〜自分の運命に参加できることへの感謝〜 -6ページ目

音楽って似ていませんか?

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私は音楽が好きで、気持ちや身体を鎮める時や、本来のエネルギーを取り戻したい時には必ずお世話になっています。聴くだけでなく、時には楽器を触る事でも。

ところで、
音楽が嫌いな人っているのでしょうか?

特定の好きなジャンルやアーティストのことではありません。

どこからか聴こえてくるメロディー、誰の音楽かは分からなくとも、癒されたり元気付けられたり感動したり、、という経験は誰でもありますよね。

なぜこれだけ人間の内側に入ってくることが可能なのか?
ちょっと考えてみました。



音楽って、一連の音の流れであって、ある瞬間の断面を切り取ることができないものです。

譜面上の断面としてはもちろん存在するのですが、それは単なる響きであって、切り取った箇所によってはマイナー調だったりメジャー調だったり、音符がなかったり。
断面そのもの…、もはやそれは音楽ではありませんからね。


これって人生と似ていませんか(^^)?
断面を生きているわけではなく、『今』を一連の流れとして楽しんでいるという意味では。

過去や未来を切り取って頭の中でかきまぜるのではなく、流れ行く『今』に身を任せて響きを楽しむ、という本来の姿を人間に示しているのではないか?
と感じます。



様々な芸術がありますが、受動的に万人が楽しめるという意味では音楽は特別な存在に感じます。

(音楽とは、空気の振動です。これは地球人だけが楽しむことができる特権かもしれませんね。)




(芸術としての絵画については、また別の機会によく考えてみます。能動的でないと鑑賞できないし、瞬間をとらえた断面を表現しているせいか私にはよく分かりません……が好きな画家はいます。名画には本当に力がありますので何かありそうです。)


私が家でよく聴くのはクラッシックやアンビエント系のロックです。内側を満たすにあたって歌詞は邪魔になるからです。


車でドライブする際、通勤通学の際の選曲ですが、何を選んでもピンと来ない時ってありませんか?

歌詞があるヴォーカル曲を聴く時には、少なからず自分の気持ちを曲側に、その歌詞に寄り添わせる必要があります。
その無意識の、寄り添う作業がシンドくなっているんでしょうね、その時々の精神状態によっては。

そんなときは、気持ちにそぐわない曲を無理に流すのではなく、いさぎよく聴くのをやめてみましょう。
無理な聴き方をすると、どれだけ好きだった曲だったとしても、気持ちが向かなくなって、いつの間にか選曲に手が伸びなくなります。
もったいないです。


そして、
もしくはクラシックを聴いてみて下さい。

是非!
いいですよー、クラシックは(^^)。。



またオススメのアルバムを紹介させていただきます。クラシックが中心になってしまうかもしれませんが(^_^;)。少しでも幅広く…を心掛けます。

ありがとうございました!







持って生まれた身体のスペック

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人それぞれ身体というものを持っていますよね。

世界人口約72億人、同じ身体を持っている人はいないとすると、それぞれがOnlyOneの持ち主ということになります。

少なくともこの地球上に存在するものが、全て原子で構成されているという事実、考えてみたことありますか?
私たち人間も、そこにある机も、車もガソリンもバナナも全て、ブルブル震えている粒のかたまりですね(^^)。みんなイッショってことです。

信じがたいというか信じたくないというか、何とも不思議な感情を抱いてしまいます。
そう、人間特有?のこの『感情』が問題なのです。

人間には思考能力があります。
でも、この思考能力も脳細胞によるもので、あくまでも原子の構成からブルブルと行われることでしかないのです。

人間の身体ってなんでしょうね。
身体的能力だけでなく、気質や感情、記憶も含めた全ての能力が原子によって生まれている。
人によって大らかだったり、怒りっぽかったり、勉強が出来たり出来なかったり、社交的だったりそうでなかったり。
もう決まっちゃってるんですよねー。

私はこのことを考えてから、

 ◎反省したり、
 ◎自己嫌悪に陥ったり、
 ◎惨めな気持ちになったり、
          云々…


の自分を責める思考や感情を一切断ち切る努力をするようになりました。

なぜ?

『だって、これが自分の持って生まれた身体のスペックなんだから仕方ないじゃん!』


と。

例えば…ですがお恥ずかしい話、
車を運転していて、前の車があまりに遅かったりすると私はイライラすることがあります。

このイライラする感情は私の身体スペックが生んだ如何ともしがたいものです。
前の車の走りも運転手の身体のスペックが生んだ仕方ないものですからね。

仕方ないもの同士で折り合いをつけようとしても、これはもう仕方ない(^_^;)。
そんなこんなをやり過ごしているうちに、不快な感情も消えていくのです。


当初はこれ、訓練みたいなものだったのですが、慣れていくうちに、

『あっ、またイライラしてるな』
『なに怒ってるんだぁ?』


と、これまでになかった『別の意識』が出て来るようになり、穏やかで適切な場所に引き戻してくれるようになりました。

ここで言う『別の意識』が、身体のスペックによるものかどうかは、分かりません。どうもこれは全てのものが持ち得る共通の意識、魂みたいなもののような気がしてならないのです。
もう少しこの意識を観察してみたいと思います。



皆さんは自分の身体、スペックとどう折り合いをつけていますか?

※画像はフィレンツェで撮影したウフィツィ美術館のダビデ像です。
素晴らしい身体の造形ですか、特に羨ましくないです(-。-;…







法話がなかった…ありがとう!

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昨日は父と妹の17回忌法要でした。


ここのところ雨が続いていたのですが幸い薄曇りのおおむね良い天気でした。
17回忌ですので母と私の兄弟家族の6人でこじんまりと。
和尚さんに仏壇とお墓でお経をあげてもらいました。




法事には何回となく出席しているのですが、憶えている限りで今回初めてです。法話をいただけなかったのは…

この間にお寺の先代が亡くなられたので、跡を継いだ息子さんに今回はお願いしたのですが、それにしてもひとことでも何かお話がいただきたかったなあと思い残念でした。

法話の有り無しで供養の度合いを計ることは出来ないけれども、
日常的なお付き合いがない和尚さんのお話をいただける(特に子供たちにとっては)貴重な機会なのになぁ~。


…なんてことが、ぼんやりと頭の隅っこを泳いでいるうちに、精進落とし、食事の会場に到着。食事は家族だけで。
会席料理をあらかじめ頼んでおいたので、すぐに食事が始められる状態になっていました。

いつもならば、母のいただきますの音頭で、何となく食べ始めるのがこれまでだったのですが、

何も用意していたわけでもないのに、

たいして得意でもないのに、

いつのまにか私、しゃべり始めてました。スラスラと(^_^;)。




『みなさん、今日はお集まりいただきありがとうございました。父も妹もきっと喜んでいることと思います。

《中略》

こうしてみんな元気に集まることが出来て嬉しく思います。

誰も病気にかかることなく、
怪我をすることもなく、
子供たちも元気に成長して、
いまは本当に穏やかで幸せな時をみんなで過ごしていると心から感じています。

思うのですが、
こんな何事もない幸せな時間は、ともすると後々に何か起こった時に、あの時はよかったと思い返すだけになってしまうことが多いのではないでしょうか。
後から記憶をほじって思い出すのではなく、

今、まさにこの時間を、
今、幸せに感謝して、
今、感じて生きていきたい

なあと改めて感じました。

社会で生きていれば色々なことはあるけれども、そこから降ってくることに対処することと、意識の内側の感謝の気持ちを常に持ち続けることは、きっと共存出来ることだと思います。

子供たちは、
お母さんが毎日ご飯を作ってくれること、
お父さんが休みの日にサッカーを教えてくれた時、
バァバが遊びに連れて行ってくれた時

には、しっかり、
ありがとう!
が言える子になってね。


本当に皆さん、本日はありがとうございました。』




大した内容ではありません(^_^;)。
でも自分でも驚くほどスラスラと言葉が出てきたのです。日頃から思っていることではあったのですが、ぼんやりと…で、言葉に置き換えることもなかった内容です。


思ったのですが、和尚さんが私に法話の機会を与えてくれたのではないかと。。
あなたが直接家族に発信しなさいと。
もし和尚さんの充実した法話があったら、私がしゃべり出すことは無かったでしょうから。。


こんな機会をいただけたことに感謝です。ありがとうございました❗️素晴らしい1日を‼️









葬式仏教…なんて少しでも思った自分に喝を入れました。ごめんなさい和尚さん。