ジブリ映画「コクリコ坂から」を流すと朝シャキッと起きられる、
という某知人の書き込みを見て
朝に弱いだんなくんのために再生してみたのですが、
案外自分がハマりました。ついでに感想文を書き逃げしておきます。
並木の共鳴ポイントは2点あって、
ひとつは舞台が私の嫁ぎ先である「横浜であること」。
普段年越しや親族参りで歩き回る場所の50年前を
鮮やかなアニメで見られるというのは、かなり新鮮なことです。
映画の舞台は1963年、登場人物たちは主に16-18歳の高校生ですが、
この世代は私の義父よりちょびっとだけ年上、くらいの年代。
高校を出て、包丁一本で横浜のあちこちを渡ってきた義父は
「あの頃は大学に行くなんて、各校に数人くらいだったよ」と語ります。
子どもが家事をこなすのも当たり前。
50年前、いま私がいる場所で、そうやって人生を切り拓く若者が沢山いたのだ、
と思うと少し背筋が伸びます。
また、少し時代は後になりますが、私の母も早くに母親を癌で亡くし、
家事をこなしながら学校に通う高校生でした。
震災でどうしようもなく老朽化が進み取り壊した宮城の実家には、
青い竃が残っていました。
成績の良かった兄姉妹たちは誰一人として大学には行けませんでしたが、
彼らの子ども世代はおかげさまで高等教育を受け、仕事に就き、
次の世代へと繋いでいます。
改めて恵まれた環境に感謝しないとなぁ、と思いながらも、
失ったものもあるような気がしてなりません。
長くなりましたが、ふたつめは、
高校生の自治を扱っているところです。
私の母校も、50年前はこんな場所だったのではないかと思われました。
千葉県の東葛飾高校というところでしたが、校是は「自主自律」でした。
今年で90年目を迎える学校ですが、行事も部活予算も生徒が決めました。
校則より、生徒自身が決めた「自主規約」の方が重みを持っていて、
中間試験も、制服もありませんでした。先輩方が闘って決めたらしいです。
先生方も一緒になって闘い、「改革の炎は消えず」という本まで残っています。
カルチェラタンのような部室棟もありました。
昔の校舎で、「旧館」と呼ばれています。
生徒たちが自由に使っていましたが、漏電か何かで火事になり、
私が入学する前には取り壊されています。
今では入り口だけ残っていて、パルテノン神殿にそっくりなので
「パルテノン」と呼ばれています。
この高校に2000年に入学した私は
生徒会役員をやったり新聞部員だったりした訳ですが、
よく生徒にアンケートを取って、ことある毎に板挟みになりました。
伝統を取るか。それとも、今の生徒たちの意見を優先すべきか。
教育委員会の言う通り、国旗国歌を卒業式に取り入れるべきなのか。
その方が、今の生徒たちのためになるんだろうか。
自治なんて進学の邪魔にしかならない。
自分たちで自分たちのことを決めるなんて、面倒くさい。
やりたい奴だけでやればいい。
紙の上には、そんな意見も多くありました。
生徒会も、立候補者が足りなくて補選続き。
生徒たちが決めた自主規約が守られないことも多く、
よく「ここは小さな社会だなぁ」と思い悩んでいました。
今の生徒たちが同じ悩みを抱えているのかどうかは知りませんが、
多分私たちの先輩は、コクリコ坂に出てくる生徒たちのように
意見をぶつけ合い、主張しあって、色々なことを決めてきたのでしょう。
コクリコ坂の中で、「紺色のうねり」という曲が流れます。
カルチェラタンの中で理事長を迎えた生徒たちがうたう歌で、
こう始まります。
「紺色のうねりが
のみつくす日が来ても
水平線に君は没するなかれ」
元の詩は宮沢賢治の作品「生徒諸君に寄せる」なのだそうです。
「諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君はその地平線に於る
あらゆる形の山岳でなければならぬ」
あぁ、そうだな、と、今なら迷わず答えられます。
迷い悩みながらも、プロセスを大事にして、
常にそういう存在であろうとすることは
今からでも遅くない、と思います。
という某知人の書き込みを見て
朝に弱いだんなくんのために再生してみたのですが、
案外自分がハマりました。ついでに感想文を書き逃げしておきます。
並木の共鳴ポイントは2点あって、
ひとつは舞台が私の嫁ぎ先である「横浜であること」。
普段年越しや親族参りで歩き回る場所の50年前を
鮮やかなアニメで見られるというのは、かなり新鮮なことです。
映画の舞台は1963年、登場人物たちは主に16-18歳の高校生ですが、
この世代は私の義父よりちょびっとだけ年上、くらいの年代。
高校を出て、包丁一本で横浜のあちこちを渡ってきた義父は
「あの頃は大学に行くなんて、各校に数人くらいだったよ」と語ります。
子どもが家事をこなすのも当たり前。
50年前、いま私がいる場所で、そうやって人生を切り拓く若者が沢山いたのだ、
と思うと少し背筋が伸びます。
また、少し時代は後になりますが、私の母も早くに母親を癌で亡くし、
家事をこなしながら学校に通う高校生でした。
震災でどうしようもなく老朽化が進み取り壊した宮城の実家には、
青い竃が残っていました。
成績の良かった兄姉妹たちは誰一人として大学には行けませんでしたが、
彼らの子ども世代はおかげさまで高等教育を受け、仕事に就き、
次の世代へと繋いでいます。
改めて恵まれた環境に感謝しないとなぁ、と思いながらも、
失ったものもあるような気がしてなりません。
長くなりましたが、ふたつめは、
高校生の自治を扱っているところです。
私の母校も、50年前はこんな場所だったのではないかと思われました。
千葉県の東葛飾高校というところでしたが、校是は「自主自律」でした。
今年で90年目を迎える学校ですが、行事も部活予算も生徒が決めました。
校則より、生徒自身が決めた「自主規約」の方が重みを持っていて、
中間試験も、制服もありませんでした。先輩方が闘って決めたらしいです。
先生方も一緒になって闘い、「改革の炎は消えず」という本まで残っています。
カルチェラタンのような部室棟もありました。
昔の校舎で、「旧館」と呼ばれています。
生徒たちが自由に使っていましたが、漏電か何かで火事になり、
私が入学する前には取り壊されています。
今では入り口だけ残っていて、パルテノン神殿にそっくりなので
「パルテノン」と呼ばれています。
この高校に2000年に入学した私は
生徒会役員をやったり新聞部員だったりした訳ですが、
よく生徒にアンケートを取って、ことある毎に板挟みになりました。
伝統を取るか。それとも、今の生徒たちの意見を優先すべきか。
教育委員会の言う通り、国旗国歌を卒業式に取り入れるべきなのか。
その方が、今の生徒たちのためになるんだろうか。
自治なんて進学の邪魔にしかならない。
自分たちで自分たちのことを決めるなんて、面倒くさい。
やりたい奴だけでやればいい。
紙の上には、そんな意見も多くありました。
生徒会も、立候補者が足りなくて補選続き。
生徒たちが決めた自主規約が守られないことも多く、
よく「ここは小さな社会だなぁ」と思い悩んでいました。
今の生徒たちが同じ悩みを抱えているのかどうかは知りませんが、
多分私たちの先輩は、コクリコ坂に出てくる生徒たちのように
意見をぶつけ合い、主張しあって、色々なことを決めてきたのでしょう。
コクリコ坂の中で、「紺色のうねり」という曲が流れます。
カルチェラタンの中で理事長を迎えた生徒たちがうたう歌で、
こう始まります。
「紺色のうねりが
のみつくす日が来ても
水平線に君は没するなかれ」
元の詩は宮沢賢治の作品「生徒諸君に寄せる」なのだそうです。
「諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君はその地平線に於る
あらゆる形の山岳でなければならぬ」
あぁ、そうだな、と、今なら迷わず答えられます。
迷い悩みながらも、プロセスを大事にして、
常にそういう存在であろうとすることは
今からでも遅くない、と思います。


