデモをやったところで間に合うわけがない。』




地元の利権や目先の経済に足元をすくわれ、適正な選挙結果を導くことに関心を注ぐことが出来なかった時点で、我々のゲタは既に足元には無かったと言える。



ものごとに反対することは、やはり持続性がなくそのチカラも限定的だ。


反対することにパワーを注ぐのではなく、日頃から正しく、適切に目前のことに対処する。
ムードではなく個人としてしっかりと目の前を参加していきたい。
忘れないで。




解放

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タバコを吸うと、ドーパミンと言われる脳内物質が発生し、

気持ちいい、
美味しい、

という記憶になり、また吸いたいという衝動につながる。


禁煙の飲み薬は、この仕組みのループを断ち切る役目を担う。
タバコによってドーパミンが出るという記憶から離れる為に、薬によって常にドーパミンを発生させる。

これによって、薬の服用中にタバコを吸っても、見事に美味しくない。
初めて吸った時のようなあの気持ち悪さだけが残り、自然とタバコに手が伸びなくな……



いやいや、そんなことより、

ドーパミンが出っ放しって怖くない???

薬によって、人格や精神がコントロール可能なことに若干の恐怖を覚えながらも、大事の前の小事、目をつぶって飲み続けてはいるが…



そんなこんなで、順調に禁煙も9日目を迎え気付いたことをいくつか。

◎自分が常に喫煙場所を探していたこと
◎ほぼ毎日の様にコンビニに行っていたこと
◎周りに迷惑をかけない努力に関するストレス

細かいことはともかく、いかに自分がタバコに時間や神経、お金を注いでいたかが一目瞭然。

タバコを意思をもって吸っていたわけではなく、タバコにコントロールされていたのだ。
(遅い!やっと気付いたのか?(^_^;))


たかだか9日目とはいえ、『囚われる』という意味ではマイナスの習慣であったことは確かですね。

自分自身を、他人やタバコ、ましてや薬にコントロールされる、『囚われる』ことは無いにこしたことはない(^_^;)。
人間関係の不調和や物欲の類も、自らを自らで『囚われの身=不自由』にしてしまった結果招くことだ。

『ポリシー』とか、『主義』、『こだわり』なんて表現はかっこよくもなんともない、視野や選択肢を広げる努力を惜しんでいる不自由な人が使う言葉。
いつもオープンな心を維持する努力をしたいと思います。







喫茶店で聞こえてくる会話に思うこと

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1人で喫茶店に入ることが良くあります。
読書したり調べ物をしたりするのですが、周りがあまりに騒がしい時にはウォークマンのノイズキャンセリングを使って出来るだけ喧騒を回避しています。

余談ですが、このノイズキャンセリング機能、秀逸です(^^)。音楽自体の音質は少しばかり落ちますが、お釣りが来るだけの静寂を楽しむことが出来ます。機会があったら是非お試しあれ!

さて、
そんな私でもいつもイヤホンで隔絶された環境にいるわけではなく、そうでない時にはどうしても周りの席からの会話が聞こえてきます。

◎保険の勧誘(結構見かけます)
◎無会話(お互いに雑誌、スマホ)
◎人への不満


やはり、そこにいない第三者の噂話が多いですね。不満や愚痴の類い。

発信する人とそれを受ける人。

受ける人は、ほぼ間違いなくその内容を肯定的に受け取って『同意』の表現で返しています。
発信者が切り取って掘り起こした断片を受けるだけなので、加勢まではしなくとも、うなづいて反応することまでは、最低限のボーダーラインの様です。

『ストレスや不満は溜め込んじゃだめだよ、どんどん発散しなくちゃ!』

といいますが、少しばかりこれは無責任なアドバイスに感じるのです。

言葉で発散する場合、独り言では解消されません。聞き手がいて、しかもそこに『同意』する姿勢がなくては成り立ちません。

そこに『同意』の構図が成り立てば、ストレスや不満解消において一定の効果があることは誰もが認めるところでしょう。



ただ、
長期的な観点や人間形成、人に与える影響を踏まえた時に、本当にペイ出来ているのかと言うとそれは疑問なのです。

ストレスや不満は、精神、気持ちや感情の中でボンヤリと抱えるものです。

それを、

・言葉に置き換えて、
・声に出して、
・身振り手振りや表情を加えて


発信する事は、

自分の中でのマイナスのエネルギーを、霧のように霞みがかったものを、敢えて粘土をこねて成形して更に釜で焼き上げるようなものです。そして相手に対してそれをぶつけていることになります。

これは自分の中の不満を確固たるものにして、加速させるのと同時に、相手のエネルギーを消耗させていることになります。

その場では発散した様に感じても、家に帰って1人になった時、そのある種の清々しさが持続するとは思えないのです。
また、受け止めてくれた相手も、マイナスのエネルギーは避けるようになりますので、多かれ少なかれその人との心理的距離感は無意識に広がるでしょう。

『同意』できない、もしくは、どうでもいい会話に延々と付き合うことは明らかにストレスですし、その場にいない人の指摘をすることによる自己嫌悪感も残ることもあります。

結局は発信したマイナスのエネルギーは形を変えて発信元に戻ってくるのです。


やはり、

粘土はこねることなく、霧はそのまま霧のままにしておくことがいいのではないでしょうか。
霧はやがて晴れます。

マイナスの感情にフォーカスして思考の中で自分の正当性を探すのではなく、

・そこから意識を外すこと。
・言葉にしないこと。


がもっとも我々人間にとって尊い姿勢なのではないでしょうか。

ストレスは健康においても精神においても歓迎されるものではありませんが、適度なストレスが成長の機会を与えてくれるのもまた事実だと思います。

簡単なことではありませんが、マイナスのエネルギーを持った言葉、単語を口にしないということだけは日々心掛けるようにしています。

しっかり自分の人生に参加するために❗️