本日は憲法記念日で祝日でした。しかし、お仕着せの憲法を気持ちよく祝う気にもなれず、執筆の参考文書を買いに渋谷に出ました。
GW真っ只中の渋谷は、休日を謳歌する若者たちでごった返していました。
「なんだかんだ言っても、日本は平和(かりそめの)なんだよな…」と、気分転換のつもりが逆に暗澹としてしまいました。すると、どこからか街頭演説の声が聞こえてきました。政治活動をしていると、こんな音には非常に敏感になります。声がする方に眼をやると、そこには黒塗りの街宣車が…
そうです、右翼の街宣車です。
しかし、街宣車の上で演説をしているのは、特攻服でも迷彩服でもなく、普段着の華奢な大学生らしき若者でした。
「我々は、米国に押し付けられた日本国憲法だということを忘れている!日本の真の独立を取り戻すためには、新たな日本の伝統と歴史に即した自主憲法を制定し、日本の独立と主権と国益を守る強固な意志を今こそ示すべきではないかビックリマークプンプンパンチ!
それを聞いて思わず、
「そうだ~プンプン」と反応してしました。
周囲を見渡すと、チラホラと彼の主張を聴いている聴衆もいました。

右翼の活動を肯定する気は毛頭ありません。しかし、最近のいわゆる右翼は格好ばかりの暴走族の延長のようなエセ右翼が多い中、彼のように主義主張をもった若者がいたことが、私の心を少しだけ明るくしました。

しかし、大抵の若者は知らんぷりで、流行のズボンずり下げスタイルで、渋谷の町を通り過ぎていきます。

私はマザーテレサの言葉を思い出しました。
愛の反対は憎しみではない。憎しみは愛情の裏返しである。最大の愛情の無い行為は無関心である。
政治に関心がないということは、祖国に対してあるいは未来の子どもたちに対して愛情がないという行為に他なりません。
連休中を利用して、執筆活動をしています。得意げ

といいますのも、「国会議員を目指すのに、何か著書くらいないのですか?」との御指摘をいただいたのがきっかけです。実は、政経塾時代の集大成として一冊本を出したいと思っていたのですが、公認をいただいてからというもの政治活動に時間を取られてしまい、本を読んだりレポートを書いたりする時間がなかったのが気になっていたのです。ガーン

やはり政治の基本は、「考えや想いを発言してナンボ」というところにあります。全国を回り、多くの人に会って、意見交換をしているのですが、本当に見てくれている人は、「政治に対する宇都君の考え方を、もっと聞きたかった」と言われます。あせる

そこで、この3日間は執筆活動に専念することにしました。
現在、「保守主義と日本の国家ヴィジョン」という内容で書き進めています。近いうちに皆様の下にお届けできるかどうか…とにかく頑張りますビックリマーク
連休明けに、以下の日程で鹿児島県内5か所で決起集会クラッカーを行います。
参加は無料ビックリマーク是非とも万障お繰り合わせの上、ご参加していただきますよう宜しくお願い申し上げます。

【5/8(土)】

鹿児島市会場

 時間:1100~1200

 場所:ジェイドガーデンパレス
    (上荒田町19-1  099-257-1211)

 弁士:衆議員議員「小池ゆりこ」
    参議院議員「尾辻秀久」
    候補予定者「宇都隆史」他


国分会場

 時間:1430~1530

 場所:鎌田建設2F会議室 
    (国分敷根141 0995-46-3000)

 弁士:衆議員議員「小里泰弘」
    候補予定者「宇都隆史」他


薩摩川内会場

 時間:1600~1700

 場所:ホテル 太陽パレス
    (川内市横馬場町3-1 0996-20-2111) 

 弁士:参議院議員「佐藤正久(ヒゲの隊長)」
    候補予定者「宇都隆史」他 



【5/9(日)】

鹿屋会場
 
 時間:1030~1130

 場所:鹿屋商工会議所大ホール 
    (鹿屋市新川600 0994-42-3135)

 弁士:衆議院議員「森山裕」
    参議院議員「佐藤正久(ヒゲの隊長)」
    候補予定者「宇都隆史」他


国分会場

 時間:1400~1500

 場所:国分荘 
    (国分中央3-24-16 0995-45-0130)

 弁士:参議院議員「佐藤正久(ヒゲの隊長)」
    候補予定者「宇都隆史」他



お問い合わせは、下記連絡先まで。
 
 宇都隆史後援会事務所:03-5206-6680 
防衛省が、ようやく重い腰を上げました。
【ニューデリー時事】インド訪問中の北沢俊美防衛相は30日午後(日本時間同日夜)、日本周辺海域での中国海軍の活動活発化を受け、南西諸島への自衛隊部隊の配備を検討する考えを表明した。2011年度予算概算要求に調査費を計上する方針。ニューデリー市内のホテルで同行記者団に語った。
 中国海軍は4月に入り、潜水艦2隻を含む10隻の艦艇が沖縄本島と宮古島の間の公海上を通過し、太平洋上で大規模訓練を実施。さらに、一連の行動を追尾・監視していた海上自衛隊の護衛艦に対し、艦載ヘリコプターが異常接近したため、日本側は「非常に危険な行為だ」と抗議していた。 
 防衛相は「今回のように、ただ追尾だけで本当にいいのか」と指摘。「鹿児島から沖縄本島、さらに与那国島までの間に、なにがしかの配備を考えなきゃいけないという空気は、非常に強くなってきている」と強調した。具体的な配備先については、自公政権当時に陸上自衛隊の配備が検討された与那国島を含めて調整する考えを示した。
 ただ、中国側は日本側の抗議に不快感を示しており、今回の調査費計上についても反発が予想される。(2010/04/30-23:34)(時事ドットコムより引用)


「何をいまさら、遅すぎる…ガーンこのニュースを聞いて、私が真っ先に思い出したのは、今から4年以上も前の事案です。

2006年2月、当時 航空自衛隊那覇基地のT司令(空将補)が、ある発言により防衛庁長官(当時はまだ庁でした)から注意処分を受け、事実上基地司令を更迭されるという事案が起こりました。その発言とは、「中国の軍事力増強は脅威であり、中国に対抗する防衛拠点確保の観点から、下地島空港に展開できるようにすることが防衛上望ましい。」という内容でした。当時でも正鵠を射た発言であったと思っています。

「だから前から言ってんじゃんかビックリマークという声が現場では上がっていることでしょう。そんなこと、中堅幹部の私でさえ解っていたくらい、現場では当然の意見です。

政治家や官僚が、こんなに中国の脅威が迫るまで何も手をうたなかったのに対し、現場の指揮官は今から4年も前に将来を見据えた意見具申をしているのです。しかし、「現場が勝手に政治的発言をするな!」ということで、注意処分になりました。そんなのおかしくないですか?プンプンDASH!某有名ドラマの「事件は会議室で起こってるんじゃない!現場で起こってるんだ!」じゃないけれど、現場から上がる生の声を無視して、市ヶ谷の机の上で考えた結果、戦略的に後手後手に回っているのが日本の防衛政策じゃないですか。

事件は現場で起こってるんだ!
制服の意見をもっと政治に反映させようという目的で、石破大臣の時に始まった防衛省改革も、政権交代したことで潰えました。日本の安全保障環境は、10年以上大きく後退したと言わざるを得ません。
ブログを通じて、現役防大生の後輩からメールを貰いました。
学生時代から、政治に関心高いなんて、本当に立派です。
私の学生時代なんて…学生当時の私を知っている同期は、今頃「あいつが国会議員を目指すなんてな~にひひ」なんて笑われていないか心配です。

ということで、本日は埼玉・東京における集会を終え、夕方から後輩と会うために横須賀まで来ました。
せっかくなので、同期夫妻と後輩夫妻も呼んで、ちょっとしたミニ集会です。

現役の防大生と話すのは本当に久しぶり。しかし、とてもしっかりした後輩で、物の考え方や話しぶりに「最近の学生はレベルが高いな~目」と感心してしました。それもそのはず、その後輩は一度は別の大学に入学していたのですが、「どうしても防大生になって紺の詰襟制服を着たい!!」と願って、もう一度受け直して入学したそうです。

少しお酒も飲みながら(もちろん、20歳は超えています)、後輩の最近の防大事情などを拝聴していたのですが…我が母校の惨憺たる状況に唖然としてしまいました。ガーン
それは、「後輩を守り、育てる」という文化が消滅しているということです。確かに我々の時でも、圧迫的な指導はありました。しかし、それは後輩のためを思えばこその厳しさであり、対番学生や部屋っ子などは、時にかばったり、飯を食わせたりしながら可愛がったものです。
しかし驚いたのは、最近の防大では、「解雇ビックリマークというイジメが常態化しているということでした。

対番系列から外したり、部屋員から外したりと、人格を無視するようなシカトをするというのです。先輩の私は怒り心頭ですプンプンDASH!「いったい指導官は何をやっているんだ!」と叫んでしまいました。しかし、指導官の目が行き届かない場所や時間帯もあり、すべてを指導官のせいにするのも酷なことです。
問題なのは、彼らが卒業してから自衛隊の部隊に行ったときに後悔するでしょう。後輩を育てることの出来ないような、そんな人心のわからない指揮官には、部下は絶対についてきません。学校を卒業した後、部下を指導しながら教育し、場合によっては自分の父親程年の差もある部下達の命を預かって、任務を遂行する指揮官となるのだ、という使命感を教えてもらっていないことが最大の原因なのではないかと感じました。(その後輩は立派な子でしたよ。)

防衛大学校は、普通の大学とは違います。軍学校であり、士官学校なのです。防衛大学校の長である学校長がその辺りのことを強く認識し、幹部自衛官(軍人)としての資質と教養と人徳を身につけるための教育をすることを強く望みます。現学校長は、田母神空将の発言に対しても批判的とのこと…現学校長は知識人かもしれません。人格的にも立派な方でしょう。しかし、事に及んで危険を顧みずに任務にあたった経験などなく、ましてや指揮官として部下を扱った経験すらないのです。「やはり軍の士官学校である防衛大学校には、制服出身の学校長が望ましいのではないか。」と思います。

資源の無い我が国にとって、「人財」こそが唯一の資源であり国家の財産です。教育の荒廃は、もはや我が栄光の小原台にまで及んでいます。
眼を覚ませ!若き防人達!日本の危機を救うため、使命感を持って時間を惜しんで己を切磋練磨せよ!
保守の旗を掲げて、新生自民党としての再起をかけている時だけに、今日は、稲田朋美衆議院議員が会長を務める「伝統と創造の会」の皆様と共に、靖国神社に昇殿参拝を行いました。
$ことら大尉のハート録!
私が尊敬する、西田昌司先生も一緒です。
本日は、このようなハレの日にも関わらず、天候はシトシト雨…大戦でお亡くなりになった英霊達の涙のようです。
境内には裕仁天皇の御製がかけられてありました。
「風さゆる み冬は過ぎて 待ちに待ちし 八重桜咲きく 春となりけり」
陛下は、「占領下という冬の時代をこえ、ようやく待ちに待った国家主権を回復し、日本にも春がやってきた」という悲願を詩に込められたのでしょう。

いまでは、「日本という国が、占領されて独立国家でなかった時代がある」と知らない若者の方が多くなりました。中には、日本がアメリカと戦争をしたということすら知らない子がいるのが現状です。

昭和20年9月2日、日本政府代表は戦艦ミズーリの船上で、降伏文書に調印しました。この時点で、日本国は連合国の占領下に入れられ、国家主権を失ったのです。それから6年8か月の占領期間は、日本は「occupied Japan(占領下にある日本)」と呼ばれていました。
そして、昭和27年4月28日にサンフランシスコ講話条約(主権の回復と個別的・集団的自衛権の承認)が発効され占領は終了し、日本は独立国家となり国家主権を回復したのです。
よって本日、4月28日は日本にとっての独立記念日なのです。

ところが、ここで奇妙なことがわかります。日本国憲法が制定されたのはいつのことでしょうか?
昭和21年11月3日に公布され、翌年22年5月3日に施行されたんですよね…えっ皆さん、お気付きになりましたか?今の日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続きを経て成立したといっても、占領期間に作られているのです。占領期間は、地球上に日本という国家は存在しないのです!!
(国家を定義する必要条件は、①国民と②領土と③主権が存在すること)

つまり、ここに日本国憲法の矛盾があり、「押しつけ憲法」であると言われる所以なのです。
9条の問題も重要ですが、そもそも正統性を欠いた憲法によって、憲政を営んでいるという最大の問題がここにあるのです。

日本が立ち直るには、被占領期レジュームから脱却しなくてはなりません。そして、独立国家としてあるべき国の形にしなければならない。
そのためには、なんとしてでも、自主憲法を制定しなければなりません。憲法改正ではなく、自主憲法制定!が必要なのです。

本日は新潟で活動です。

朝から市内で辻立ちした後、ミニ集会での講演を行いました。
参加者数こそ少なかったのですが、その分だけ熱い想いをしっかりとお伝えすることができました。

$ことら大尉のハート録!

その後、支援者の挨拶回りをしている中で、日本会議新潟のNさんという方にお会いしました。なんと、神風特別攻撃隊(いわゆる特攻隊)の最年少操縦士だった方だそうです。御本人から資料をいただいて読み直すと、そこには若くで国家に命を捧げたドラマが書かれていました。「死ぬのは当然で、不思議と怖くはなかった」と書いてあり、死を超越した心の境地に達したればこそ、死地に赴く前にあんな素敵な笑顔ができたのでろうと思いました。もう少しお話しを聞きたいと思いましたが、お互いに別の用事もあり、非常に残念でした。

特攻隊員たちが残した遺品に、「七生報国」という四文字を良く見ます。「七回生まれ変わって、国家のために尽くそう」そういう言葉です。それに代わって何と今の世の中は刹那主義なのでしょう。「今さえよければ、自分さえよければ」そんな考えが横行する今の日本に、特攻隊員の魂が生まれ変わったら、何と言われるでしょう。「俺達は日本をこんな国にするために命を懸けたんじゃない」と嘆かれることでしょう。やはり、「生まれ変わるなら、また日本がいい」と素直に思えるような国家にしなければなりません。

脱刹那主義!皆さん、生まれ変わりを信じて、今生を生ききりましょう!そして、生まれ変わったらまた日本に生まれて、この国を愛し育んでいきましょう。


昨日は仙台の同志、熊谷君の実家に宿泊しました。全国区は移動距離が長く、旅費もバカになりません。経費節約のためとはいえ、毎回泊めていただく熊谷君のご両親に心から感謝しています。
お父さん、お母さん、本当にありがとうございます。ラブラブ

普段の自分の活動だけでも精一杯なのですが、やはり同志の活動は心配で気になります。しかし、熊谷君の支援の輪も着々と広がりつつあるようで、昨日は事務所開きをしたとのこと、安心しました。

本日は朝から市内にて辻立ちをした後、件の事務所を訪れました。県道沿いの平屋で、適度な広さと駐車場を完備した、「いかにも政治家の事務所ビックリマーク」という感じです。まだまだ雑然としていますが、そこが新人候補の初々しさを感じさせて良いのかもしれません。
とても存在感のある、入口の特大ポスターの前で記念撮影をパチリ。是非何としてでも当選して欲しいと願っています。
$ことら大尉のハート録!

私の事務所は新宿区市谷の防衛省前にあります。ヒゲの隊長こと佐藤正久参議院議員の事務所を間借りしている形です。そして、地元鹿児島では、地方事務所を探している所です。しかし、これがなかなか見つかりません。ガーン鹿児島の地元で腰を据えて活動できれば、自分自身で一軒一軒当たって探すのですが、全国比例の候補には、その時間的余裕すらないというのが現状です。しょぼん

皆様に情報提供をお願いいたします。どなたか、鹿児島市内(できれば駅の近く)に事務所を紹介していただけませんでしょうか?アクセスが良く、数台の車が停められて、20~30人が会議のできるスペースがあれば、とりあえず十分なのですが…。何卒宜しくお願い致します。しょぼん

話が逸れましたので、活動報告に戻ります。昼からは松島にて支援者の方々と意見交換会を持ち、地元候補の熊谷君にも参加していただきました。

>$ことら大尉のハート録!


そして、会の終了後は北陸へ向けて出発!現在、新潟行きの新幹線の中でブログを書いています。
「リンゴ~の花びらが~」っと、弘前まで参りました。
弘前といえば、弘前城の桜も有名ですが、肌寒い弘前ではまだツバキの花が咲いていてビックリ目

しかし、今日は天気も良くポカポカ陽気なので、来週末辺りは満開の桜が見られるのではないでしょうか?

本日は弘前市内にて辻立ちを実施しました。
皆さん、人情味ある方々ばかりで、
「こんにちは~自衛隊OBのうとたかしです、応援して下さ~い」
とリーフレットを渡すと、殆んどの方が受け取ってくれました。

しかし、津軽弁はやはり難しい。
「△*+×◆<◎P`…」と話しかけられても返事ができずに困りました。
イントネーションは鹿児島弁に似ているんですけどね…

辻立ちを終えて、大雪山の麓で記念撮影でした。

$ことら大尉のハート録!
本日は青森です。
青森県は、ねぶたで有名な「青森市内」、太平洋側の三沢・八戸地区、リンゴの名産地の弘前地区の3つの地域があり、それぞれに気候や特色が違えば、言葉も違います。しかもそれぞれに自衛隊の基地があり、陸海空の三軍種が揃っている、珍しい県でもあります。
今回はこの三地区を二日で回るという強行軍です。

朝5時起床。朝早い便で羽田空港を飛び立ち、青森空港へと向かいました。
まず初めに訪れたのは、青森市内にある参議院選挙青森地区候補の「山崎力」事務所です。地元での根強い人気のある山崎先生にお会いするのを楽しみにしていたのですが、残念ながら今日は外回り中ということでお会いできず、代わりに奥様がお迎えして下さいました。(政治家の奥さんって本当に大変ですね…叫び

事務所にて歓談しておりますと、聞き覚えのある「頑張ってるかー」という野太い声が…。「誰だっけ?」と入口を見れば、「顔が怖い」という噂の大島幹事長でした。にひひ幹事長も、今朝がた大阪から戻ったばかりとのこと。普段はとても気さくな方で、「頼れる伯父貴!」といった幹事長です。私のような新人候補者でも、対等に御意見することができる、そこが自民党の良さであり懐の広さでだと思います。グッド!
さて、青森市内では、支援者の方々とのミニ集会の機会を得ました。いずれも地域に密着した住民の方々で、私の政治信条と共に、政治に対する想いと日本のヴィジョンについてお話しをさせていただきました。皆さまからいただいた言葉は、「自民党もだらしがない。いつまでも離党者を出して結束できないようでは任せられない。離党者には毅然とした態度で厳しい処置をすべきだ」というご意見でした。

私も全く同感です。今は、大事の為に色々あってもグッと堪えて力を合わせねばならない時です。政治家の私心を排した倫理的態度が問われているのだと思います。

ミニ集会を終えた後は、一路八戸に向かいました。八戸は海上自衛隊の航空部隊があります。
出迎えて下さったのは、海上自衛隊パイロットOBのKさん。防衛大学校期別で言えば、私よりも31期上の大先輩です。Kさん曰く「俺の息子と同じ年なんだよ。頑張れな~!」
本当に、父親のような大先輩方に応援していただいている私は、本当に果報者です。先輩方の期待と後輩への思いやりに、胸が熱くなります。八戸では、2つの会合で挨拶させていただき、想いをしっかりとお伝えして参りました。

現在時間は2210、八戸駅から最終電車で弘前に向かう電車の中です。グッド!