...と、問うていた高校入学前の春休みのことを、
娘のあかりさんの寝顔を見ていて思い出しました。

当時文通していた男の子は、
「世界には色々な神様がいて、インドには戦争の神様もいるんだよ」
と答えてくれました。
16歳の私はそれなりに合点しつつも、やっぱり納得がいかなかったのでした。
自分が享受する豊かさと、世界の状況に。

* * *


あかりさんの寝顔が無垢過ぎてまぶしくて、
世界中にいる彼女の同級生、お兄ちゃん、お姉ちゃんのことを想いました。
もしこの無垢さが輝きを放ったら、
スラムや貧困国こそが銀河のように光るでしょうに。

その周りで大人たちが好き勝手やっていて、
無垢な個体を被害者や加害者にしていくのだなぁ。

私はカミサマは信じないけれど、
16歳だった自分には、こう答えたい。


「神様がいるかいないかは分からないけれど、
大人が試されているんだよ。
大人、特に強くて恵まれた人が行動を改めていけば、
次の世代は同じ思いをしなくて済むの」と。



ガザの子ども(生後10日)


あかりさん(生後10日)
子どもの名前は「あかり」になりました。
あかりさんは今のところホントよく寝るのんびり屋な子で、
ギャン泣きするのはお腹が空いた時か、
母が上の空で授乳と別作業を同時進行しようとしている時のみです。笑
ごめんごめん、もうしないよ…。

*  *  *

「陣痛、痛かった?」と、このあいだ妹に訊かれました。
結論からいえば確かに「痛かった」のだけれど、もう忘れてしまいました。笑

私は「ソフロロジー式」という方法を選んで出産したのですが、
この方法のキモは以下の3点でした。
-----
1)陣痛は、子どもが出てくるために必要なエネルギーである。
2)陣痛で痛いのは一回につき50秒、呼吸を整えリラックスすれば乗り越えられる。
3)イメージトレーニングをして、出てこようとする子どもと息を合わせる。
-----


痛いのは子どもが出てこようとしているからだ、
痛い・頑張ってるのは私だけじゃないのだ、この子もそうなのだ、
とひたすら頭の中で繰り返しながら痛みを乗り切っていましたが、

この考え方は産後も大事かもしれない…と、今思います。


このくにゃりとした頼りない体、泣くしかできない発話力、
そしてたまに発する「くー」とか「ぷはー」とかいう小動物みたいな鳴き声で
あかり先生も齢0ヶ月にして色々と意思を発しているのですが、
この意思に「息を合わせる」というのが、シンプルでいてとても難しい。
あっちも多分、そう思ってるんじゃないかと思います。


乳房や哺乳瓶を口に含ませる時の角度が悪いと飲まない、とか。
眠りのリズムを少しでも狂わせるとぐずる、とか。
こういうのは全て、親の目線からすれば
「飲んでくれない」「寝てくれない」「泣き止んでくれない」
と形容しがちなのですが、ホントは多分、そうじゃない。
「お互い他人だから、息を合わせるのはそれなりに大変」なだけなんだと思うのです。
多分、極論すれば職場のチーム作業と同じです。

同じチームになれば仲が良くなる、とかいう訳ではないのと同じで、
親子だから息が合う、という訳でもないと思います。
共同作業だから、こっちも頑張るけどあっちも頑張ってるし、
お互い様なのよね、と思って積み重ねるしかないんじゃないかなぁと思いました。



という訳で、「母乳じゃ足りないのよ、早くミルク追加してー!」と泣くあかりさんに
「今作ってるよ~美味しいものを作るのには時間かかるのよ、
 ちょっと待った方が美味しいのよ~」と声をかけながらミルクを作る私ですが、
果たしてこのまま呑気に子育てを続けられるのだろうか。
ドキドキしながら過ごす、出産後2週目でした。
7/3早朝、無事に娘を出産しました。
本日7/7に退院してきまして、共同生活4日目です。

出てきた時はとても気持ちがよくて、
「お腹の中に居たのはあなただったのね、いらっしゃい」
と思いました。
無事に出てきて欲しいと、ずっと思っていたのでした。
つるっと出てきてくれて、本当にありがとう。




5日たって、この子の泣き声が他の子の泣き声と
区別がつくようになりました。
つまり、それだけ泣き声を聞く機会があるということです。笑
お願いした通りに元気で出てきてくれたんだもの、
それでいいよ、いっぱい泣いてメッセージ伝えてね、と
自分と子どもに言い聞かせています。


母の片手にケータイ、なんてことをこの子は許してくれず、
泣いている間は常に顔と動作、その他を見ての真剣勝負です。
しかしここ4日間、耳を澄ましてあれこれ試し続けてきた結果、
泣き方、タイミング、時間帯で、
彼女が求めていることが違うことが、何となく分かってきました。
これからもきっと、そのボリュームやバリエーションが変わっていくのでしょうが、
慌てず騒がず、寄り添いたいと思っています。


そうそう、彼女に向ける集中力がMAXである一方、
だんなくんを含め、周囲に向ける寛容性・母性タンクがゼロになりました。笑
しょうがないよね。
1ヶ月程は、こうやって訓練に集中したいと思います。

これができたら、他者とのコミュニケーション力がかなり上がる気がします。
人間、みんな感覚や思考回路がひとそれぞれで
自分の感覚で決めつけてかかるのではなく試行錯誤が必須なのは、
大人も子どもも同じだものね。
6/15から産休に入りました。
まだ出勤しなくていいのが信じられないようですが、
心を落ち着かせながら、やるべきことに一つ一つ取組んでいきたいと思います。
予定日は7/2、仕事への復帰は10月予定です。

中の人はまだ全く生まれる気配がないのですが、
こういうところも何だか親孝行に感じられます。
まだ母にやることが一杯あるのを分かっているのだろうか。
とにもかくにも時間をありがとう、中の人。

* * *

産休1日目、
早起きして散歩をし、足湯までして、
さぁ作業をしようとパソコンを立ち上げる前にコーヒーを淹れた私。
一杯分のドリップをカフェオレにしながら、ふと
私が生まれて初めて飲んだ「ネースカフェー」のことを思い出していました。
2006年2月のことです。


それが出てきたのは、シリアのダマスカス中心部にあるカフェ。
「こんな扱いでいいのか?」と突っ込みたくなるほど無造作に
石像が辺りにゴロゴロと転がされており
閑散として素朴な国立博物館の横にある、
これまた素朴な一角でした。

何飲む?と私に訊いてくれた、ダマスカスに留学中の友人が
「ネスカフェとかあるよ」と口にしたので、
私は思わず「ネスカフェ??」と聞き返しました。


ネスカフェ。ネスレ社のインスタントコーヒー。
2004年から外大アラビア語科で中東知識を仕込まれてきた私にとっては、
ネスレは「イスラエルを支援している企業」であって
同社の製品は「”アラビストの私たち”が買ってはいけない(らしい)」リストの
トップにあったのです。


それが、イスラエルと国交の無いシリアの首都のカフェで飲める。
一体どういうことなんだろう。


ウエイターの兄ちゃんが運んできた「ネースカフェー」は、
小さなガラスのカップに並々と注がれた甘いカフェオレでした。
ネスレのカフェオレ粉で作るものだけでなく、
インスタントコーヒーを粉乳・砂糖と混ぜたカフェオレは
中東において一般的に「ネースカフェー」と呼ばれている、というのを
アラビア語を学んで2年目の私はシリアで知ったのでした。



なんだ、と肩の力が抜けたのを覚えています。
中東の人々と連帯しなきゃ、イスラエルの仲間は敵だ、
と私たちは信じ込んできたけれど、
現地の人たちの胃袋は、イスラエル支援企業にがっちり掴まれているじゃないか。

私たちは「アラビスト」としてそれらしく気勢を上げてきたけれど、
「連帯」ってなんなんだろう、
一体だれとするものなんだろう、
私は一体どういう目線で、
だれとつながっている気になっていたんだろう、
と、初めて自分自身に問うたのもこの時でした。



周りを見渡してみれば、
ダマスカスの人々は(フォーシーズンズ・ホテルの前でさえも!)
3車線の道路を無理矢理4車線で走り、
挨拶代わりにひっきりなしに煩いクラクションを鳴らし、
営業時間であるにも関わらず「今日はもうおしまい」と言い放ち、
ヒゲの男性が女性物の下着を思いっきり広げて商店に吊るして売り、
おばちゃんたちはどう見ても売れっこないようなガラクタを歩道に広げ、
政治的イデオロギーなど考えたことも無いわ、
ネスカフェの何が一体問題なの、というような顔で、
荒っぽくもマイペースに、日々を暮らしていました。


そして私が2004年にアラビア語を進路として志したとき、
本当に触れたいと願っていたのは
「ソトの人」が振りかざすイデオロギーでも理念でも何でもなく、
現地で毎日を生きる人々の、等身大の姿だったはずなのでした。
そういう人々の間から湧き出る、絞り出すような当事者の主張こそが
本当は一番大事であるはずなのに、
机の上で勉強を重ね、新聞を読み、先輩たちと情報交換をしているうちに
何かをすっ飛ばし、見えなくなっていたような気もしました。



* * *


私にそれを教えてくれた彼の国は、3年以上も戦火にさらされています。
国外に逃れず踏ん張っている人々は、晴れた空の下で
くすんだパラソルを開きながら、ネスカフェの甘さで辛さを紛らわし、
おしゃべりをして、日々を乗り切っているのでしょうか。


体制派だ、反体制派だ、どっちが正しい、どっちが悪だ、
と各国政府やメディアはがなり立て、武器の輸出話もありますが、


私が一番耳を澄ませていたいのは、パラソルや軒下で展開される
大きな政治的うねりを創り出せないような小さな談義、
道端で物を売る人々のため息、口にすら出せない想いなのでした。




せめて、人々が飲みたいと思った時に
「ネースカフェー」が飲めるダマスカスでありますように。
確か中学生の頃だったと思いますが、
諸事情で新海誠さんの「ほしのこえ」を観に、
従兄が下北沢のトリウッドへ連れて行ってくれました。

まさかその数年後、新海氏の追っかけをしている当時の彼と一緒に
渋谷へ次の長編作品を観に行き、
出待ちをして本人と言葉を交わすことになるとは思いませんでしたが。




*  *  *



うつ病を抱えるだんなくんと、彼の実家で暮らし始めて、
もうすぐ2年になります。
紆余曲折を経て、彼は自分の好きなことを仕事にし始め、
回復期の入り口を行ったり来たりするようになりました。


2年が経つ今でも、うつ病の人と向き合うのは試練の日々です。
同じ穴に落ちないよう、エネルギーを吸い取られないよう、
そして邪魔しないよう、適度に距離を置かなくてはなりません。
「彼に当たり前を求めてはいけないよ」、とは彼の主治医の言。
言葉にするのは容易くとも、それは大変難しいことです。
私もうつ属性は持っているので、その意義は分かっているつもりなのですが。


返事がかえってくることを、当たり前のこととして求めてはいけない。
頼んでいたことが消化されることを、当たり前のこととして求めてはいけない。
何か辛いことがあったときも、話を聞いてくれることを求めてはいけない。
こちらが満たされず、「どうしてできないの!」と思いをぶつけたって、
物事は良い方には動かない。


そんな現実と向き合う時、
私の頭の中で「ほしのこえ」のテーマソングが流れます。
作品の主人公は、宇宙と地球で引き離された恋人で、
ケータイでせっかくメールを送り合うのに、想い合っているのに、
メールが届くのに数ヶ月や数年を要してしまうのでした。


想いや意志はあっても、やむを得ない事情で届かないだけ。
うつ病で倒れているだんなくんは、
別に私のことを考えていないわけではないのです。
遠くの星にいるみたいに、もしくは時差のあるどこか異国にいるみたいに、
今すぐ返事を、アクションを、というわけにはいかないだけで、
できないことを一番悔いているのは本人に他ならないのです。


他にも、色々な考え方で気を紛らわせます。
「宇宙から見たら、こんなことホント大したこと無い」と考えてみたり、
彼が私のことを想ってしてくれたことを数え直して、日記を読み返したり。


きっとうつ病患者の家族やパートナーたちは、
私みたいに色々なことを思って、それぞれ患者と一緒に闘っているのでしょう。
色々な乗り切り方を知りたいなぁ、と思う今日このごろです。



*  *  *



仕事だ雑誌だ何だかんだでクソミソに忙しいのに、
果たすべき義務はヒマラヤのように積み重なっているのに、
わざわざこんなアウトプットをしてしまうのは、
いま辛いから、に他なりません。


あ~ぁ、もっと精進しないとなぁ。
昨日、とあるウェブ企画のインタビューを NGO女子として受けました。
その中で「座右の銘は?」と聞かれて、久々にそれを口にしました。
(私の座右の銘は、本文の最後に載せておきます)

それは一言でいえば、「無関心を恐れよ」というものです。
今日の朝、満員電車で30分立ったまま音楽を聞きながら、
最近の自分はそれを意識していたか、思い返していました。

*  *  *

ところで妊娠7ヶ月の妊婦である私にとって、30分立ちっぱなしというのは
案外身体に負担のかかる行為となりました。
つくばエクスプレスで流山から秋葉原まで30分。
途中で貧血と動悸を起こし、秋葉原に着いて人がどっと降りた途端
座席に倒れ込み、他のお客さんに車外まで運ばれたこともあります。
座れない時間に乗るなヨ、と言われそうですが、
色々と便宜や調整を図っても、どうしても乗らなければいけない日があります。


席を譲っていただくことがあるのは、通勤日のうち半分くらいです。
マタニティマークをぶら下げて立ち、音楽で気を紛らわせつつ
動悸を起こしながらつり革に縋り付いて念じるのは、

「譲られたら、譲ってくれた人の心が明るくなるようなお礼を伝える。
 譲られなかったら、『自分は自分の選択でここにいるんだ』と思って
 何も気にしない」


ということです。
確かに、パレスチナにいたら周りの皆がこぞって(特にオッサンが)
鼻息も荒く「ここ座りなよ!!!!」と声をかけてくれるでしょうが、
「それと比べて日本は…日本人は…」とは私は言わない、と思っています。



で、先日譲ってくれたきれいなお姉さんの降り際に、3度目のお礼を伝えたところ、
彼女が言いました。

「いえいえ、こちらこそごめんなさい、気付くのが遅くなって」



そうか、と思いました。
気付かないのか。



確かに日本で電車を見渡せば、皆そろって手元を見ているのでした。
それじゃ、妊婦さんたちがマタニティマーク付けてようが気付かないわ~。

それと同時に思いました。

そうか、別に日本人が冷たいとか、そういうわけじゃないんだ。
パレスチナ人が優しい訳でもないんだ。
あの人達は「人に関心を持つのが当たり前」な社会で生きている。
そして日本は、「人に関心を持たなくても生きていける」社会なだけなんだ。



いま私は、周りの人に関心を持ってもらうことがとても嬉しいし、
とても助かるし、そういう社会で子育てしたいと思う。自分を追いつめないように。
だったら、自分から動くしかない。待っているのではなくて。
きっとそれは、全ての社会問題において同じこと。



「無関心を恐れよ」という座右の銘を、確か私は7年くらい前から掲げているけれど、
まだまだこの言葉を基に自分が動くべきことは多いと感じました。
もうすこし、この言葉を胸に、反芻しながら生きていきたいと思います。


*  *  *

"Do not fear your enemies. The worst they can do is kill you. Do not fear friends. At worst, they may betray you. Fear those who do not care; they neither kill nor betray, but betrayal and murder exists because of their silent consent."

敵を恐れるな。最悪の場合でも、彼らは君を殺すだけだ。
友人を恐れるな。最悪の場合でも、彼らは君を裏切るだけだ。
無関心な人々を恐れよ。
彼らは殺しも裏切りもしないが、全ての裏切りと殺人は、彼らの沈黙の同意で成り立っている。
多くの人にかけてもらう「体を大事にしてね」という声は
具体的には一体どういうことなのか、
分からなくなる日がきたら、一度立ち止まっていいと思います。


妊婦さんは赤ちゃんの「容れ物」だから、
赤ちゃんの寝ているゆりかごみたいに、
赤ちゃんを包むおくるみみたいに、
あたたかい空気に包まれていて良い、と思います。
あなたを心配事から遠ざけ、常に大らかであたたかい空気で包んでくれる
自立した大人に囲まれていてください。

もしあなたが自分の本当の心の声に耳を澄ませて、
今いる環境がそうでないと少しでも感じるならば、
我慢をせず、素直に変化を求めても良いと思います。
世間体とか、家族の希望とか、ネットの情報は案外どうでもいい。
あなたが、あたたかさの中で暮らしていることが一番です。
あなたが少しでも凍えてしまったら、あなたが周りをあたためてあげられないのは
当たり前のことです。

* * *

あなたが仕事大好き人間だった場合、
仕事について周りがとやかく言ったとしても、気にしなくていいです。
大切なのは、あなたが、あなたの生き方に自信を持ち、
あなた自身と赤ちゃんを愛してあげられることです。
残業しようが、出張しようが、出産前日まで働こうが、何でもいいのです。
あなたの心身が健康で、あなたが自信と愛であふれていればそれでいい。
出産後、2ヶ月目から保育園に預けたっていいのです。
2ヶ月で保育園に預けられて、自立して立派な大人になった本当に素敵な女の子を
私は知っています。

* * *

辛いことがあったら、自分だけじゃどうにもならないと思ったら、
どんな形でもいい、どんな声の大きさでもいい、
あなたなりのやり方で、SOSを叫んでください。
自分をめちゃくちゃにしてしまったら、取り返しがつかないのです。
すぐ隣の人は気づいてくれないかもしれないけれど、
あなたのSOSを拾ってくれる人が、誰かどこかに必ずいます。
友達に知られるのが怖かったら、福祉施設でもいい、電話してください。
繋がらないかもしれないけれど、繋がらなかったら、私にメッセージをください。

* * *

子どもはきっと、「預かりもの」です。
いつか社会に飛び立ち、イエス・キリストみたいになるかもしれないし、
世界の片隅で、穏やかに日々を過ごすひとになるかもしれない。
どういう可能性を秘めていたとしても、その修行場所として、
子どもは「あなたが創る空気」を選んで、ここに来ている。
だから、あなたは自分がどんなにダメな人間だと思ったとしても、
それは子どもにとって承知のことで、関係がないのです。
大事なのは、あなた自身が満たされていて、子どもを包んであげられることです。

* * *

ネットや育児書には、色々な情報が溢れています。
親世代も、友達も、きっとたくさんの「アドバイス」をくれるでしょう。
でもあなたは、自分のやり方を試行錯誤して、自分で決めていい。
焦らずに、0から100まで試して、自分と子どもに合ったやり方を選んでいい。
そうして最後に、自分の経験をもって言うのです。
他人に押し付けられ、中途半端に納得させられるのではなく。
「子どもは案外、どう育てても大丈夫、なんとかなる」と。
プロセスが、あなたにとって大事だと思ってください。大事です。





私もこれから、そうやって生きます。
辛くなったら、出産前の自分が自分に宛てた、この手紙を読み返しながら。
以前は、うつを患ってたまにとんでもなく闇の中モードになるだんなくんを
「おー、宇宙人からの電波を受信している…」と思っていました。


自分が嫌い、とか。生きてる価値ない、とか。
出口が見えない、とか。
そう口にして泣く彼は、普段と比べると
本当に電波か何かで乗っ取られたかのようで、
「病気だからそう思えるだけだよ。
 真っ暗でもちゃんと出口があるよ。
 そばにいるよ。」と夜中までなだめながら
疲れ切った彼が眠りに落ちるのをひたすら待った日もありました。


最近は彼もうつの回復期に差し掛かりつつあり、
長く停滞しながらも深刻な電波受信は無くなったのですが、


今度は妊婦になった私が、
宇宙人からの電波を受信するようになってしまった!


もう何だか涙もろくなり、ちょっとしたことですぐ悲観的になる。
だんなくんや同居義家族のホントちょっとした言動でイラっとする。
自室や居間がちらかってる、テレビの音が実家より大きい、
だんなくんが起きない、それだけで一日ブルーになる。
だんなくんが仕事ばかりして家族のことを考えてないような気が常にする、
っていうかこいつ本当にヨメが妊婦だって分かってるのかと疑ってかかる、
仮宿で自由に食べたいものを料理できないプレッシャーを(勝手に)感じる、
仕事と妊婦生活を両立できない気がする、
夢を追いかけようとしているだんなくんを心底憎たらしいと思う、
っていうか妊婦もう辞めたいとたまに思ってしまう…
挙げればもうキリがない。


以前の私なら
「そんなんどうでもいいわー!
 屋根のあるところで暮らして、ご飯が出てきて、
 家族が元気に生きてるだけで十分じゃないか」
「宇宙から見たら私なんか芥子粒なんだから、
 私が多少困ろうがどーでもいいわー」
と笑い飛ばしていたのに、
それが何だかさっぱりできない。

え、なんで?
私、毎日人が入れ替わるバックパッカー宿のリビングで寝て、
こきたないところでも満足に暮らしていたじゃないか。
言葉が通じなくても、文化がものすごく違っても、楽しんでいたじゃないか。
子どもがいつか空から下りてくるのをあんなに楽しみにしていたじゃないか。
自分の決めたことには最後まで責任を持つ、というのをモットーにしてきたじゃないか。
それなのに今、どうしてすぐに「離婚した方がいい」とか考えてしまうのだ。
自分はおかしくなっちゃったんじゃないか。もうダメなんじゃないか。


そうやって一人でしくしく泣いていると、
中の人の胎動が停止して、お腹がキューッと痛くなるのです。
ああああごめんなさい中の人。



*  *  *


そんな悩み、ちょっと脇に反れて冷静に見ればホントどうでもいい。
子どもが無事に生まれてくればそれでいい。周りの家族が笑顔ならそれでいい。
それは理解しているはずなのに、
それを実感することを、宇宙人は許してくれないようなのでした。
うーん、恐るべし。
これはちょっとしたウツである。





で、こういう思いをする妊婦さんは、案外多いらしいのです。
これがいわゆる「マタニティブルー」というやつだ!と気づいたのは昨日のこと。
原因はホルモンバランスが変わることであるようですが、
今まで6ヶ月半妊婦をやってきて、
今のところつわりより辛いのがコレ。



あーぁ、何とかならないかなぁ。。。。。
電波きてるときは「あっ、宇宙人の交信きてる!」と思って
携帯もパソコンも切って、さっさと寝るしかないのだろうか。
うん、だんなくんを見てきた限り、それしかない。
今の私は、そういう仕様なのだ。仕方が無い。




でもちょっと、子育てで「追い詰められる」ということの形が
少しだけ分かったような気もします。
今まで本で読んだくらいしか知識のなかった、母親による虐待やネグレクトの根元に、
少しだけ触れたような気もします。





子どもを体に宿すだけで、宇宙人と戦うことになったりするのに、
それを乗り越えてきた世のおかあさんたちは、ほんとすごい。
電車の中や街中で、
もっとそう言って褒めてくれる、支えてくれる人たちが増えればいいと思う。
実体験に基づく願いが一つ増えた分、私も成長しているのだと思おう。
……と思ったのはいつぶりだろう。
妊娠6カ月2週目まできて、おそらく5カ月ぶりくらいに
ヘッドフォンでちゃんと音楽を聴きたいと思いました。


まずはImogen Heapのアルバム一つを通して聴けて、満足な木曜の朝。
中の人が出てきたら、この何気ない時間を贅沢だったなぁと思い返すのだろう。
今のうちにジャニスに通って色々借りてこよう。

まだ人混みや食品の匂いにあてられて
毎晩吐いたりするつわりは続いていますが、
ちょっと新鮮な気分を味わった並木でした。
今週はイゼルディン・アブエライシュ先生の来日関係で
わたわたしていました並木です、こんにちは。
2/19(水)は彼や鎌田實先生、UNRWAの清田先生の講演でしたが、
530人の皆さんの前で初めて司会なるものをやりました。
心臓飛び出そう!とは思わなかったけれど、
出たとこ勝負なところが多くて多少焦りました。笑
面白い経験、良い機会をいただきました。

ちなみに本来、イゼルディン先生の名前は
「イズッディーン・アブルエーシュ」と発音します。
アブルエーシュ(Abu elAesh)は主にエジプト方言で「パンの父」という意味です。
イスラエル建国以前に暮らしていた村では名家だったそうで、
パン(=食)を支えてくれる人、と定評のある、
寛容な家柄だったのだろうなぁ、と思わされる名字ですね。
(アラビア語の名字は、先祖の職業や役割を表すものも多いです)


さて、本の感想+講演会レビューです。(今年1冊目)
本は亜紀書房様にご献本いただき、先週読み終えました。
亜紀書房様、ありがとうございます!

それでも、私は憎まない(亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ)/亜紀書房

¥1,995
Amazon.co.jp


この本は、ある一人の男性が、非日常が日常と化した有り得ないような日々を
一つ一つ乗り越えていくノンフィクション記録です。

お父さんの時代の、近所での虐殺の噂に始まり、
避難した場所での長くなってしまった生活、
すし詰めで暮らし眠る家、雨漏りする中での必死の勉強、
アンフェアな学校や社会、10代前半にして一家を養う責任、
建設現場や農場での厳しい労働。
ようやく医療を大学で学ぶ明るい日々が始まったかと思えば、
ガザとイスラエルを行き来する暮らしを選び取り、
草の根の平和を創る地道な活動が軌道に乗ったと思えば、
病気で妻を失い、その半年後に自宅がイスラエル軍の攻撃を受け、
大事な3人の娘と姪1人が目の前でバラバラになる…。


(その時の様子がイスラエルのテレビでも放映されています)


それでも、と彼は言います。

自分は憎まない。深い怒りはあっても、憎みはしない。
「向こう側」を一色に塗りつぶしたりはしないし、
憎しみという病気にとらわれ、自分を、視界を失ったりしない。
正義を求め、怒りをもって主張することと、
憎しみをもって盲目になることは全く違うのだ、と。

それが可能なのは、境界線の両側で生きた彼の生い立ちに加え、
多分に彼の職業があるからなのだろうと思います。
医者は、感情に囚われず、患者の症状を止めるために
原因を取り除くべく最善を尽くさなければならない。
患者が生きている限りは、希望を持たなければならない。
一人の患者が亡くなったからといって、立ち止まっている訳にはいかない。



それは、誰にでもできることなのだろうか。
そう思いながら臨んだ講演会でしたが、
彼は「皆さんにも、誰にでもできます」と壇上から訴えました。
憎しみがどれだけ不健康な存在か、考えてみてください、と。
アインシュタインが言うように
「人生とは自転車のようなものだ」から、
「倒れないようにするには走らなければならない」のです、と。



でも、そんなあなたに盲目の憎しみをぶつけてくる人がいたら?


そういう問いに、彼は笑って答えていました。
「僕の思いが、届く人に、届けばいいんだよ」。


*  *  *


ここからは純粋に自分の感想ですが、
読み終わったとき、「あぁ、”世界を知る”っていうのはこういうことだ」
と思いました。

世界の政治の流れだけをどれだけ熟知しているかとか、
歴史の年号を言えるとか、そういうのはゲームか暗記でしかない。
政治を知るというのは、ツールを知る、ということに過ぎない。
極言すれば、ハサミの使い方を知るのとおなじ。
世界の政治の流れを知る必要があるのは、そもそも「守りたい人がいるから」だ、
と私は思う。自分と、家族と、友人と、そしてまだ見ぬ誰か。

和平交渉だ、紛争だ、条約だなんだかんだと騒ぐ世界政治のうしろに、
この著者の一家のように、人生を翻弄される数えきれない人々がいる。
彼らの豊かでいて遣る瀬のない物語を一つ一つ集め、少しでも深く噛み締め、
巨大なパズルの見えないピースの形を想像することなしに、
「世界を知っている」とはいえない。
政治というツールの使い方を知っている、とはいえない。


だから、大学の机で国際政治を学んでいる学生さんや、
中東世界を学ぼうとしている学生さんには特に、読んでほしいと思う。
幾ら堅い本を読み漁って、政治に精通していても、
人の姿を知らない限り、それを適切に使うことはできない。
あなたの乗り物は不安定で片方の車輪がなく、
あなたしか乗れない一輪車に過ぎない。

もう一つの車輪は、政治に翻弄される誰かの人生の物語の中にある。
それを探して、車に取り付けてくれる人が増えればいいと思う。
あなたの学びが、誰かの思いも乗せて世界を変えて行けるように。