短歌
夕焼け秩父の峯より広がりて
          畑を耕す農夫を映す
  

   遥か青くみえる秩父連山に今入ろうとしている夕日
   が二月の田園に淡く広がり寒々しい 畠に仕事帰りか
  とぼとぼ歩いている農夫を夕焼けに染まっていました
人生には、のほり坂、くだり坂があります。良いとき、悪いとき、それは自分でもわかると思います。良いときは、楽しめば良いし、時間も気持ちも軽くて、このまま時間がずっと過ぎてくれるはずと信じて疑わないものです。下り坂はこの逆で、なにか重荷をしょって生きているきがします。ここでなにかを学ぶんですけど、実感がないものではないでしょうか。後になってこんなことを学ぶことが出来たと、思いますよね。だけど、一番こわくて、おもしろいのはまさかがあるということではないでしょうか。
夕焼け秩父の峯より広ごりて
          畑を耕す農夫を映す



黄梅の花には祖父えの思い染む
             灯火のごとく墓前に供える

  幼い頃祖父は盆栽を趣味にしてとくに黄梅の盆栽を
  大切にしていたんです幼い私はその辺を遊び回って盆栽を割って
  しまいました泣きだした私の背中をなぜながらだまって抱き
  しめて呉れました 黄梅のさく今頃になると祖父の優しさが
  偲ばれ墓前にそなえています 

集合。とかいってました。まったく意味がわかりません。多分高校時代の夢をみていたんでしょう。
黄梅の花には祖父えの思い染む
             灯火のごとく墓前に供える
メジャーになる前だったと思うんですけど、ともさかりえさんが歌っていたんですね。椎名さんの曲だったんです。独特だったので、というか、気に入りまして、思い切って買いました。なぜ思い切ったかというと、問題はともさかりえという点、こいつ、おたくかと。関係ない、でも、勇気がない。しかし、欲しい。しかし、おたく。まあ、今なら得意気に話してどんびきされますけどね。
短歌
 水仙や梅も満開の神明社
           数多の絵馬の願いを咲かせよ


   受験シーズンですね
二月の陽射しを浴びて水仙や
 梅 椿の花が見事に咲いてゐる神社に願いをこめた
 絵馬 が一杯ありました この絵馬も願いの花を満開
 に咲かせて欲しいと祈らずにはいられませんでした
              
遥かなる秩父に映える稜線(りょうせん)は
          花びらのごとき上弦を頂く


   
 
    遠く秩父連山に夕日が落ちて稜線(りょうせん)が
    蒼くくっきりと映しだされて<今日も過去の日に
    なってゆくんだなあ>と思いしみじみ眺めていたら
    ふと きずくと稜線の上のほうに三日月が花びらの
    ようにでていました