「力が入りすぎていた」

 

Happyちゃんの配信を聞いていてそう思った

 

 

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力が入りすぎていた

 

 

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身体はあちこち痛くなっている

 

脇腹、腕、側頭部、顎関節、腰、股関節、膝、足の裏

 

昨日は痛みが強く、薬を飲んで眠った

 

 

 

昨日、仕事をしながらなぜこんなに体が痛むのか?と

 

身体に投げかけてみた

 

 

「私の身体はこの痛みを使って何をわかって欲しい?」

 

「この痛みを味わうことでのメリットは?」

 

「ぶっちゃけ、痛みのある身体の状態で今どうしたい?」

 

 

答えはピンと来なかった

 

痛みがあるから休みたいのか?と、問えば

 

そうでもない。と返ってくる

 

どちらかといえば、もっと動きたがっている

 

でも、痛みがあるのは辛い

 

だからとてももどかしく悔しい

 

という身体の反応。

 

 

 

実際、休みの日

 

何もせず横になっていると

 

逆に身体がこわばり動きづらくなる

 

 

 

身体は動きたがっている

 

だけど動けば痛みが走る・・

 

 

 

痛みは何を伝えたいのか

 

 

何を止めたがっているのか・・

 

 

 

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挑戦ではなく娯楽、遊び、休息。

 

 

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Happyちゃんにとってエンタメは挑戦ではなく娯楽だという

 

(お金を動かすことはゲーム)

 

だから難なくできる

 

そこに恐れも力みもない

 

だけど、山を登ることは挑戦になっていた

 

 

 

8000メートル級の難しい山を何度も登頂している女性は

 

山を登ることは休息なのだという

 

そこに恐れも力みもない

 

 

 

 

【山を登ることは私の挑戦だ】

 

【山を登ることは私の休息だ】

 

 

それを身体に通した時

 

身体はどんな感覚になるか

 

 

挑戦といえば首のあたりに力が入り気が上に上がっていくのがわかる

 

 

休息だといえば身体が緩み気が下に下がっていくのだわかる

 

 

Happyちゃんはこの身体感覚が大事だという

 

 

この緩みが成功に導き

 

この力みが恐れや身体の疲れとなり、重いものへと変わっていく

 

 

 

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私は力が入りすぎていたのかもしれない

 

一時期は仕事は私の中で遊びとなっていた

 

 

毎日の遊び

 

友達と喋り、笑い合い、その間に手を動かし仕事という作業をしている

 

そして作業や接客さえも遊びの一つだった

 

 

 

今もそれは変わっていない

 

仕事は気楽だし作業も接客も楽しい

 

が・・

 

一年半前、店長がいなくなった

 

 

 

あの時から

 

「私がしっかりしなくては」

 

が、インストールされた気がする。

 

 

 

1日の流れ

 

役割分担

 

慣れない人には任せられないやるべきこと

 

 

 

「ちゃんとしないと」「しっかりしないと」の積み重ね

 

 

 

身体に走る力み

 

蓄積される疲れ

 

リセットされない身体

 

 

 

これが今、身体に痛みとなって現れてきている

 

 

なるほど

 

 

そういうことか・・

 

 

 

身体は

 

もうその【力み】は必要ないのだと

 

言ってきていたのだ

 

 

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そして、ここまで書いてくると

 

その状況を起こしていった根っこまでも見えてきた

 

 

 

私は1日の流れ、役割分担、任せられないことを担うことで

 

得ていたメリットがあった・・( ̄▽ ̄;)

 

 

それは

 

 

出来る私

頼られる私

人の上に立てる私でいることで

 

 

味わえていた【優越感】

 

 

ケーーーーーーーーーーーーーーーッ!!

 

 

( *`ω´)

 

 

ほんまやめてほしい!

いい加減にしてほしい!!

絶対いらんやつやん!!

 

 

と怒りを覚えながら

 

 

 

確かに悦に浸っていた自分に身に覚えのある私

 

 

(T ^ T)

 

 

 

あーーーーーーーーーー・・ホンマにやめよ

 

 

 

身体が教えてくれる

 

絶対にいらん思い込み

 

 

 

痛みのメリットというより

 

痛みを起こした状況の中にあったメリット

 

 

そこにあった私の弱さ、手放すべきもの

 

 

 

 

 

 

仕事はお遊び

 

 

しっかりする必要もないし

ちゃんとする必要もない

 

 

出来る私も

頼られる私も

人の上に立つ私

 

 

必要ない

 

 

ただ気楽に

 

その場を楽しんでりゃいいだけ

 

 

 

さて私、

 

 

「今の身体感覚は?」

 

 

 

「呑気で何の役にも立たない私でいたら何を奪われそう?」

 

 

 

「それはほんと?」

 

 

 

”自分の居場所がなくなる”

 

”存在意義がなくなりそう”

 

 

 

それを与えられるのは

 

外側からのものじゃない

 

私の内側

 

私の身体感覚

 

呼吸に意識を向けて

 

今ここにある感覚を身体全部で感じていこう

 

 

 

ひらく とおる 広がる 繋がる 包む 沈む

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの投稿

 

パソコンに向かう時間を作らなかったので

 

当然といば当然w

 

 

ここ1ヶ月、えりりんの『呼吸・背骨ワーク』を朝にしており

 

心がとても静か

 

落ちることもないが、

 

今ある思いを書きてくなるほど気持ちが昂ることもなかったので

 

ブログ投稿が遠い存在となっていました。

 

 

とはいえ

 

呼吸・背骨ワークのおかげか

 

いつもとは違う感覚でいるのも確かで

 

そこからの気づきや思いつきが出てきてはいた

 

 

「そろそろ、アウトプットしたいんだけど」

 

 

数日前から

 

そんな思いが私をノックしてきており

 

お仕事がお休みの今日

 

ようやくここにたどり着けた。

 

 

さて、「改めて何を私はここに書きたい?」

 

と、自分に問いかける。

 

 

『そうだね、時計の話を今日は書こうかな』

 

 

 

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去年、大好きだった掛け時計がついに壊れてしまった

 

我が家のシンボルともなっていた時計で

 

それは子供達もお気に入りでした

 

 

時計がなくなり不便さもありましたが

 

大好きな時計の2代目になるので


お気に入りが見つかるまではそのままにしておくことしました。

 

 

 

気がつけば、時計がないまま年が明け

 

時計のない生活にすっかり慣れてしまい今に至っています。

 

 

 

さて、あなたのお家には

目の届くところに時計はありますか?

 

 

当たり前にあるその時計が無くなった時のことを

想像したことがありますか?

 

 

 

時計が無くなると

数日は時計がないことに不安を感じるでしょう

 

「今、何時?」

 

意識的に時計を見ていることもあれば

 

1日の流れの中で無意識に時間を確認していることにも気づくでしょう

 

 

 

少し前の私なら

 

その不安を安心に変えたくて簡易なものでもいいからと

 

すぐに時計を置いていたことと思います

 

 

 

だけど、私はチャレンジしてみたくなった

 

”時間に縛られない暮らしとは”

 

 

「どうなっちゃう???」

 

そんな好奇心の方が勝ってしまったのです

 

 

 

もちろん、仕事のためや友達に会うために家を出る時間や

眠る時間や起きる時間

好きな番組を見るためにも時間は気になります

 

 

だけど、あえて、


身体の感覚で動いてみたらどうなるんだろうかと


試してみたくなったんです。

 

 

 

家族がいるとそれも難しかったでしょうが

 

おかげさまで今の私は気楽なおひとり生活

 

いざとなればスマホがあれば


時間の確認はできます


 

 

 

結果、どうなったと思います?

 

時計がなくっても

 

1日は何事もなく流れるということです。

 

 

 

時計を見ずに朝の支度をする

 

時間を気にせず気の向くままにのんびりしてみる

 

食べたくなったらご飯を食べ


眠くなったら布団に入る

 

 

 

確かに、気がつけば太陽が高い位置にあり

慌てて洗濯をしたこともあります

 

日中、のんびり過ごしていたら

気がついたら外が薄暗くなっていたこともあります

 

仕事に遅れそうになったどころか

仕事に遅れたこともありました

 

 

それでも、なんの問題もありません

 


 

 それどころか

 

時間に縛られない私でいると

 

遅刻をしない私がいました

 

 

私はいつも時間ギリギリ人間

 

毎日慌てて職場に駆け込むというのが常でした

 

 

それが時計を見ずに生活している今の方が

余裕を持って仕事に入れるようになったのです

 

 

なぜかな?と考えたところ

 

時計があった時は「あと数分大丈夫」と

 

のんびりやでズボラな私は

 

時計があることで逆に時間ギリギリまで動いてなるものが精神でいたことに気がつきました

 

 

時計があることで

そこに無理矢理やらされている感があったのかもしれません

 

 

時計のない今は

 

自分の感覚で動く



動きたい時に動くから縛られているような無意識な息苦しさがありません

 

 

そろそろ、動きたい

 

何となく掃除がしたい


このまま準備をしてしまおう

 

 

そこに「何時だから」という思考が入ってこず

 

 

流れるように無理なく事を済ませている私がいるようです

 

 

先ほども言ったように

 

もちろん、のんびりしすぎる日もあります

 

気がつけば思いもよらない時間になっていたこともあります

 

 

だけど、

 

それでも大丈夫なのです

 

 

そんな信頼関係が

 

自分とこの世の中に築けた気がします。 

 

 

 

 

 

 

 

私が恋愛リアリティーにハマるのは

 

いろんな人たちの心模様が見えるから

 

 

同じ出来事でも、

 

見る人によっては

 

それは全く違う受け止め方をしたり

 

 

「好き」という思いがあっても

 

それを表現する人と表現しない人とでは

 

これからやってくる未来の形が違ってくる

 

 

好きという表現も

 

自我が強い人とそうでない人とでは

 

相手への伝わり方は違ってくるし

 

 

伝える側だけでなく受け取る側も

 

それを素直に受け取れる人と

 

そうでない人との違いもまた面白い

 

 

表面だけで話す人は画面越しでみていても

 

魅力が半減して見えるし

 

自分を持っている人の行動は

 

当事者だけでなく

 

みているこちらの心も魅了される

 

 

弱さを隠している人は

 

違和感として相手に思いが伝わり

 

結局、意中の相手には振り向いてもらえない

 

 

だがしかし、

 

中には

 

「なんでこの人がいいのか」

 

なんて思う場面もあるが

 

そこは、私が思う以上の広い視点で

 

その人はこの世の中を生きているのだろうと感心してしまう。

 

 

 

 

久しぶりのブログで

 

なんでこんな話を書きたくなったのかというと

 

 

今日友達と話していて

 

私は本当にその人の奥にある想いに触れるのが好きなのだと思ったから

 

人の心の内側というのは

 

本当に面白い。

 

 

 

 

世の中を楽しんで生きていく人と

 

そうでない人の違いは

 

 

社会が認める成功者ではなく

 

この自分という人間を

 

いかにありのままの姿で受け止められているか

 

そしてそれを世の中に表現しているかなんだろうなと

 

 

 

そして、私は?・・・

 

 

と、疑問が浮かび上がったところで

 

今日の投稿を終わりたいと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子から連絡が入った

 

 

ちょっと気を遣いながら申し訳なさげな声

 

だけど、私に余計な心配をかけさせないよう極めて明るい声で

 

今の状況を私にもわかるように話してくれる

 

 

私は、しっかり者でもなく世話好きでもなく

 

世の中の難しいげな話からは、そっと距離を置くタイプなので

 

今回の件も、ほぼ顔を突っ込んでいない

 

 

なので息子は

 

なれない場所に行き、難しい話を頑張って理解しようと努め

 

自分一人で今の状況を切り開いていかなければならない

 

 

正直、私の離婚調停なんてものは比にならないだろう

 

 

「この先の自分の未来がどうなってしまうのか・・

 

正直とても怖かった」

 

 

 

と話してくれたのは

 

電話を切る直前だった

 

 

故意にではないにしろ

 

自分のやったことへの後悔を何度したことだろう。

 

 

 

ことはあまり良くない方にもいい方にも進んだようだ

 

まだまだやらなければならない事も

 

まだ決まりきっていない事もあるが

 

何も見えていなかった時のことを思えば

 

随分気持ちも軽くなったようす。

 

 

 


 


 

後ろから朝日が

私の背をあたたかく照らしてくれる

 

 

「あなたは素敵な息子を持ったね」

 

 

そう話しかけてくれているように感じる

 

 

 

「普通は」とは・・

 

もう「普通は」が私にはわからない

 

 

普通は、もっと悔やむのだろうか

 

もっと不安に駆られるのだろうか

 

世間の目が気になってしまうのだろうか

 

もっと、親が先になってあれこれ助けてやるのだろうか

 

 

それを想像したとき

 

胃のあたりがキュッとなった

 

 

そんな思いが湧いてくる母でなくてよかった

 

だけど、

昔の私なら・・そうだったかもしれない・・

 

 

 


息子の話を聞きながら

 

私は何の心配もしていなかった

 

「何があっても大丈夫」

 

その思いが私の腹には座っている

 

 

むしろ、息子なりにこの状況を切り抜けている姿に感動すらする

 

それに息子には、

この状況だから見えてきた世界があるようだ

 

 

息子の話を聞きながら

 

私はあの子の素晴らしさを心から感謝した

 

  

 

 

息子の思いを汲み

 

息子を応援してくれている人たちにも

 

感謝。

 


 

 

 

 

 

静かな

 

とても静かな朝。

 

 

 

雪が降っている様子を見なくても

 

その様子が私の内側に入ってくる

 

 

あまりの静けさに

 

身体が落ち着かないので

 

お気に入りのピアノ音楽をかけてみた

 

 

静けさが柔らかくなった

 

 

雪がもたらす静けさが

優しく私の内側の静けさと同調してくれた






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに曼荼羅アートを描きたくなった

 

 

頭で描くのではなく感覚で描くアート

 

 

綺麗に描くための選択ではなく

瞬間瞬間、気になった色を選択

 

 

ここにはどんな色を載せようか

 

もう少しこの色を足したい

 

ここは強く消してみたい

 

 

そもそも曼荼羅パステルアート自体が

 

感覚にアプローチする描き方なので

 

自分の思い通りにすることのほうが難しい

 

 

目の前の工程をふと思った通りにやってみる

 

すると最後には

 

思いもよらない模様が用紙に広がっている

 

 

 

 

今回のテーマは

 

【大切にしたいもの】

 

 

出来上がりから出てきた答えは

 

 

「好奇心」

 

 

まだ知らない自分を迎えに行くときの

静かな傾き

 

 

 

そして一晩経った今

 

 

「もっと思い切って輝かせたい」

 

 

という思いが出てくる

 

 

どこか自信がなく控えめ

 

これくらいかな?のもう一歩先

 

 

その力強い一歩を

 

今後の私に期待してみた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやくここに辿り着く

 

 

あれやこれや浮かんでは消え

 

この時間をとりたいと思いながら

 

日常に流されていた

 

 

 

「おかえり」

 

 

「ただいま」

 

 

 

大したことではないが

 

やりたいことが頭の中に溢れている

 

 

何から手をつけようか・・

 

 

 

この時期はいつもそうだなと思う

 

 

年末年始

 

一つの、とてもわかりやすい区切りがこの時期にある

 

 

おかげで気持ちがいつも以上に飛び跳ねる

 

 

そして、その飛び跳ねに乗っかりきれない私が

 

めんどくさが理由に動きを鈍らせる。

 

 

「私は自分に嘘をついていないか」

 

 

ようやくそのめんどくさがりの私から解放され

 

ここにやってこれた

 

 

今更、新年の挨拶もわざとらしくてする気になれない

 

 

なので

 

 

「みなさん元気に過ごしていますか?

 

私は相変わらず

 

いつものように元気に過ごしています。」

 

 

 

また今年も

 

気まぐれに私の思いを

 

ここに書いていきたいと思います

 

 

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今日のタイトル

 

 

【自分に嘘をついていないか】

 

 

ふと頭の中にやってきたメッセージ



そして、動こうと思えたメッセージ

 

 

必要な人に届きますように

 

 

 

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先日見た

 

夕暮れの写真を貼っておきますね

 

 

感じているものを

言葉にするだけでその感動が薄れそうです

 

 

 

 

 

 

今日はこれぐらいで終わりにしますね

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

夜と朝の間にある

とても静かな時間

 

 

いつもそこにあるもの

 

 

その静けさに

今日は身を置いてみた

 

 

 

その境界線があいまいなように

 

外の静けさが

私の内側と同調する

 

 

言葉には表せない心地よさが

 

ほんの数秒

 

わたしと溶け合いながら広がる

 

 

 

遠くで始発電車が走り出す

 

下の階から物音が聞こえる

 

先程までの雨音には

いつの間にか朝らしさをまとっていた

 

 

「もう少し・・」

 

 

も、むなしく

 

 

いつの間にか朝はやってきていた

 

 

 

 

 

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無事に51歳の誕生日を迎え

またいつもの日常

 

誕生日あたりから

ここに書きたいことは山ほどあったんだけど

 

なかなかパソコンに向かう気になれず

今に至る・・・笑

 

 

 

それにしても

 

誕生日前あたりからの

 

私の中で何かが変わろうしているのを感じる

 

どの選択も、

 

今までの私とは違うものを選び出しているのだ

 

 

 

そして今日、

 

その何かが見えてきた

 

 

 

私は何にを味わいたくてこの世界にやってきたのか

 

なぜ、このような人生を歩んでいるのか

 

私という存在は、どんな光を纏っているのか

 

そしてこれから

 

私はどのように生きていくのか

 

 

 

まるで厨二病のような気づきだがw

 

今まで知りたかったことが見えてきて

 

身体も心も過去の私も喜んでいる

 

 

 

とはいえ、

 

現実は何もかわっちゃいません

 

いつものように起き

 

いつものように家を整え

 

いつものように仕事に行く

 

 

だけど以前と違うのは

 

その一つ一つが

 

なんだか楽しいものになってきています。

 

 




おべんぴもおかげで治った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真理芝居108をやった後

 

出てきた思いと身体の反応で

 

私の中で何が起こっていたかに気付くことができた。

 

 

 

【真理芝居108】

 

忘却の時間。

 

 

肉体から魂が離れ

 

いわゆる死を迎えたその後、

 

次の人生を迎える”転生”のために

 

今世の記憶を全て消す瞬間

 

 

 

本当にそんな世界があるのかどうかなんて

 

今はどうでもよくて

 

 

大事なのは、

 

この人生が終わり

 

まだ残るこの人生の記憶さえも消えてしまうその瞬間を

 

この身体に感じさせてあげること

 

 

 

この人生の記憶さえも消えてしまうその瞬間

 

私は何を思うのか・・・

 

 

 

「誰を愛した」  

子供達、そして両親

 

 

「何を恐れて生きてきた」

私が幸せじゃないという事実

 

 

「何をやらずに終わろうとしている」

私は本当の力で生きてきていない

 

 

「誰にありがとうと言いたいか」

子供達、出会ってくれた全ての人

 

 

「本当にやりたかった事は」

 

 

「私が最後に求めていたものは」

愛する力

 

 

「叶えられなかった夢は」

目の前の人を幸せにすること

 

 

「これが最後の息なら、何を残す」

この世界にありがとう

また、この世界に戻ってきます

 

 

 

 

私はもっと子供達と過ごしたかった

もっとこの美しい世界を味わいたかった

この人生に心からの後悔と、感謝を

そしてまた、必ずこの世界に戻ってきます

 

 

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