蓄積
私は小さな挑戦を始めた。
特に明確な目標を掲げた訳ではない。
私にはそうする必要があったというだけ。
挑戦とかそんなかっこいいものでもないかもしれない。
ただ私は意図的にしろ
そうせざるを得なかったからにしろ
完全なる足踏み状態、
というか退行を繰り返しながらここ数ヶ月過ごしてきた。
私にはきっと発散されなければならないエネルギーが
蓄積されているはずなんだ。
恐怖を感じる間もなく
走り出す事ができる極限の状態に持っていかなければ
私は身動きがとれなかった。
どうなるかなんてわからない。
ただ走り出してしまったからには
止まってしまうまで
走り続ける。
特に明確な目標を掲げた訳ではない。
私にはそうする必要があったというだけ。
挑戦とかそんなかっこいいものでもないかもしれない。
ただ私は意図的にしろ
そうせざるを得なかったからにしろ
完全なる足踏み状態、
というか退行を繰り返しながらここ数ヶ月過ごしてきた。
私にはきっと発散されなければならないエネルギーが
蓄積されているはずなんだ。
恐怖を感じる間もなく
走り出す事ができる極限の状態に持っていかなければ
私は身動きがとれなかった。
どうなるかなんてわからない。
ただ走り出してしまったからには
止まってしまうまで
走り続ける。
健気に、一生懸命に
私の感受性は死んだのか。
感性は鈍ったのか。
そもそもそんなもの自分にはあったのか。
いらない心配。
前向き教
素直教
外向教
努力教
根性教
どれに対しても熱心に信者志望を出してきたど
一生懸命信者になろうと努めたけど
結局私はどこにも属せなかった。
どこか遠くへ行きたい。
1週間くらい誰にも何も指図されないで
自然の中を歩いたり、
心から美しいと感じられるものに触れたりして、
ただ目標も意図もなく生きたい。
儀式が苦手だ。
形式も苦手だ。
「そうするもの」
「あたりまえ」
「常識的に」
そういうものがだいたい苦手だ。
馴れ合いが苦手だ。
信頼ごっこも苦手だ。
だいたいの人が苦手なんだろうけど。
私だけじゃない。
皆苦手なのに頑張ってる。
健気に、一生懸命に。
健気でなければ誰も助けてくれない。
逆境でも一生懸命でいなければ誰も気づいてくれない。
せめて健気に頑張る少女を演じてれば
誰かが慰めてくれて、助けてくれる。
辛いのに、偉いね、凄いね、一緒に頑張ろうね。
皆側に居るからね。仲間だからね。君は一人じゃないよ。
そういうルールだ。
何もせずに立ち尽くして、頑張ろうという意欲すら見せられなかったら
誰も助けてなんてくれない。
悪い事は全て他人の責任にして、甘えるのもいい加減にしろ。
努力すらしない奴は助けを求める権利もないから。
だいたいは人に伝わるか伝わらないかで評価される。
見えるか見えないか、わかりやすいかわかりづらいか、
その伝達方法が好意の持てるものか、そうでないか。
本来のその人の意志なんて、実際なんも考慮されない。
健気に見えるか、一生懸命さが伝わるか、
それ次第だ。
あぁ。
これは書かなくてもいいエントリーだった。
半ば腐りかけた言葉のつなぎ合わせでしかない。
私はここに魂が不在である事
そもそも魂なんていう言葉の装飾が気持ち悪いと思っている事を
認めなければいけないという強迫観念に襲われる。
そしてその書かなくてもいいはずの
書くべきではなかったはずのエントリーを
自らの意志で書き終える。
感性は鈍ったのか。
そもそもそんなもの自分にはあったのか。
いらない心配。
前向き教
素直教
外向教
努力教
根性教
どれに対しても熱心に信者志望を出してきたど
一生懸命信者になろうと努めたけど
結局私はどこにも属せなかった。
どこか遠くへ行きたい。
1週間くらい誰にも何も指図されないで
自然の中を歩いたり、
心から美しいと感じられるものに触れたりして、
ただ目標も意図もなく生きたい。
儀式が苦手だ。
形式も苦手だ。
「そうするもの」
「あたりまえ」
「常識的に」
そういうものがだいたい苦手だ。
馴れ合いが苦手だ。
信頼ごっこも苦手だ。
だいたいの人が苦手なんだろうけど。
私だけじゃない。
皆苦手なのに頑張ってる。
健気に、一生懸命に。
健気でなければ誰も助けてくれない。
逆境でも一生懸命でいなければ誰も気づいてくれない。
せめて健気に頑張る少女を演じてれば
誰かが慰めてくれて、助けてくれる。
辛いのに、偉いね、凄いね、一緒に頑張ろうね。
皆側に居るからね。仲間だからね。君は一人じゃないよ。
そういうルールだ。
何もせずに立ち尽くして、頑張ろうという意欲すら見せられなかったら
誰も助けてなんてくれない。
悪い事は全て他人の責任にして、甘えるのもいい加減にしろ。
努力すらしない奴は助けを求める権利もないから。
だいたいは人に伝わるか伝わらないかで評価される。
見えるか見えないか、わかりやすいかわかりづらいか、
その伝達方法が好意の持てるものか、そうでないか。
本来のその人の意志なんて、実際なんも考慮されない。
健気に見えるか、一生懸命さが伝わるか、
それ次第だ。
あぁ。
これは書かなくてもいいエントリーだった。
半ば腐りかけた言葉のつなぎ合わせでしかない。
私はここに魂が不在である事
そもそも魂なんていう言葉の装飾が気持ち悪いと思っている事を
認めなければいけないという強迫観念に襲われる。
そしてその書かなくてもいいはずの
書くべきではなかったはずのエントリーを
自らの意志で書き終える。
不可逆的
息苦しい一日だった。
鼻呼吸が苦手なせいなのか、着ていたタートルネックの威圧感なのか、胸部を締め付ける女性用下着のせいなのか、終始肩で息をしていた気がする。おかげで少し意識が朦朧としてきて、電車では気持ち悪くなった。
私は小説を読まない。
読んでも共感しているふりをするのに疲れてしまうし、結局物語を追う事に精一杯で何が言いたいのか私にはさっぱりわからないからだ。いつも作り物の世界と作り物の感情と作り物の人物に振り回されて私は退屈どころか、疲れてしまう。これまでに読まされてきた小説は何冊もあるが、自ら新しい小説を手に取ろうとした事は皆無だ。
今回なぜ太宰治の人間失格を読んだかというと、先日たまたま話した友人が太宰の話題を持ち出したのをきっかけに、自分がいかに太宰を積極的に避けているかについて振り返る機会があったからだ。そういえばなぜ避けていたんだろうか。そう考えた時に、私は突如それを読まなければいけないような気がした。
人間失格は良くも悪くも期待通りで、良くも悪くも期待外れだった。
私は太宰については自殺した、というくらいの情報しかもっていなかったし、作品についても、その題名から察する程度の知識しか持ち合わせていなかった。そこまでの先入観もなかったと思う。ただ何かとても読んではいけない、自分を根底から揺るがす様な恐ろしいもののように勝手に感じていたのだけは事実だ。
この作品はきっと人間のドロドロした部分を惜しげもなく表面化させるのだろうという期待は見事に当たったし、それは良い「期待通り」だった。ただそのドロドロの中身が想定の範囲内で、絵に描いた様な「ダメ人間」そのものだったのが期待通り過ぎて少し物足りないという感じだった。
期待外れだったのは私はそんなに揺らがなかったということ。恐れていたわりに、私は揺らぎを求めていたんだろう。それが自分に起きなかったことに拍子抜けして、若干の裏切りにすら感じられた。私の勝手な思い込みのせいなのだから誰も責められた話ではないけれど。。今の私にはわりと衝撃的というよりはあっさりとしたものに感じた。ただ、多くの共感と、多くの違いを自然に感じとる事ができた。
揺るがなかったというのは、私がまさにこれを読むべき時期だった事を意味しているのかもしれない。以前の私だったら、いとも容易に太宰を(というか葉蔵を)ロールモデルに仕立て上げて、自らの道を見失ってしまっていたと思う。実際は現在の自分でもそれを知らぬ間にしてしまうのではないかと恐れていなくはない。けれど、今の私は共感する所と、そうでない所の区別がある程度ついている。彼と私は別の人間であり、彼の目指したものは、私の目指すであろうものとは違うのだ。
こんな小説を書く人間が狂人であるはずがないと思った。そして葉蔵に自分の事のように深く共感する人間が世の中に大勢居るのであれば、私なんかの感じているような葛藤など、誰でも感じているごく当たり前の事なんだと気づかされて、自分がどれだけ思い上がっていたかを間接的に知らされた気がして悔しくもある。自分はやはりつまらない人間だと。
数年後またこの小説を読んだら、全く違った反応を起こすのだろうか。新たな衝撃が走るのか、それとも歳とともに色あせていくのか。こういった作品は、自身を鏡より巧妙に映し出す。今の私はこれだけの人間という事。ほんの数時間で読み終わったという事もあって、かなりの要素を見過ごしている可能性もある。そういう事も相まって小説の苦手な私には珍しく、また読むであろう一冊。なんて言うのも悔しいが。
人生は全てが不可逆的かもしれない。なかった事にする事のできない経験や、越えたら戻る事のできない境界線がある。私はそれに日々びくびくしながら、踏むべき経験を選択し、越えるべき境界線を見極めている。もし不本意に境界線を越えてしまったらと考えるだけでも恐ろしい。太宰の人間失格を読むという事で不可避的に与えられてしまった影響に、私は抗い続けるはめになるのかもしれない。しかしそれが不本意だったとは思わない。もう読む前の私には戻れないけれど、それに抗うという一つの指針を持つに至れたというのは、結果論的に踏むべき経験であり越えるべき境界線だった事を示している。
鼻呼吸が苦手なせいなのか、着ていたタートルネックの威圧感なのか、胸部を締め付ける女性用下着のせいなのか、終始肩で息をしていた気がする。おかげで少し意識が朦朧としてきて、電車では気持ち悪くなった。
私は小説を読まない。
読んでも共感しているふりをするのに疲れてしまうし、結局物語を追う事に精一杯で何が言いたいのか私にはさっぱりわからないからだ。いつも作り物の世界と作り物の感情と作り物の人物に振り回されて私は退屈どころか、疲れてしまう。これまでに読まされてきた小説は何冊もあるが、自ら新しい小説を手に取ろうとした事は皆無だ。
今回なぜ太宰治の人間失格を読んだかというと、先日たまたま話した友人が太宰の話題を持ち出したのをきっかけに、自分がいかに太宰を積極的に避けているかについて振り返る機会があったからだ。そういえばなぜ避けていたんだろうか。そう考えた時に、私は突如それを読まなければいけないような気がした。
人間失格は良くも悪くも期待通りで、良くも悪くも期待外れだった。
私は太宰については自殺した、というくらいの情報しかもっていなかったし、作品についても、その題名から察する程度の知識しか持ち合わせていなかった。そこまでの先入観もなかったと思う。ただ何かとても読んではいけない、自分を根底から揺るがす様な恐ろしいもののように勝手に感じていたのだけは事実だ。
この作品はきっと人間のドロドロした部分を惜しげもなく表面化させるのだろうという期待は見事に当たったし、それは良い「期待通り」だった。ただそのドロドロの中身が想定の範囲内で、絵に描いた様な「ダメ人間」そのものだったのが期待通り過ぎて少し物足りないという感じだった。
期待外れだったのは私はそんなに揺らがなかったということ。恐れていたわりに、私は揺らぎを求めていたんだろう。それが自分に起きなかったことに拍子抜けして、若干の裏切りにすら感じられた。私の勝手な思い込みのせいなのだから誰も責められた話ではないけれど。。今の私にはわりと衝撃的というよりはあっさりとしたものに感じた。ただ、多くの共感と、多くの違いを自然に感じとる事ができた。
揺るがなかったというのは、私がまさにこれを読むべき時期だった事を意味しているのかもしれない。以前の私だったら、いとも容易に太宰を(というか葉蔵を)ロールモデルに仕立て上げて、自らの道を見失ってしまっていたと思う。実際は現在の自分でもそれを知らぬ間にしてしまうのではないかと恐れていなくはない。けれど、今の私は共感する所と、そうでない所の区別がある程度ついている。彼と私は別の人間であり、彼の目指したものは、私の目指すであろうものとは違うのだ。
こんな小説を書く人間が狂人であるはずがないと思った。そして葉蔵に自分の事のように深く共感する人間が世の中に大勢居るのであれば、私なんかの感じているような葛藤など、誰でも感じているごく当たり前の事なんだと気づかされて、自分がどれだけ思い上がっていたかを間接的に知らされた気がして悔しくもある。自分はやはりつまらない人間だと。
数年後またこの小説を読んだら、全く違った反応を起こすのだろうか。新たな衝撃が走るのか、それとも歳とともに色あせていくのか。こういった作品は、自身を鏡より巧妙に映し出す。今の私はこれだけの人間という事。ほんの数時間で読み終わったという事もあって、かなりの要素を見過ごしている可能性もある。そういう事も相まって小説の苦手な私には珍しく、また読むであろう一冊。なんて言うのも悔しいが。
人生は全てが不可逆的かもしれない。なかった事にする事のできない経験や、越えたら戻る事のできない境界線がある。私はそれに日々びくびくしながら、踏むべき経験を選択し、越えるべき境界線を見極めている。もし不本意に境界線を越えてしまったらと考えるだけでも恐ろしい。太宰の人間失格を読むという事で不可避的に与えられてしまった影響に、私は抗い続けるはめになるのかもしれない。しかしそれが不本意だったとは思わない。もう読む前の私には戻れないけれど、それに抗うという一つの指針を持つに至れたというのは、結果論的に踏むべき経験であり越えるべき境界線だった事を示している。
螺旋状に
反省している。あまりにも乱暴なものばかりを吐き出して、また無差別に乱射していた。ごめんなさい。誰に許しを求めているのかもわからないけれど。誰が許してくれるのかも分からないけれど。
誰も私を構ってくれないから仕方なくこうして反省しているふりをしているのも気づいている。乱暴な私に誰も声をかけないだろう。誰も私を助けないだろう。だから反省し、謝って、誰かが許してくれて、私を助けてくれるに違いないという幻想を抱いている。幻想だという事にも気づいているのだから、もはやただのつまらない妄想でしかないが。
カウンセリングは終わった。後味の悪いまま去っていった。「さようなら」。その一言に私が感じ取ったものは気持ち悪い被害妄想で何倍もにふくれあがった。諦められた。なんの手掛かりのないまま放り出された。また私は何かに縋り付く惨めな自分の姿を目の当たりにさせられた。
なのにこの安心感は一体なんなんだろう。私は救われずに済んだ。まだ惨めでいる権利を与えられて心無しかほっとしている。むしろ私が求めていたのはこの結末だったのではないかと思う程に、しっくりと来る最後だ。解決されてはいけない問題だったのだろう。だから解決されなかった。それだけ。私は希望通りに甘い絶望に浸る事ができるし、全て人のせいにしながら自らを正当化しながら生きていける。
もう昔のように刺さる様な感情はない。心の底から死にたくなる様な辛い思いも、何もかも手につかなくなる様な悲しい思いも、特にない。普通に暮らして、普通にやるべき事をこなして、普通にご飯を食べ、普通に眠り、また普通に目覚める。私はごく普通の正常な人間で、なんの変哲もない、なんの代わり映えもしない日々を送っている。
言ってしまえば、救われる必要性がないのだ。私は一体何から救われたがっているんだろうか。辛い事も、困っている事も、特にないのであれば、救いを求める必要性もないではないか。ただ漠然と救われなければいけないと、私は救われるべき存在であるという妄想に支配されているだけだ。あまりにも可哀想だ。いい加減に目を覚ましてくれたらと思う。
私は嘆く理由がなくなっていく現実が恐ろしくて仕方がないのだ。もう嘆く理由が無くなってしまう。嘆く権利も、助けを求める権利も、日に日に無くなっていっている。私は整えられ、強くなり、社会に適応していく。そうして私は美しい笑顔と涙しか許されない世界に取り込まれていく。素直さと、前向きさと、豊かな感情表現が推奨される「理想的」な世界に。
私は依存先を次々と変え、あたかも自立しているかのように、あたかも自分の努力のおかげで社会的に有用な人間になったかのように振る舞う。それに私はなにも問題を感じない。もはやそれでいいのだ。私は寛容になったのか、それともただ無関心になったのか、わからない。ただまた一つ何かが終わった。私は新しい依存先を探し彷徨い、どこにたどり着くかの大方の予測もつかないまま、同じ様な繰り返しを螺旋状に続けていくのだろう。そうしている限りせめて私は自我を保ち続ける事ができるから。
ProkofievのThe death of Juliet。まだ何かを美しいと感じる心は捨ててはいけない。
誰も私を構ってくれないから仕方なくこうして反省しているふりをしているのも気づいている。乱暴な私に誰も声をかけないだろう。誰も私を助けないだろう。だから反省し、謝って、誰かが許してくれて、私を助けてくれるに違いないという幻想を抱いている。幻想だという事にも気づいているのだから、もはやただのつまらない妄想でしかないが。
カウンセリングは終わった。後味の悪いまま去っていった。「さようなら」。その一言に私が感じ取ったものは気持ち悪い被害妄想で何倍もにふくれあがった。諦められた。なんの手掛かりのないまま放り出された。また私は何かに縋り付く惨めな自分の姿を目の当たりにさせられた。
なのにこの安心感は一体なんなんだろう。私は救われずに済んだ。まだ惨めでいる権利を与えられて心無しかほっとしている。むしろ私が求めていたのはこの結末だったのではないかと思う程に、しっくりと来る最後だ。解決されてはいけない問題だったのだろう。だから解決されなかった。それだけ。私は希望通りに甘い絶望に浸る事ができるし、全て人のせいにしながら自らを正当化しながら生きていける。
もう昔のように刺さる様な感情はない。心の底から死にたくなる様な辛い思いも、何もかも手につかなくなる様な悲しい思いも、特にない。普通に暮らして、普通にやるべき事をこなして、普通にご飯を食べ、普通に眠り、また普通に目覚める。私はごく普通の正常な人間で、なんの変哲もない、なんの代わり映えもしない日々を送っている。
言ってしまえば、救われる必要性がないのだ。私は一体何から救われたがっているんだろうか。辛い事も、困っている事も、特にないのであれば、救いを求める必要性もないではないか。ただ漠然と救われなければいけないと、私は救われるべき存在であるという妄想に支配されているだけだ。あまりにも可哀想だ。いい加減に目を覚ましてくれたらと思う。
私は嘆く理由がなくなっていく現実が恐ろしくて仕方がないのだ。もう嘆く理由が無くなってしまう。嘆く権利も、助けを求める権利も、日に日に無くなっていっている。私は整えられ、強くなり、社会に適応していく。そうして私は美しい笑顔と涙しか許されない世界に取り込まれていく。素直さと、前向きさと、豊かな感情表現が推奨される「理想的」な世界に。
私は依存先を次々と変え、あたかも自立しているかのように、あたかも自分の努力のおかげで社会的に有用な人間になったかのように振る舞う。それに私はなにも問題を感じない。もはやそれでいいのだ。私は寛容になったのか、それともただ無関心になったのか、わからない。ただまた一つ何かが終わった。私は新しい依存先を探し彷徨い、どこにたどり着くかの大方の予測もつかないまま、同じ様な繰り返しを螺旋状に続けていくのだろう。そうしている限りせめて私は自我を保ち続ける事ができるから。
ProkofievのThe death of Juliet。まだ何かを美しいと感じる心は捨ててはいけない。
延々
私は人間としてあるべき姿でありたい。
異常なのは私じゃない。
狂っているのは世の中の大半の人間だ。
こんな気持ち悪い世界に適応して
日々自分が幸せかどうかをしきりに確認して
そこそこの定職について
素敵な男性を見つけて
子どもをつくって
良き妻に、良き母になって、
温かい家庭をつくるとかいう
幸せごっこは私にはできない。
カウンセリングも何のためにあるのかよくわからない。
「そういう症状に効くお薬はある」
薬なんていらない。
私は病気じゃない。
薬なんか飲んで私が私を失っていくくらいなら
いっそ死んだ方がましだ。
「ちゃんと正常な感覚もってるじゃないか」
正常ってなに。
私は正常になりたい訳でも
楽になりたい訳でも
まともな社会生活を送りたい訳でもない。
正常とか正常じゃないとかそんなことはどうでもいい。
これは負け惜しみなのか。
別にそれならそれでいい。
私は私の人生を自分で選択する。
私は誰にもコントロールされたくない。
そこに選択肢があることを
私は見逃したくない。
例え結果が同じだとしても
私は自分の進む道を自分で選び取る。
こんな事いって
ほんとはそんな度胸ないくせに。
一生守られて
何かに依存して
救いを求めながら
なんとなく幸せな振りをしていたいくせに。
私は私を殺し続ける。
一つものを思えば
それは徹底的に叩きのめされ
復活出来ないまでに追いやられる。
前向きな建設的な考え
瞬殺される運命だ。
ネガティブでとことん落ちる考え
それすらも瞬殺される。
頂点に君臨するのは
全てをコントロールしようとする
得体の知れない
嫌悪に満ちた破壊的自己だ。
今日もまた明日見たら後悔する自分をさらして
満足げな顔でこの文章を公開する。
なんという矛盾。
なんという欺瞞。
また一人私の中の私が殺される。
残念だ。
さっきまであんなに闘志に満ちて
旅に出て本物に出会いたい等と言っていたのに。
それでも永遠に生まれ変わり続ける私に
私はまた憎しみのこもったやり方で
何度でも死を突きつける。
愛を歌わないで。
孤独を歌わないで。
言葉はいつも残酷にその瞬間を奪っていく。
私はそれに耐えられる心を持っていない。
私は辛くない。
私は可哀想じゃない。
私は救われるべきじゃない。
私は心配をかけるべきじゃない。
私は一人でここから立ち直れるはずだ。
また殺される。
また一人殺される。
また一人生まれて
また殺されて
それが続いていくから
私はどこに区切りを付ける事ができるのか
わからないまま
また生み出しては
殺す。
心底詰まらない人間だな
私はどこまでも冷静だ。
異常なのは私じゃない。
狂っているのは世の中の大半の人間だ。
こんな気持ち悪い世界に適応して
日々自分が幸せかどうかをしきりに確認して
そこそこの定職について
素敵な男性を見つけて
子どもをつくって
良き妻に、良き母になって、
温かい家庭をつくるとかいう
幸せごっこは私にはできない。
カウンセリングも何のためにあるのかよくわからない。
「そういう症状に効くお薬はある」
薬なんていらない。
私は病気じゃない。
薬なんか飲んで私が私を失っていくくらいなら
いっそ死んだ方がましだ。
「ちゃんと正常な感覚もってるじゃないか」
正常ってなに。
私は正常になりたい訳でも
楽になりたい訳でも
まともな社会生活を送りたい訳でもない。
正常とか正常じゃないとかそんなことはどうでもいい。
これは負け惜しみなのか。
別にそれならそれでいい。
私は私の人生を自分で選択する。
私は誰にもコントロールされたくない。
そこに選択肢があることを
私は見逃したくない。
例え結果が同じだとしても
私は自分の進む道を自分で選び取る。
こんな事いって
ほんとはそんな度胸ないくせに。
一生守られて
何かに依存して
救いを求めながら
なんとなく幸せな振りをしていたいくせに。
私は私を殺し続ける。
一つものを思えば
それは徹底的に叩きのめされ
復活出来ないまでに追いやられる。
前向きな建設的な考え
瞬殺される運命だ。
ネガティブでとことん落ちる考え
それすらも瞬殺される。
頂点に君臨するのは
全てをコントロールしようとする
得体の知れない
嫌悪に満ちた破壊的自己だ。
今日もまた明日見たら後悔する自分をさらして
満足げな顔でこの文章を公開する。
なんという矛盾。
なんという欺瞞。
また一人私の中の私が殺される。
残念だ。
さっきまであんなに闘志に満ちて
旅に出て本物に出会いたい等と言っていたのに。
それでも永遠に生まれ変わり続ける私に
私はまた憎しみのこもったやり方で
何度でも死を突きつける。
愛を歌わないで。
孤独を歌わないで。
言葉はいつも残酷にその瞬間を奪っていく。
私はそれに耐えられる心を持っていない。
私は辛くない。
私は可哀想じゃない。
私は救われるべきじゃない。
私は心配をかけるべきじゃない。
私は一人でここから立ち直れるはずだ。
また殺される。
また一人殺される。
また一人生まれて
また殺されて
それが続いていくから
私はどこに区切りを付ける事ができるのか
わからないまま
また生み出しては
殺す。
心底詰まらない人間だな
私はどこまでも冷静だ。
