昨日、とあるウェブ企画のインタビューを NGO女子として受けました。
その中で「座右の銘は?」と聞かれて、久々にそれを口にしました。
(私の座右の銘は、本文の最後に載せておきます)

それは一言でいえば、「無関心を恐れよ」というものです。
今日の朝、満員電車で30分立ったまま音楽を聞きながら、
最近の自分はそれを意識していたか、思い返していました。

*  *  *

ところで妊娠7ヶ月の妊婦である私にとって、30分立ちっぱなしというのは
案外身体に負担のかかる行為となりました。
つくばエクスプレスで流山から秋葉原まで30分。
途中で貧血と動悸を起こし、秋葉原に着いて人がどっと降りた途端
座席に倒れ込み、他のお客さんに車外まで運ばれたこともあります。
座れない時間に乗るなヨ、と言われそうですが、
色々と便宜や調整を図っても、どうしても乗らなければいけない日があります。


席を譲っていただくことがあるのは、通勤日のうち半分くらいです。
マタニティマークをぶら下げて立ち、音楽で気を紛らわせつつ
動悸を起こしながらつり革に縋り付いて念じるのは、

「譲られたら、譲ってくれた人の心が明るくなるようなお礼を伝える。
 譲られなかったら、『自分は自分の選択でここにいるんだ』と思って
 何も気にしない」


ということです。
確かに、パレスチナにいたら周りの皆がこぞって(特にオッサンが)
鼻息も荒く「ここ座りなよ!!!!」と声をかけてくれるでしょうが、
「それと比べて日本は…日本人は…」とは私は言わない、と思っています。



で、先日譲ってくれたきれいなお姉さんの降り際に、3度目のお礼を伝えたところ、
彼女が言いました。

「いえいえ、こちらこそごめんなさい、気付くのが遅くなって」



そうか、と思いました。
気付かないのか。



確かに日本で電車を見渡せば、皆そろって手元を見ているのでした。
それじゃ、妊婦さんたちがマタニティマーク付けてようが気付かないわ~。

それと同時に思いました。

そうか、別に日本人が冷たいとか、そういうわけじゃないんだ。
パレスチナ人が優しい訳でもないんだ。
あの人達は「人に関心を持つのが当たり前」な社会で生きている。
そして日本は、「人に関心を持たなくても生きていける」社会なだけなんだ。



いま私は、周りの人に関心を持ってもらうことがとても嬉しいし、
とても助かるし、そういう社会で子育てしたいと思う。自分を追いつめないように。
だったら、自分から動くしかない。待っているのではなくて。
きっとそれは、全ての社会問題において同じこと。



「無関心を恐れよ」という座右の銘を、確か私は7年くらい前から掲げているけれど、
まだまだこの言葉を基に自分が動くべきことは多いと感じました。
もうすこし、この言葉を胸に、反芻しながら生きていきたいと思います。


*  *  *

"Do not fear your enemies. The worst they can do is kill you. Do not fear friends. At worst, they may betray you. Fear those who do not care; they neither kill nor betray, but betrayal and murder exists because of their silent consent."

敵を恐れるな。最悪の場合でも、彼らは君を殺すだけだ。
友人を恐れるな。最悪の場合でも、彼らは君を裏切るだけだ。
無関心な人々を恐れよ。
彼らは殺しも裏切りもしないが、全ての裏切りと殺人は、彼らの沈黙の同意で成り立っている。