振り返り日記

 

 

 

 

 

2週間の入院後、意識を失ってから4日目

 

「こんなの慣れたくないけど、だんだんおじいちゃんの意識ない状態に慣れてきた」

 

と息子。

 

 

確かに意識がなくなってから

 

いつ父がいなくなってしまうかと怖くて仕方なかったが

 

思った以上に人間の生きる力というのは素晴らしく

 

もちろん、今の医療があってこそだけど

 

今も父の命は繋がれている

 

そして、その状態に私たちも慣れてきた。

 

 


目を開けることも、話すこともできないけど

 

父は私たちの声をちゃんと聞いている

 

ただそれだけを頼りに

 

みんなそれぞれに声をかけている

 

 


姉はいつも以上におしゃべりになり

行き始めた新し職場の話をひたすら父の耳元で話しかけている

母はいつも以上によく喋る姉に

「あの子はあんなに喋るの子やっけ?」

と私に聞いてきたくらい。

 

 

息子はずっと父の付き添いをしてくれているので

 一番父と話をしてくれているだろう

 

それは一方的なものかもしれないけど

息子なりに私たちのいないところで

思い出話や自分の近況を父に話してくれているのだと思う

 

おかげで息子は話せない父の代わりに父の状態をよく把握しており

その体調を私たちに説明してくれる

 

正直、ずっと病院で付き添いをするのはすごく大変なこと

現に、付き添いの申請をした時

息子の名前だけで1週間と書いた時は看護士さんが確認しにきたくらいだ


そんな息子に家族一同感謝でしかない。

 

 

息子に言わせれば

「俺がおじいちゃんと居たいだけ」だそうだが

1人を寂しがった父を知っているから

誰かが父のそばにいてくれるというだけで

私達家族は心強い

 

 

母は静かに父のそばにいる

 時折、父の手を握り

 「早く帰ってきてな」と声をかけている

以前のように辛口の母は今は見当たらない

 あとは息子や来てくれた人と

 たわいのない会話を楽しんでいる。

 

 

私もいつも通りを心がけている

父に心配させたくないので

大袈裟に今の状況を嘆きたくないし

かといって今の状況をない事にして

大丈夫なふりもしない

 

いつものように

「お父ちゃんおはよう」と病室に入り

「由美子がきたで」と父のそばにいき父の体調を伺う

そしていつも通りに

母や息子とおしゃべりを始める

 

それは実家のリビングにいる時のように

 いつも通りの会話をしている

 

前提は「父はいつも私たちの声を聞いている」ということ

そして、「今の状況は何も大変なことではない」ということ

そして、大切にしたいことは

 「父が一番安心して過ごせるように」ということ

 

 

どこかですでに書いたかもしれないが

私が長い入院をして不安が多い中

来てくれた人が「なんて事ない」という態度で

いつも通りそばにいてくれたことが

 一番私の安心に繋がっていたからかなと思う。

 

 

兄は私たちの前で父に直接話しかけることはあまりなかったが

兄の息子達や母やうちの息子と話すことで

何気に自分の近況報告を父に聞かせているんじゃないかと思う

 

彼が加わると途端に病室が賑やかになる

そこにうちの息子が加わると

声を上げずに笑うことが出来ないほどだ笑いが絶えない

きっと病院内では似つかわしくない

賑やかな病室ではないかと心配してしまう

 

 


皆それぞれに

 

父と関わっている

 

時にはぶつかりながら

 

父を大切に思う気持ちで繋がりあっている

 

 

 

きょうだいほぼ関わることがなかった私たちに

 

遠く離れた孫までやってきて

 

父を囲んで今その距離を縮めている

 

 

 




 

父の意識がなくなってから4日目の朝

 

昨夜、息子と一緒に父のそばで一夜を明かし

 

父の容態の急変についていけなかった気持ちが落ち着いてきた

 

というより

 

無理を押してまで父の元で一晩を明かし


息子と一緒に父のことや自分達の事を


いっぱい話したことで

 

思わぬ状況になった父の姿をようやく受け取れ

 

「いつ何が起こっても後悔しない」


「いつでも父を見送れる」

 

そんな覚悟ができだ気がする。