昨日、父が救急車で運ばれた時
おかしな判断基準を持っている自分に気がつきました。
母からの電話で
父の容態は急を要することはないとわかり
すぐに病院に駆けつける必要はない
母も落ち着いていて1人で大丈夫だという
私も昨日は仕事が入っており
金曜日は忙しいので休むわけにはいかない
「父の容態は急を要さない」
「母も大丈夫と言ってるから行かなくてもいい」
「それに仕事を休むわけにはいかない」
(だって、人が少ないし休んだらみんなが大変になる)
って!おいっ!
自分はどうしたいん??
全部、相手の都合に合わせてるやん
アンタはどうしたいんよ!!
父・・
母・・
職場の人たち・・
確かに判断基準が目の前の状況と他人都合になってる
父が急を要すれば行く
母が来て欲しいと言えば行く
会社が大丈夫なら行く
そうじゃないなら行かない
で?私は??
「私はどうしたい??」
私は・・・
頭が真っ白になる
昔に比べて随分自分都合で生きられるようになったのに
ふとした時にはまだまだ
他人都合で動いている自分がいる
(特に両親が絡んでくると尚更な気がする)
もう一度聞いてみる
「私はどうしたい?」
どっちでもいい
来てと言われたらいくし
そうじゃなかったら行かない
それに来てと言われたら会社にも休むと言いやすいけど
言われてないのに休むのは心苦しい
なんとも他人任せ。
そして無責任。
これだと何かあったときに人のせいにできる。
げんなりする
今までこの思考で、判断基準で、自然に動いてきた自分に当たり前ささえ感じる。
もういい加減抜け出せ
いつものように
なんでもないことのようにやり過ごそうとする自分を捕まえ
その場に居座らせる
「私はどうしたい?」
しばらく判断のつかない自分を感じてみる
すぐに「父と母のそばにいてやりたい」と言えない自分に冷たさを感じて情けなくなる
外は大雨・・
仕事行くのめんどくせーな
父と母には全く関係のない声が聞こえる
あぁー休みたい
父が救急車で運ばれた時ぐらい休めばいいやん
(急を要さないけどw)
休んでのんびり父と母と過ごそっかな
第一声、仕事に行くのが嫌な自分
そして父の容態は自分にとって都合がいい
なんともけしからん私の本心
だけど、なぜかスッキリする
そしてそんなけしからん自分に面白さを感じる
両親と職場の人からすれば
人手なしで無責任な人やつだけど
私はこの人手なしで自分勝手な自分がとても気持ちよくて笑えてくる
すぐに上司に電話を入れる
「父が救急車で運ばれまして、ついててやりたいのでお休み下さい」
本当のことだが
実際、父の容態は関係ない
だるいから休みたいという声は伏せておく
多少大袈裟なぐらいでちょうどいい
いい感じに立ち振る舞えてしまえる自分にまた笑えてくる
「わかりました」と言ってくれる上司に感謝。
すぐに化粧に取り掛かり身支度を始める
父のことはそっちのけで仕事を休めたことに心がウキウキする
さぁ!!
今日は存分に父ちゃんと母ちゃんと過ごすぞ!!
結果、検査検査で朝から昼の3時ごろまで父には会えず
ひたすら母と待合で待ってることになるんだけど
そして、父も入院することになるんだけど
それでも私の心は晴れ晴れで
もちろん父の様子は気にはなるんだけど
なんというか
腹をくくれてるというか
目の前の一つ一つの状況も浮き足立つことなく
冷静に受け入れいる自分に安心して身を任せることができ
ある意味、心地良さを感じていました
どこでもない
自分がここいいる感覚。