本日は敬老の日でしたね。

さて、皆さんは「敬老」に関すること、何かされましたかはてなマーク

故郷の両親にプレゼント。あるいは電話一本でも嬉しいものです。

私もこれまで、あまり両親に対して、親孝行らしいことしてきませんでした。

しかし、今回はたまさか鹿児島に帰っていたので、一つだけやりました。

それは、家でゆっくりするということです。

なんだそりゃ!パンチ!ドンッという声が聞こえてきそうですが、こういうことです。

連日の過密スケジュールで、かなり疲れが溜まっていました。
私の様子を見かねた母が、
「明日は祝日なんだから、一日くらい家でゆっくりしていったら?」
と言いました。せっかく鹿児島に帰ってきているので、挨拶に行きたい方々も大勢いるのですが、ふと
「明日は敬老の日だよな…」と思いだし、

「何をせず、両親と家でのんびりするのも親孝行かもしれないなぁ」
なんて、勝手なことを思ったのです。得意げ

でも、お昼を作る母は、心なしか嬉しそうでした。音譜
のんびりしたといっても、たった半日だけで、夕方には東京に戻りましたが、少し心の余裕を作ることができました。

高度経済成長時代から、「核家族」が日本の家族の典型になりました。しかし、人口減少や高齢化・少子化を迎えている今、私たちは家族の在り方というものをもう一度考え直す時期に来ているのだと思います。

先日は、四世代同居をしている女性方から話を聞きました。
「一緒に暮らすと、色々と大変でしょう?」と尋ねますと、
「とっても楽しいですラブラブ」という返事が返ってきて、驚きました。

政治の側から、複数世代同居家族を優遇する施策や、農業やモノ作りの分野で、家業を継ぐのを支援するような施策を行うべきではないかと考えます。

付け焼刃の政策で国は良くはならない。日本人としての生き方や社会の在り方を根本から見直す政治を実現しなくてはなりません。
地元鹿児島に戻り、陸上自衛隊国分駐屯地の記念行事に参加してまいりました。
式典には、同じ自民党の小里泰弘衆議院議員、野村哲郎参議院議員も同席下さいました。
(両先生にはいつもお世話になっています)

かつて冷戦時代には、国防の最前線は北海道名寄駐屯地と言われましたが、台頭する中国海軍の勢力を受け、南西方面も重要方面になりつつあります。特に、日本における国防上の最大の問題となる「島嶼防衛」は、この鹿児島にとって重要な課題です。22個もの有人島を有しながら、その防衛は国分の第12連帯に任されているのですから、国分駐屯地(第12普通科連隊)の重要性は今後ますます増大することでしょう。

鹿児島こそ、現代の国防最前線です!

我が故郷の国分駐屯地。現場では色々な苦労や困難も多いでしょうが、腐ること無く、弛むこと無く、国防という崇高な任務に励んで貰いたいと心からお願いいたします。ガンバレ!自衛隊!

皆さんの活躍を祈りつつ、現場が訓練で培った能力を遺憾なく発揮できるように、私も政治の最前線にて死力を尽くすことをお誓いいたします!

祝賀会上では多くの支援者の皆様にお会いすることができて、本当に嬉しかったです。音譜

皆さん、あいがとごわした!ラブラブ!


本日は、海上自衛隊八戸基地の開隊祭に参加してまいりました。

海上自衛隊らしい、厳かな雰囲気の中、式典が営まれました。

式に参加した国会議員は、民主党の田名部匡代(たなぶまさよ)さんと、中野渡 詔子(なかのわたりのりこ)さんでした。
来賓挨拶にて、私の出番は三番目。もう上手に話せたらよかったのですが、早口で滑舌の悪いスピーチに、自分でも大反省・・・ガーン

場数を踏むことも重要なのでしょうが、このような式典における挨拶を、もっと
「真剣勝負」手裏剣
と思って臨まねばなりません。

式が始まる懇談の場にて、様々な現場の状況をお聞きいたしました。中でも、近年の予算の削減には、部隊努力をしても、カバーしきれないものがあるように思いました。
ちなみに、中野渡議員は「行政刷新」に携わっているとのお話でしたので、「防衛関連事業が、如何に『事業仕分け』なるものに馴染まないか」を、力説しておきましたので、ご理解いただけると思うのですが・・・得意げ

祝賀会の食事は、調理班の自衛官が手に縒りをかけたもので、素晴らしいものでした。
「少ない予算と人員でも、俺達はここまでやれるんだ!」
という現場を預かる自衛官の矜持を見た思いがしました。

隊員の皆さん、本当にお疲れ様でした。
私の自衛官生活の原点である、三沢基地に参りました。

明後日に行われる三沢基地航空祭に、どうしても参加できないため、お世話になった支援者や、部隊の主要指揮官の皆様に、当選のご報告とご挨拶に来たのです。

久々に入る三沢基地は、昔と全く変わっていませんでした。

ていうか、米軍基地施設は綺麗になっているのに、自衛隊の施設ばかりが昔のまま!?、で建っているのです。えっ

現場の指揮官の方々よりお話を聞くと、航空自衛隊三沢基地は「米軍基地の一部を借用」している形になっているため、施設を新しくしたり(壊したり)、駐車場の整備をしたりするのには、いちいち米軍基地司令の同意を得なければならないとのこと。

現場の指揮官同志はとても友好的関係にあるのですが、こと領地の使用や権限の分譲という話になると、現地の指揮官の判断だけではなく、米国本土の了解が必要になります。

そこに、「領地使用に関しては、一度譲歩すると際限がなくなる」という政治的判断が働き、なかなか進まず、結果として自衛隊の施設の更新が遅れ、老朽化していく現状にあるのです。

沖縄の基地問題ばかりがクローズアップされがちですが、日本には沖縄以外にも多くの米軍基地が所在しています。
現地に存在する様々な政治的課題を、一体どのような方法で解決していけばよいのか・・・。まだまだ、今の私にはその経験も知識もなく、自分の無力さを痛感しました。ガーン

キバランなら!プンプン
本日は、「日本戦略研究フォーラム」という団体において、講演会でした。
議員になってから、初めての講演依頼だったので、

「良い講演にしなければプンプン

と、気負ったのがいけなかったのでしょうね・・・ガーン

まともな国政報告ができるほど、まだ国会参加をしていませんので、これまでに温めてきた政治信条をぶつけてみようと思いました。

私が提示した演題は 「自民党に求められる政治とは -保守とは何か-」

しかし、講演は大失敗ガーン 準備時間も足りなかったのですが、それ以上に気持ちのこもらない稚拙な講義のようになってしまって・・・

聞いてくださっている皆さんは、皆それなりの有識者ばかり・・・「今更こんな講義を聞かされても・・・」というような空気が伝わってきて、「しまった~あせる大失敗だ~」と気づいても後の祭りです。

汗をダラダラかきながら、ようやく一時間の講演を終えました・・・。

やはり背伸びはいけません・・・

自分の持っている力で、誠心誠意の「熱伝導」をする

選挙が終わり、見失っていた大切なことを教えてもらった一日でした。

「失敗は成功の母」ですよね・・・汗
市ヶ谷は、旧日本帝国陸軍士官学校が所在した土地です。戦時中には参謀本部が設置され、停戦後は極東国際軍事裁判の法廷にもなりました。

この防衛省の敷地内に「メモリアルゾーン」と呼ばれるエリアがあります。

ここには、
敗戦の責任を取って自決された陸軍大臣阿南大将、第1総軍司令官杉山元帥、第1総軍付吉本大将、大本営作戦参謀晴気少佐の慰霊碑
陸軍全航空部隊戦没者慰霊碑、そして自衛隊創設以来の全殉職者の御霊の慰霊碑があります。

本日は偕行社(旧帝国陸軍OBの会)が主催する慰霊祭に参加してきました。
自衛隊で、9年3ヶ月お世話になっていながら、この慰霊碑にお参りしたのは初めてです。あせる

中でも、戦時中に作戦を計画していた大本営の作戦参謀:晴気誠少佐は、
「作戦計画を立案するものは、命を懸ける覚悟が必要である」と、1945年8月17日早朝、サイパン陥落に責任を感じ、陸軍省内の大正天皇御野立所で切腹自決したのでした。32歳の若さでした。

片や、現代の政界を見ると、政治家の「命懸けで」の言葉の以下に軽いことでしょうか。

国家の命運を預かる覚悟

現代の政治家に最も求めらている資質ではないでしょうか・・・。英霊の御霊の安らかなることを祈りつつ、我が身を顧みる一日でした。
民主党代表選挙、菅内閣総理大臣が再選されましたかお

それは、政治と金の問題にけじめを付けられなかった小沢氏に比べれば、まだマシなのかもしれませんが、「菅総理&仙石官房長官」の体制が続くのには我慢がなりません。

この数カ月間で、この体制でどれだけの国益を損じてきたか・・・「菅談話」なんて、その最たるものですプンプン

だのに、菅政権の支持率が上昇しているというのですから、「え~何で?何で?えっ」 恐らく、小沢さんに対する反発の数字が、菅総理に流れているのでしょうが、「支持率」って一体何なんでしょう!?


先日の尖閣諸島近海における中国漁船の領海内における違法操業及び公務執行妨害に対して、仙谷官房長官の判断で身柄を拘束した船員の即時開放を決定しました。当該船員の一人は「日本が我々を拘束したのは違法なことだ」と公言するし、中国中央テレビも抗議の内容を繰り返し伝えているとのことむっ

国家が第一義に護るべきは、主権と独立と国益のはず!!

官房長官殿、「国家主権」とは、そんなに軽いものですか?

現場の自衛官や保安官は、それを守るために命を張っています。

民主党の国会議員の先生方、あなた方もこの日本国を愛しているのでしょう?
主権の概念と日本の国益を理解していない、仙谷官房長官の交代を要求します!

福岡まで足を運んだので、当選のご挨拶も兼ねて部隊訪問をして参りました。ニコニコ

【福岡地方協力本部】
 最近の募集と援護の厳しい現状を、本部長よりお聞きしました。そんな中でも、積極的に自衛官OBを受け入れてくれている企業があります。本当にありがたい限りです。

【自衛隊福岡病院】
 各国の医官同志、様々な交流があるのですね。特に戦闘を経験したことのある軍医との意見交換は、日本の医官にとって貴重な経験であることを教わりました。

【陸上自衛隊福岡駐屯地】
 パキスタンへの国際緊急援助派遣について、師団長と意見交換をさせていただきました。政治側の怠慢や思慮の浅さから、現場に無理を強いることがあってはならないと深く感じました。

【航空自衛隊春日基地】
 懐かしの原隊。お世話になった上司やかつての先輩同僚が、快く迎えてくださいました。「宇都先生」と呼ばれることには辟易しましたが、それだけの活躍を期待されているのだと捉え、改めて襟を正す機会を得ることができました。(F-4戦技競技会、結果はどうだったのかなぁ…)

部隊に訪問すると、候補者だった時と議員になってからの違いを思い知ります。現場は「後輩の宇都」としてではなく、「参議院議員 うとたかし」としての接遇をします。「いままで通りで…」と少し寂しいしょぼん気持ちもしますが、それは私の甘えですね。

先輩方の対応は、期待の表れですものビックリマーク
応援してくださった現場の仲間達の思いを無駄にしないよう、
「国会議員としての職責を全うする!」
それが私にできる恩返しです。
福岡にて、会議に参加しました。
選挙の総括と、今後うとたかしの支援組織をどのように充実させるかという会議です。
いろいろな団体の会長さんや事務局長さんが参加してくださいました。

会議は二時間ほど、白熱した議論の元、様々なご意見ご指導を頂き、本当に有り難く思います。また、必ず持ち帰って検討させていただきます。

さて、会議終了後の懇親会の事、私の付けている議員記章(バッジ)が話題となりました。

「うと議員、ちょっと、よく見せてくれない?」

ということで、「勿論ですとも」ということで、皆様に議員記章を直に見ていただきました。

以前もブログで写真付きで掲載いたしましたが、議員記章が十一菊紋は何故なのでしょうか?(御皇室は一六八重表菊紋) 

そんな中、装道の先生であるS先生が、
「うとさん、菊の花の別の名前を御存知ですか?」

とおっしゃいました。

うと「え~っと・・・わかりません」(勉強不足ですみませんあせる)

菊のことを、別名「千代見草(ちよみくさ)」というそうです。

なんて、美しい響きでしょうかラブラブ!
なるほど~ 日本において菊は長寿のシンボルなんですね。
だから、「重陽の節句(九月九日)には菊酒を飲むのかビックリマーク」と初めて気付きました。

議員記章に菊紋をあしらっているのも、もしかすると
「国会議員たるもの、目先のことではなく、遠い将来を見据えた『千代見』でなければならぬ!」
ということなのかもしれませんね目

言語を大切にすることは、文化を大切にすること、そして国を護ることです。

会社の公用語に英語ですって?・・・私はそんな無国籍人を作るような流れには反対ですよむっ
夕方、熊本市内でミニ集会を行ないました。
急な呼びかけであったのですが、30名ほどの皆様に集まっていただき、講演をさせていただきました。

昨日は、熊本1区支部長の元衆議院議員「木原稔」さんがやっている地元FM局「熊本天国」においても、緊急の告知をさせていただいたのでした。(木原先生、ありがとうございましたラブラブ)

参加者の中に、「ラジオを聞いて、興味があったので来ました」という方が三名もいらしたことが、とても嬉しいでしたニコニコ音譜。しかも、皆同世代の若者ばかり。

ミニ集会後の懇親会にも参加いただいて、政治のことや社会問題について、色々と語り合いました。
あんまり熱が入りすぎて、気がつくと夜中の2時を過ぎましたが・・・叫び

翌日の朝は、少し寝不足だったのですが、心地良い疲労感と共に福岡へと移動しました。

これからも、ブログやツイッターを用いて、ミニ集会などの告知を行ないますから、是非いらしてくださいね。
若い世代を中心に、政治を真剣に考えて行く層が広がれば、必ず日本は素晴らしい国家になります!

「生のうとたかし」と直に語って、ご意見をいただければ嬉しく思いますニコニコ