昨日、食事をご一緒させていただいた記者さんたちが
さらりと「今からでも間に合いますよ〜」とおっしゃってました。
私が高校生から大学生の頃、ジャーナリストになりたかったという話です。


今から、ジャーナリストになりたいかなぁ。どうだろう。
刺繍製品のデザイン案をちくちく縫いながら考えましたが、


うん、多分、ジャーナリストらしいものには、私はならないだろうなぁ。


事件や事象の取材を通して人や状況と向き合い、
細やかに裏を取って人に伝えるお仕事に従事する人たちを、私は本当に尊敬します。
私ももっと、裏を取ったほうがいい。事実を追求したほうがいい。

一方で私がやりたいことというのは、
事件の中にいる人を追うことではなく、
そこに事件がなくても人の気持ちを知ることだと思うのです。

何気なく誰かが口にした、呟きやため息のような言葉。
内に秘めた気持ちが外にこぼれ出る瞬間に、立ち会わせてもらうのが好きで、
それを誰かに届けることで、何かが良い方向へ変わればいいなと思っています。
(迷惑にはならないように気をつけたいところ。)


届けるからには、届けたい相手のことを考えながら文章を書きます。
それは宛名を書かないラブレターみたいなもので、
私はずっと、ラブレター・ライターを続けていくんじゃないかなぁと
何となく知覚しているのでした。


とはいえ、私の人生時計は8:39。
何か変化が訪れるなら、アハラン・ワ・サハラン(welcome)です。
30代もまだ始まったばかり、駐在もあと4ヶ月半、
さぁ、何か起こるかな?


エルサレムに来て早1ヶ月半。
私がこちらでひっそりと、探し続けていたものがありました。

それは、

Makkapakka人形。



説明しよう!
Makkapakka(マッカパッカ)とは、
イギリスBBCの子ども番組「In the Night Garden」に出てくる
架空の生き物である!

イギリスをはじめ、翻訳版が放送されている中国でも子どもの間で大人気。
主人公を差し置いて、人気No.1を誇るらしいです。
ちなみに「マカパカ」としか喋らないです。
 

そんなマッカパッカ、
さぞかし可愛いだろうと思いますでしょう?






ぜんっぜん可愛くない。

(ちなみに生みの親はテレタビーズと同じらしい)



うん、可愛くない。(二度言うか)
しかも何かカオちがうよ?




それでもこれを探し求めていた理由ですが、
娘のあかりどんが、マッカパッカに夢中でして…。
イスラエルでやっと見つけた中国製のビニール人形(約450円)を、
これから日本へ郵送するのであります。

(ちなみに、日本では全く知られていないために、
 Amazon.jpで探すとぬいぐるみが1万円くらいします。本気か。)


大事にしてね、あかりどん。ママは相当探したよ。
ちなみに、エルサレムのヤッフォ通りにあるオモチャ屋さんで見つけまして、
最初に店主のおっちゃんに「これ探してるんだけど!」と画像見せたら
「ないよ!聞いたことも無い!」と一蹴されましたが、
めっちゃレジ横にありました。
おっちゃん、仕入れたものは覚えとき。


参考:In the Night Garden
「神様がいるなら、どうしてガザの子どもが死ななきゃいけないの。
 なんで罪の無い人が、まだ若いのに殺されたりするの。
 神様は不平等だよ。どうしてなの?
 ずっと考えてきたけど、私はやっぱり納得できない。」


旧市街の土産物屋通りで仲良くなったムスリムの兄ちゃんと、
気がついたら2時間半も話し込んでいました。
エルサレムの暮らし、占領のこと、イスラエル人の感覚のこと、
ガザのこと、お店のこと、観光客のこと、言語のこと。
いろいろ話した末にたどり着いたのは、宗教の話でした。


冒頭の私の問いに、
兄ちゃんは少し困った顔で、ぽつぽつと答えました。


「未来を奪われた人の話を聞くたびに、本当に悲しいと思うよ。
 そんなことが起こるべきではないと思う。

 でも、僕らの未来は、神様がきちんと書き留めているんだ。
 それは誰にも見えない。神様しか知らないんだ。
 それまでの間、僕らは生かされている。

 魂は、生命は、神様が与えてくださる奇跡だよ。
 だって、そうだろ? 人間は、生命を創ることはできないんだ。
 肉体をどんなに再生できたって、生命は無理だ。

 だから、自分の命を断ってはいけない。
 他人の命を奪ってはいけない。
 若くして命を奪われた純粋な魂は、神様がきっと引き上げてくださる。
 逆に、命を奪ってしまった人間は、相応の罰が待っている。

 僕たちは、そう考えているよ。
 良いことも、悪いことも、神の思し召しなんだ。」



* * *


こちらの人々が口にする「Alhamd lillah(神への感謝)」は、
毎日多用されるようでいて、一つひとつに重みが込められています。


「元気?」「Alhamd lillah」
「仕事の調子はどう?」「(難しいね、でも)Alhamd lillah」
「この間の手術から、身体の具合は?」「(何とか生きてるよ)Alhamd lillah」


仕事を無くした人も、家を失った人も、
子どもが刑務所に入れられた人も、家族を亡くした人も。
困難な状況一つひとつを受け入れながら、神への感謝を呟くのでした。


私はまだ、身の回りで失われた希望や命について、
神様のご意志にゆだねることはできません。
「どうして子どもが死んで、殺した張本人がのうのうと生きているのか」
という被害者側の問いに、答える術を持ちません。


それでも、
神様のご意志に、シャツを引き裂き、歯を食いしばり、
魂の抜けた身体に泣きすがりながら耐えるこの地の人たちの、
試練を受け入れる(しかない)姿勢に、本当に頭が下がります。


私自身は、納得なんてできませんけれどね。
そんなことを思う、友人が轢き逃げで亡くなった日です。もう、5年になります。


(見せたかった風景。)
こんにちは、並木@エルサレムのパレスチナ側です。
さて、昨日は終業後、イスラエル側へ「プライド・パレード」を観に行きました。
「観に行った」のであり「参加した」のではない理由については、
後述したいと思います。


イスラエルでは毎年プライド・パレードがありますが、
テルアビブとエルサレムで実施されます。
テルアビブの方が規模が大きく、今年は6/2に実施。
参加者はメディアによると20万人。
7/21に行われたエルサレムのパレードは、参加者2.5万人だそうでした。
ここでの実施は15年目ですが、過去最大とのことで、
同行させてもらったイスラエル在住歴7年のにいちゃんS氏は
「こんなに大きくなったんだなぁ…」と感慨深げ。

ただこのエルサレムのパレードについては、
軍と警察により厳戒態勢が敷かれていました。


開始前、封鎖される道路。


封鎖。


ここがパレードが始まる道路。


それもそのはず。エルサレムのパレードでは、殺傷事件が度々起きています。
去年は反対する超正統派の男が入り込み、16歳の少女を殺害、6人が負傷しました。
犯人は以前も事件を起こした男で、釈放後の犯行でした。現在、終身刑
今年も何か事件を企んでいる…という疑いがかかり、兄弟が逮捕され、
この日は彼の家族がエルサレムから追放されていたらしいです。



反対派は、道の反対側でデモをしていました。
おそらく多くがユダヤ教の信仰が深めな人々だと思いますが、
そうでないヤンキー系もちらほら。
逆に、パレード側にも宗教派がいました。


「エルサレムはソドムではない」と書かれたプラカード等。


「イェルシャライム・ヒー・ロー・ソドーム」……。
この「ソドム」という単語を見て、
信仰が無いうえ勉強も浅い私はピンと来なかったのですが、
友人に聞いたところ、「ソドムとゴモラ」のソドムなのでした。
あああ…そういう話があった……。そうでした……。(恥)
風紀が乱れに乱れ、神の罰が下ったといわれる街なのでした。

世俗的なテルアビブに比べ、数々の聖地を抱える宗教的なエルサレムは、
こういったアンチも根強いのだと思われます。

近くで見ていたイスラエル人に少しだけ話を聞いたところ、
「この国は民主主義だけれど、必ず宗教が問題になるの」
とコメントしてくれました。
「複雑な国だよね〜。民主主義だとは思うんだけれど、
 この国、4分の1はアラブ人でしょ?」と返すと、
うん、と真面目な顔でうなずく男女2人組。
深入りはしませんでしたが、フツーの一般市民に見える彼らが
それぞれどんな風に物事を考えているのか、気になる並木でした。



なお、イスラエル政府内はプライド・パレードを
(どちらかといえば)容認し、推進する立場の発言が多く見られます。
宗教派にも基盤を持つエルサレム市長は立場の明確化を避けていますが、
首相なんかは大絶賛。
去年の事件の影響もありますが、ビデオメッセージまで寄せる支持ぶりです。

一方で、この政府の支持が「ピンク・ウォッシュ」なのではないか、
という指摘があります。
つまり、LGBTQの権利を擁護していることをアピールして、
他の人々の人権を守っていないことを隠してしまおう、というものです。
(特にパレスチナ人の人権侵害、イスラエル国内パレスチナ人の苦しむ格差等。)

そういった意味合いもあり、私は「参加」は避けていましたが、
性的マイノリティについても「政治」のツール化されてしまうイスラエルの状況が
何だか悲しいな、不本意だな、と思った次第でした。
一番不本意なのは、ほんとうに人権のことを考える当事者たちでしょうね。


別途、職場のブログのほうで、後日もうすこしまとめたいと思います。
今日はこれにて!
一ヶ月限定で住んでいた旧市街の家を、本日引き払ってきました。
正直大変悲しく、「もっと住みたかった…」という気持ちでいっぱいです。


ただ、このおうちで友人を泊めまくるのは限度があり、
8月からオンパレードな友人来訪・同僚出張予定も鑑みて、
もう少し自由のきくところに引っ越さなければならない、という事情もありました。
(家族に迷惑はかけたくなかった、というのもあります…男子は泊められないし。)

そして、治安。
最寄りのダマスカス門は衝突が起きやすいことで
最近外務省からの注意喚起が出ていて、
ただの学生ではなく「NGO職員」の身分で団体を背負わざるを得ない私も
注意せねば、と思った次第です。
(そもそも入植者とイスラエル軍が来なけりゃ衝突なんて起こらねえんだよ!
 とひっそり心中で憤る私。)


家族が、長女の婚約者くんを含めて本当に良い人たちで、
夜は涼しい風の通り抜けるバルコニーで彼らと談笑しながら
刺繍をするのが最近の楽しみ・幸せを感じる瞬間の一つでした。

お母さんのご飯は美味しいし、26羽もいる文鳥たちは可愛いし。
そして容赦のないアラビア語オンリーの暮らしは、
私の勉強にもなったのですが…。

様子を見て、またもどろうかなぁ。
もう既に、あの場所が恋しい私でした。



ある朝の旧市街。どこかにネコがいます。
仕事がお休みだった金曜日、友人と一緒に「ヤド・ヴァシェム」に行きました。
いわゆる、イスラエルのホロコースト記念館です。

10年前も何度か足を運んでいましたが、
改めて足を運んで、感じたことを綴っておきたいと思います。

* * *

ヤド・ヴァシェムは、エルサレムにある無料の施設です。
横倒しにした三角柱のような建物の端から入場すると、
まず在りし日のヨーロッパの、ユダヤ人コミュニティの映像を目にします。
物悲しく響く子どもたちの歌「ハ・ティクバ」(the希望、の意味)は、
今ではイスラエルの国家になっています。

それからジグザグと進んで行くと、私たちはたくさんの展示を目にします。
ヒトラー、ナチスの台頭。国家ぐるみで深まった反セミティズムの流れ。
ユダヤ人たちに次々に課される制限。奪われていく財産。
ドイツでのクリスタル・ナハト(水晶の夜)に代表される、暴力の嵐。
ゲットーの暮らし。そして強制収容所への輸送。
各地で行われた虐殺。収容所のガス室、焼却炉。
そして、地下的な抵抗運動。終戦。生きのこった人々のその後。
一つひとつ丹念に見れば、4時間はかかるように思います。
テーマがテーマなので、簡単に行き過ぎることはできない重みが
施設中に詰まっているのでした。

そして、薄暗い展示を通り抜けた最後に、光が溢れるガラスの扉。
そこを開ければ平和な緑と街並みが広がっていて、
「ああ、ここが”the Solution”なんだ」と思わせる建築様式になっています。
訪ねるたびに、ここは見るためのリテラシーを要する施設だな…と思います。

* * *

10年前、大学生だった時の気持ちはこうです。
「どうしてこの施設は、この問題を
 『人類全体への脅威』へと一般化しないのだろう?」

これは「○○人だから」という括りで終わらせるべきことではなくて、
世界のどこでだって、許されることではないのに。

その理由が分かるのは、
イスラエル政治について学ぶ授業をヘブライ大学で取ってからのことでした。
担当の先生がとてもリベラルだったことに、今でも感謝しています。


今回訪れてみて、数々の小さな展示から感じたことはこうです。
「展示が充実しているようでいても、実のところは
 あんまり触れられていないことが、案外あちこちにあるんだなぁ。」

触れないということ自体に意図があるのかどうかは不明ですが、
細かなことが気になります。(多分、あるんだろうけど。意図が。)

例えば、ユダヤ人たちが亡命した行き先に関する展示。
受け入れ先が次々と拒否をはじめ、中国しか行き先がなかった…
という展示はシンプルに「China」と書かれていましたが、
展示は日本語の証明書でした。
占領地中国で、日本の当局が、ユダヤ人に許可を出していた訳です。

日本に触れない、というのは本当に小さなことではありますが、
これは…日本がのちにドイツと組んだ敵国であり、
「敵」はシンプルに多い方がいいからなのか…?と理由を邪推してしまうわけです。
(日本の真珠湾攻撃に触れる展示はありました。
 ちなみに杉原千畝の展示は館内にはないです。外に木があります。)

次に、北アフリカのユダヤ人の迫害について。
フランス植民地であったモロッコ、チュニジア、アルジェリアにも
ナチスの魔の手が伸びて行くわけですが、
明らかにアシュケナジーム(ヨーロッパ系≒フランス系のユダヤ人)
である人々の被害には写真を交えて触れていても、
植民地化以前から住んでいたはずのミズラヒーム(中東・カフカス系のユダヤ人)
の人々が被った被害については、明確には触れていないのでした。

何故、触れないんだろう。
記録がなかった? それとも、被害に遭ったのはアシュケナジー系だけ?

ホロコーストはユダヤ人コミュニティ全体で記憶すべき悲劇であるはずです。
もとよりアシュケナジームとミズラヒームの間の微妙な緊張感もあるイスラエルで、
もし彼らが共通の被害に遭っていたならば、
それは積極的に展示すべきなのではと思います。

また、「何故ポーランド、ルーマニア、ハンガリーのユダヤ人が
犠牲者の多くを占めることになってしまったのか?」というのも分からない。
震源地だったドイツ出身の犠牲者が全体に占めるパーセンテージは、
案外高くなかったのでした。

この差は何故、生まれてしまったのだろう?
教育格差なのか、時流や政策だったのか。
展示では、ユダヤ人の中での「格差」には触れたくないのかもしれない。
そんなことを勘ぐったりもします。

そんな訳で、個人的に調べるべき宿題が増えました……。
そして、ナチス政権という極端な事例を扱うこの施設だけでは、
根強く残ると主張されている「反セミティズム」の存在を
確かめることはできないのでした。
(イスラエルで確かめるのはフェアじゃないのですが、
 イスラエルがどう押し出しているのかは知りたいなと思っています。)

他にも色々な展示があるらしいんですよね。
あと2つ3つ、イスラエルの博物館を見てみるかぁ。テルアビブも行くかぁ。
余暇にやること、いろいろです。
フランスでの事件について、パレスチナ・エルサレムの旧市街に暮らし続けている
ホストファミリーのおとうさんが、憤りながら話してくれました。

「マイ、ニュース見たか? フランスでの事件を見たか?
 私は夜中の1時に、中継で見てたんだ。まったくひどいことだ。

 犯人はムスリムだって言うが、彼は断じて正しいムスリムじゃない。 
 市民に対する暴力はいけないって、コーランに書いてあるんだから。
 無辜の人々を殺してしまったら、それは正しい行いじゃないんだ。
 捕虜の兵士にすら敬意を払うべきだって、イスラームは教えているのに。

 シリアで起こっていることだって、同じことだ。
 彼ら(ダーイシュ:イスラム国)は、ムスリムじゃないんだよ。」



「私は知っているけれど、これでまた世界中で、
 ムスリムへの偏見と差別が広がるんじゃないかって、心配なの」
そう返したところ、おとうさんは真面目な顔をして言いました。

「そうだ、またこれで差別が広がるんだよ。
 たった一部の間違った奴らの行いのせいで……。」



* * *


ホストファミリーの皆は敬虔なムスリム。暴力とは無縁で、
私は彼らと一緒に夜な夜な、お茶とフルーツをいただきながら、
たくさんの鉢植えと小鳥に囲まれた素敵なバルコニーで時間を過ごしています。

涼しい風が通り抜け、近所からは楽しそうな家族の笑い声。
教会の鐘の音や、モスクからの祈りの呼びかけが時折響く、
穏やかな場所でのひととき。
親戚や隣人たちの来訪。
「何買ったの?」「今日はどうだった?」と交わし合う、
とりとめのないようでいて、人と人とのつながりを育てていくようなお喋り。

それは本当に、文字通りピースフルな時間です。
こんな暮らしが誰かに奪われませんように。
パレスチナ刺繍を始めました。



図案は、職場で扱っている刺繍製品から取りました。
(ちなみにページはこちらカタログはこちら
 是非、どの柄か探してみてください。笑 注文も受けております〜。)


手芸品やさんに行って、布と針と好きな色の糸を買って、
ふんふ〜ん♪と縫いました。(たまに間違えてほどくのですが。)


ふんふ〜ん。

ふふ〜ん。

ふ…


はっと気付きました。


この色、


ファタハハマース
(パレスチナ業界用語でごめんなさい)


………。



下宿先の子がカッサーム旅団のイケイケな曲を聞いていて、
それで思い出しました。ハマースは緑だった。


というわけで、ちょっと政治的カラーになってしまったので
早速駄作となってしまいましたが、一応できました。
コースターにでもしようかな…。

(ほんとは、春のイメージだったんですけどね。)←元千葉県民




やってみて得たのは、
「見たままなのに、やってみるのは本当に難しい」
という、シンプルかつ深い気付きでした。
何度かほどいて手直ししましたし、
写真を見て確認しながら縫って、4時間かかりました。
つくり始めた2枚目は、目数が多かったのでもう一度やり直しです。

(2枚目は上のやつ。)

刺繍の針子さんたちはサッサカ縫ってしまうのでしょうが、
見たまま、示されたままをやってみるのは、
私にだって難しいことなのでした。

誰かに指示を出すとき、ちゃんと気をつけよう。
誰かにとって簡単なことが、私にとって難しいように、
私にとって簡単なことが、誰かにとっては難関かもしれないから。
 大学の選択授業で、近現代のヨーロッパに少しだけ触れました。ナチス・ドイツが、どうやって人々の間に亀裂を作ったのか。ヒトラーが、どういう話法で人々の心を動かしたのか。そういったことも、授業で学ばせてもらったのを覚えています。

 あのユダヤ人大虐殺も、最初はほんの些細な亀裂から始まったことを知りました。例えば政府が、人々の身分によって就ける仕事を分ける。貰える配給の量を変える。するとだんだん、人々の着るもの・食べるもの・話すことに、違いが出てきます。あの人が羨ましい、あの人は身なりが汚い、と、人々の心の中に隔たりができます。そして結局、様々な制限を受けたユダヤ人に対して、同情心が麻痺する社会が出来上がったわけです。
 戦後の収容所で遺体の山を見たドイツの人たちは「知らなかった」と涙を流しました。「いいえ、あなたたちは知っていたはずだ」と、生き残ったユダヤ人たちは答えています。サイレント・コンセント(無言の同意)こそが、誰かを裏切り、いのちを奪うのだと、犠牲になった人々は知っていたのでした。

 だからもし、私たちが「自分が・周りが人間らしく暮らせる社会」を創りたかったら、先ず細かな変化に耳を澄ませなければならないのだと、私は思っています。現政権が好きだろうと、嫌いだろうと、一つひとつの精査を怠る理由にはなりません。
 私を、私の娘を、友人を、大切にしてくれる政府かどうか。国や民族の名の下に、誰かの暮らしやいのちを奪う方向へ動いていないかどうか。ときに民主主義だって過ちを犯すものだと、歴史が証明しています。大切なのは、常に感性を研ぎすまし、必要であれば声を上げ、世界中に知ってもらうことです。

 選挙結果を見ながら、そんなことを考えました。


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「我々は完成を求めている。詩であれ絵であれ、教えであれ、人類の叡智を終結させた完成品を作り上げるために、それぞれが工夫し続け、智恵を絞り続けているのではないかと思うのです。」

『王とサーカス』(米澤穂信)

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友人K嬢にプレゼントしてもらった本の中で、印象的だった言葉です。
小説自体は、ストレートで読みやすい作品でした。
そしてこの二文に、メッセージのほとんどが集約されていたように感じます。

この答えの前に、次の問いがありました。


「なぜ書くのか、答えられません」
「この世には無数の詩、無数の絵、無数の教えがある。ですがそれでもなお人々は詩を作り、絵を描き、どうすればこの苦しいばかりの生に耐えられるのか考え続けている……。それはなぜでしょう」



* * *


私はたまに、「なんで自分はパレスチナにいるんだろう?」
「なんで自分は書いているんだろう?」と、ぼんやり考えます。

だって、そうです。
ここのことを一番真剣に考え、闘い、行動しているのは、ここの人です。
私はほんのちょびっと現地の言葉が喋れて、少しだけ人を知っているに過ぎない。
ここに、居させてもらっているだけなのでした。(しかも給料をもらいながら!)



ただ、留学時代から、稚拙にも信じていることがあります。
自己弁護にすぎないかもしれませんが。

もし誰か日本人が、ここに来て、人に触れ、何かを知ろうとしたならば、

留学生にしか見えず、そして留学生だからこそ見えないことがある。
ジャーナリストにしか見えず、そしてジャーナリストだから見えないことがある。
研究者だからこそ見えて、そして見えないこと。
NGO職員だからこそ見えて、そして見えないこと。
旅人だから分かって、そして分からないこと。
アラビストだから拾えて、そして拾えないこと。
それらが、確かにあるのだと。

それらを総合する努力なしには、ここは分からないし、
それらを一旦、「あなたにはそうみえるんだね」と受け取らなければ、
彼/彼女にメッセージを託した「現地の誰か」にも、
失礼かもしれないと思うのです。




様々な意見をもつ、パレスチナの人たちに会いました。

「イスラエル政府の占領下に入った方が、こんな政府よりよっぽどいい」
「2国家共存はあり得ない。エルサレムだけ独立したらいい」
「支援なんかなくなればいい。またゼロから始めなきゃだめだ」

一つひとつの意見の底辺に、もちろん「政治問題」が沈んでいます。
占領が終わらなければ、人並みの安全は得られない。
封鎖が解かれなければ、人並みに夢は描けない。
それを念頭に置きつつ、彼らは絞り出すように、意見を言うのです。


そこは踏まえつつも、
それぞれの背景、専門、言葉をもつ沢山の人がここで得た、
「肌感覚」と意見に、まずは触れてみたい。
見たものや知ったこと、感じていることを、フェアに交換してみたい。
そう、思っています。

まずは私も何かを提供できるよう、私なりに、ここに居させてもらって、
謙虚に、私に手の届くカケラを集めていたいと思います。
政治を、変えなきゃいけないんだけどなぁ。どうやったら届くだろう。
ここはいつも悩みますが。

ぜひ来てくださいね。パレスチナ。


(ビール飲めまーす。)