今日は、「尖閣諸島開拓の日」です。
明治28年(1895年)に、日本政府は国際法に則り、尖閣諸島を日本領土として閣議決定した記念すべき日です。

昨年の尖閣沖の外国人船長逮捕問題を受けて、石垣市議会が条例を可決し、1月14日は「尖閣諸島開拓の日」となりました。

そこで、本日は日本会議が全国で「尖閣を守れ!」の署名運動を行うということで、私も有楽町駅前広場に街頭演説に伺いました。

現場に到着して、演説をするまでの間、日本会議のみなさんと一緒になってビラ配りをしたり、署名の嘆願をしたりしました。

ところが…。

道行く市民の皆様の冷たいこと…。

会釈をして下さる方はまだいい方で、殆どは無視…。
中には、あからさまに嫌な顔をして避けて通る方も…。

同朋の日本人が、「国を守りたい」という純粋な気持ちから、ボランティアで寒風の中で頑張っているのに、何も感じることなどないのでしょうか…

外は冷たい風が吹いていましたが、もっと寒々しい風が、道行く人の心の中に吹いているような気がして、つい、

「皆さん、あなた達に国を愛する気持ちはないのですか!」と声にしてしまいました…。

仕方がないことだとは判っているのですが、国民が自分の国に関心を持たなくなってしまったら、未来はありません。

「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」
といったマザーテレサの言葉が胸に刺さりました。

政治は「やらせてみて」いては決して良くなりません。そのような態度では、どの政党に任せても一緒です。

政治は自分たちで動かすものです。

「国が何をしてくれるかではなく、自分が国に何が出来るのかを考える」

そんな国民として当たり前の「公的精神」は、もう日本にはないのでしょうか…。


でも、ツイッターを見て応援に駆け付けてくださった方もいて、「このような支援者がいる限り、全力で戦おう」と誓いました。
某会合に参加したときのこと、ご支援いただいている先輩より、

「今のままの謙虚さを忘れずに成長してほしい」と、ある言葉を賜りました。

それは

孕而不溢(みつれどもあふれず)

原典は中国古典の十三経の一つ「孝経(こうきょう)」のようです。
「孝の道」について孔子と曾子(そうし)が交わした問答を、曾子の門人が記述した古典です。


諸侯章 第三

上に在りて驕らざれば、高くして危ふからず。節を制し、度を謹めば、満つれども溢れず。高くして危ふからざるは、長く貴きを守る所以なり。満ちて溢れざるは、長く富を守る所以なり。富貴其の身を離れず。
然る後、能く其の社稷を保ちて、其の民人を和するは、蓋し諸侯の孝なり。


【訳】
人の上に立っても驕ることがない人は、高い地位に就いても危うさがない。
節度保ち、度を越すことを慎む人は、気品が満ちることがあっても、溢れることはない。
前者は貴品を保ち、後者は富を保つ方法だ。
その上で、国家をあるべき姿に保守し、国民が力を合わせ暮らせるように導くのは、政を担う者の「孝の道」である。



素晴らしい言葉を頂戴しました。

原典では 「満而不溢」 となっているのですが、その先輩は「満」というのは、器にヒタヒタに溜まった状態をいうが、「孕」というのは「ハラム」と読み、まさに女性が子を宿すが如く、内側から次第に充満していく様を表すのだ。だから、「満而不溢」ではなく、「孕而不溢」なんだよ。

とのことでした。恐らくは中国古典を、後世の日本人がアレンジしたものでしょう。しかし、そのままを受入れずに日本風にアレンジする「ジャパナイズ」するのが日本人の美徳!

さっそく、座右の銘に加えることにしました。

孕而不溢(みつれどもあふれず)

かくありたいものです。

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「生まれ変わるなら、また日本日の丸がいい!」
軽い話題を一つ。

以前、おみくじのブログを書きました。(私は小吉でした)

本日ある会合で、「おみくじの秘密」を聞いてしまいました!

宮司さんがお話になったので、間違いはないと思います。

「おみくじの数は全部で「五十番」まであり、(つまり50種類)そのうち、大吉は2本、凶は10本入っています。」

とのこと!

「意外と大吉って少ないんだ…確率1/25か…」と妙に感心する反面、

「なんで凶がそんなに多いの?1/5の確率じゃん!」と不思議に思いました。

はやり、神からの厳しい啓示の数が多い方が、犯罪や不道徳な行いに対する心理的抑止効果があるのかな…。まさかそれを狙ってのことじゃないでしょうけど。

凶を引かれた方、あくまでおみくじは啓示ですから、ガックリされないように。

「へぇー」な話でした。
この記事、書こうか書かまいか迷いましが、賛否両論覚悟の上で、敢えて勇気を投稿することにしました。

御存じの通り、巷では児童養護施設に対し、タイガーマスクの主人公「伊達直人」の名を使って、善意のプレゼントをする現象が広がりを見せています。

もちろん、ホッとするニュースですし、予算の少ない施設側にとっては、高価なランドセルを寄付していただけるのは有難いことでもあるでしょう。しかし、私はどこか違和感を覚えてしまうのです。

それは、政経塾時代に、小田原の児童養護施設にて10日間ではありましたが、泊まり込みで子供たちの支援のお手伝いをさせていただいた経験から感じるのかもしれません。

その研修先で、施設の先生方からの説明で「以前は家庭の経済的問題から施設に預けられる子供たちが多かったのですが、最近では親の育児放棄(ネグレクト)と児童虐待の割合がとても多いのです」ということを初めて知りました。

施設は老朽化し、確かに予算も少ない中で運営しているので、子供たちも裕福な暮らしをしているわけではありません。しかし、子供たちは溌剌と元気に暮らしていました。そんな、子供たちにとって一番欲しいものは「ランドセルや文房具」といった「物」では無かったのです。

私が一緒に遊んであげると本当に嬉しそうで、みんなで私の取り合いを始めます。昨年まで幼児だった低学年の子などは、絵本を持ってきて、「これ読んで」と私の膝の上に座ってくるのです。

子供たちは一様に大人の愛情に飢えていたのです。それが痛いほどよく解った…。

彼らが本当に欲しいものは「愛情」に他ならないのです。しかも、どんなに放置されても、虐待されても、実の親の愛を求めていたのです。

そういう子供らの気持ちをよそに、匿名で物を与えることに対し、申し訳ないけれど善意の押し売りのような気がしてしまうのです…(勿論、その善意を責めるつもりなどありません。)

しかし、問題の本質はそこじゃないんです。

本物の親子が、睦まじく暮らせるようにするために、私たちが何ができるのか…。

家族とは、共同体とは本来どうあるべきなのか?「我々日本人が、今後目指すべき家庭の姿」それを考えることに答えがあるような気がしてなりません…。

(ご意見ご批判は、コメントにて甘んじてお受けいたします…。)
本日の産経新聞朝刊の1面に掲載の、京都大学:佐伯啓思教授のコラムに、心から賛同します。

コラムは、「経済価値基準で全てを図る社会になった戦後日本からは、正月の厳粛な空気が無くなった」という内容でした。

最近の政界も全く同様です。日本の伝統と文化を踏まえた国家ビジョン(追求すべき国体)という本質論は敬遠され、合理化・効率化のもと、数値に置き換えられる経済指標だけが一人歩きし、国の政策の良否を決定している気がしてなりません…。

金に代えられない価値ある物が存在する!あるいは、自己の命に代えてでも、まもらねばならぬ物がある!

人はそれを自覚した時に、真の生きる意義を得るのではないでしょうか?

政策論だけで、日本は取り戻せない…天下国家を堂々と議論する通常国会にしたいと思います。

鹿児島のミカン、「ボンタン」って知ってますか?

皮が厚いけど、身が肉厚で味も美味しいのです。

しかも、でかい!

父が生家の庭に木を植えて、せっせと育てていたのですが、正月の雪の重みで枝が折れてしまいました。

果実の重みも災いしたのでしょう・・・。

そこで、収穫して枝を軽くしようと、身をもいできました。

夕食後に、皆でデザートタイム! 美味い!
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(たまたま、遊びに来ていた従姉妹です。^^)

土を耕しながら、作物を作り、自然の恵みを大切にしている父の生き方を、素晴らしく思っています。
鹿児島の商工会議所の新年会に参加しました。

非常に厳しい地方経済の状況ながら、諏訪会頭からは、

「今年は努力の年にしたい。不平不満を取り敢えず飲み込んで、出来ることを一生懸命やってみよう」

というような趣旨の挨拶がありました。

今年は3月12日に九州新幹線が全線開通します。
これにより、九州の経済界の生き残り競争は更に激化することでしょう。

しかし、これはまたチャンスでもありというわけです。

商工会議所の新年会の後、地元で飲食店をして頑張っている同級生のお店で食事をしました。

新幹線の終着駅「鹿児島中央駅」の駅前にて、黒豚しゃぶしゃぶの店「八幡」を経営している店長の小幡くんです。
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昔はヤンチャだったけど、本当に真面目になって、一生懸命ガッバている同級生の姿が、本当に嬉しく胸に響きました。また、味も、最上級の黒豚しか使わないという店長のこだわりが滲みでていて、とても美味しく、年始からお店は大盛況でした。

おすすめの店です!

地元に帰ってきて、一生懸命に頑張っている仲間達を見ると、「よし!おいもキバッど!」と感奮します。
鹿児島に帰ってきてよかった。

鹿児島市内にて、官公庁などへの挨拶周りに出かけました。
どこに行っても「中央政治への不安感・不信感」を感じます。

「宇都君、政局ではなく政策のための通常国会を期待してるからね」

このような地元の声を聞くたびに、

「きばらんなら!メラメラ」と気合が入ります。

明日も挨拶回りです!

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「生まれ変わるなら、また日本日の丸がいい!」
かつて、政治は山を切り売りする覚悟でやらねばならず、マトモにすれば家には「井戸」と「塀」しか残らないと言われました。
そんな風に、自分の私財を投げ打って公に尽くす政治家のことを、「井戸塀政治家」と言いました。
西郷南洲翁に比べると、地元では人気の低い大久保甲東翁ですが、その座右の銘は

「為政清明」
(政を為す者は、清く明らかでなければならぬ)

47才の時に、紀尾井坂で暗殺された時、子孫に残す財産など殆ど無かったそうです。
西南戦争では敵味方に別れて衝突した西郷翁と大久保翁ですが、「自己の(子孫の)資産を肥やさず、公のために生きる」という井戸塀精神は、薩摩の先人たちの遺徳であると思います。

さて、今回当選組の参議院議員の資産公開が行われました。

      土地 建物 預貯金 合計 
宇都隆史  0  0    0   0 

「私こそ、井戸塀政治家です」なんてことではありません。私の場合、薩摩の遺徳とは関係ないのです。
別に資産をなげうっている訳ではなく、36才の若造に資産などあるはずないじゃないですか・・・ね得意げ

自衛官時代の退職金は、松下政経塾時代の研修で全て使い切ってしまいましたし、選挙では、両親にも多額の出資をしていただきました。そんな私に預貯金など残っているはずもありません。

ところが、今の選挙制度はお金がかかりすぎますガーンポスターや配布物等の印刷代や、それを配送するための郵便代。事務所経費や事務員の人件費・・・。
参議院同期の18会の議員とも話をすると、皆一様にお金のやりくりには頭を悩ましています・・・。

今の子供達に、「将来何になりたい?」と質問すると「お金持ちになりたい」という子が少なくないと聞きました。
それに比べて、将来なりたくない職業のBEST3に「政治家」が入るんだとか・・・。


世の中の価値判断基準が全て数値に置き換わっている気がしてなりません。
この資産公開にしても、資産の多い少ないで、政治家のクリーンな度合いを図っているようで、なんともしっくりいかない今日この頃です。


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「生まれ変わるなら、また日本日の丸がいい!」
本日は、地元鹿児島で応援してくださっている、元鹿児島県議の増留貴朗先生とお会いしました。

増留先生は、現在は鹿児島の郷土史を、日本の近代史(特に大東亜戦争史)と照らし合わせながら研究しているとのことで、私の知らない郷里の話をたくさん聞かせてくださいました。

例えば、鹿児島の国道3号線沿いに「鹿児島県立短期大学」があるのですが、そこら一体は、かつて日本帝国陸軍、歩兵第四十五聯隊の敷地でした。明治以降、陸軍の連隊としては最後にできた歩兵聯隊で、西南戦争で政府に牙を向いた「薩摩」に、軍を駐留させることを最後まで警戒していた証でしょう。
今では営門の名残がわずかに残っていて、校内には大正七年に昭和天皇(当時は皇太子)がお手植えになった楠の木が今でも葉を茂らせています。

でも、一体どれくらいの鹿児島の人が、そのような郷土史を知っているのでしょうか・・・。

昨今の鹿児島の子供達には、明治維新における西郷南洲翁や大久保甲東翁の偉業、あるいは日露戦争における東郷平八郎元帥の武勇等が、伝わっているのでしょうか?

国家観を養うにおいての「歴史教育」の重要性は、いまさら言うまでもないのですが、その歴史観は、このように自分の育った郷里がどのような歴史を歩み、そこからどのような先人たちが巣立っていき、どのような思想(考え方)を大切にするお国柄(県民性)であるのかということを知らなければ、「私」と「国」が繋がっていかないと、私は考えるのです。

国政も、自己のアイデンティティーの根幹となる地域から離れて考えていると、「鳥の視点」となり、大局を考えるが余り、足元を鑑みる「虫の視点」を失って、理念や体裁ばかりに囚われた「絵に描いた餅」になるのでしょう。


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