福島第一原発事故直後に
現地にて保護活動をしたときのブログ記事を、みんさんが送ってくださいました。
みんさんは、とんさんのパートナーさんです。
おふたりは、私の(市民活動においての)お父さんとお母さんです。
みんさんの油絵を私が頂くことになりました。
みんさんとは、明日に向かって、の川井満さんです。
私には自分が書いたこの過去記事がうまく見つからず、また、コピーもうまく出来ませんので、スクリーンショットで貼り付けてみます。
いつも読みづらい、雑な作業で、申し訳ありません。
当時の恐怖がよみがえります。
あのときには、皆だれもが、死ぬのを覚悟しました。
でも地域猫も犬も抱えながら、たとえ福いちが爆発して国土が住めなくなったとしても、逃げ出すことはあり得ませんでした。
2011.4月の記事を改めて掲載いたします。
あのときの日本を、皆様に、思い出して頂きたいです。
解決はされていないどころか、ますます悪化しているのです。
私は、12月の県議選を前に。出馬する自民の県議ひとりひとりに、聞いて回りたい。
東海第二を、動かすのかどうか、はっきり、
考えを示せ、と。
言葉を濁すべきでない。
これを、茨城県でも、起こすのか?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20181114/07/capin-blog/60/06/j/o0607108014302821406.jpg?caw=800)
by 鶴田おかめ