SINGLES 6月号
きらびやかな魅惑、キムジュンス
無謀な選択を神の一手に変える男、キムジュンスと共にしたマカオでの3日
Written(記事)by Cho, So Hyun.
Photographed(写真) by Park, Se Jun
鮮やかで蒸し暑いだろうと想像していたマカオは曇っては時々雨が降った。
煩雑だろうと思ってた都市は街角一つ抜け出るだけで鈍さに近い静けさがあった。
溢れんばかりの漢字の看板が並ぶ町並みから頭を回すと
ヨーロッパなのかと思わせる石造建物を向かい合わせた。
マカオは予想とおりに流れる事がなかった。
マカオを撮影地として選んだのはキムジュンスだ。
今回の撮影は仕事であると同時に好きなスタッフ達と一緒に過ごす休息でもあるのだ。
"アジアのラスベガス、太陽の暮れない都市ではないですか。
夜が深くなるにつれむしろ活気あふれる雰囲気が好きです。"
小学生の頃から歌手としての人生を想像していた男、子供の頃描いてた
その姿のまま20代を越しているスターにとってマカオは自分が生きている
熱い時間に似た都市だった。
"そういえばここに来るまで1年中一度も休めませんでしたね。"
1年前キムジュンスは東京ドームのJYJ単独コンサート現場にいた。3回の公演に日本全域から
集まった15万観客が東京ドームをいっぱいにした。 その後韓国ミュージカル大賞主演男優賞を
抱かせてくれた「エリザベート」の2013年公演、発表と同時にシンガポール、日本など8ヶ国の
iTunesで1位、ビルボードワールドアルバムチャート5位にランクインしたソロ2集「Incredible」、
チケットパワーのまた違う証明になった「バラード&ミュージカル」コンサートに続き、
キムクァンソックの曲で成った創作ミュージカル「ディセンバー」に至るまで 自分がやりたい事が
明確に分かる才能のあるアーティストが普通の日々を熾烈に愛した時、どれほど熱い結果物が
創られるのか見せてくれた1年だった。
デビューして10年。
山河が変わり少年が青年になる時間。
キムジュンスには「成長」という単語がややしっくり合わないのは、
彼の目的地が単純に垂直上昇する所にあるからではないだろう。
去る10年間はキムジュンスの世界が横に拡張された時間だった。
彼の目的地が単純に垂直上昇する所にあるからではないだろう。
去る10年間はキムジュンスの世界が横に拡張された時間だった。
また新たな頂上に歩き出す前に自ら選んだ3日間の休息の時間。
前作「ディセンバー」の熱気をまだ体に感じれてたあの時、彼と交わした対話の一編を伝えよう。
Q:ミュージカル「ディセンバー」が幕を閉じた。公演が終わった所感を教えてください。
やるべきかやめるべきか悩みが多かった作品だ。キムクァンソック先輩の歌がとても好きではあったが
ミュージカルではどんな感じになるのか心配したし、ジュークボックスミュージカルに対する偏見も
持っていた。以前創作ミュージカルをした頃、大変だった記憶があり怖かったりもした。
ソングスルーではない、台詞が多くて演技をしなくてはならないミュージカルでもあった。しかし、上手に
出来る出来ないは差し置いてなにか多くの事を学べるミュージカルになるだろうという思いがした。
終わった今はミュージカルをもっと好きになった気がする。「ディセンバー」は公演が始まってからも
台詞が変わり続づけたり色々と大変ではあったが、不思議にもその過程がとても楽しかった。
本来他のミュージカルは終りに近付くとあまりにも疲れ果てて、当分はミュージカルはできないと
思うようになるんだけど「ディセンバー」が終わった頃にはすぐに次の作品に入りたいと思った。
ミュージカル俳優としての偏見も破られたし。
Q:どのような偏見を持っていたか・・
自分自身がソングスルーでないならまだチャレンジするべきではないという考えだった。ミュージカルも
もちろん演技をするが歌があるからこそやっているのだ。"どうしてドラマ演技はしない?"と聞かれたら
僕が一番自信がある事、うまくできる事が音楽だからミュージカルの方がやり易いと言っていた。
演技に重みを置くミュージカルは30歳をすぎてやろうとなんとなく漠然に思っていたが、考えてたより
早く挑戦する事になったのだ。偏見とは違いたくさんの事を学べて、創作ミュージカルだからこそ
作っていく過程が本当に楽しかった。
Q:作っていく過程では具体的にどのように参加したのか。
ライセンスミュージカルはどんなにいいアイデアがあるとしても反映される事が難しい。チャンジン監督は
俳優たちの意見をたくさん聞き入れてくださった。エンディングの場合も元々はイヨンを屋上で
抱きながら終わるシーンだったがイヨンが"またね"と言うとジウックが"また会おうね"と返す台詞を
入れようと提案した。最後がハッピーエンドなのか、悲しいエンドなのか不明瞭だという意見が
あったので含みのある一言が入ればいいと思った。観客たちがその台詞のおかげで劇をもっと
理解できて好きでいてくれた。
Q:「ディセンバー」での自分の演技はどのように評価しているのか。
足りないけど・・・自分が泣く時に一緒に泣いて、笑う時に一緒に笑えるほどには
リードできたんじゃないかな。
Q:ドラマの演技に挑戦するべきか自分の可能性が窺えたか?
最終的にミュージカル演技とドラマの演技は違う。ミュージカル演技を巧みにするからと言って
ドラマの演技が上手に出来るわけではないし、その反対も同じ事が言える。ある程度関連性はあるから
プラスにはなるだろう。今回の演技でドラマができる、できないは考えられないし、いつか合いそうな
役柄があるならやってみたい程度だ。まだその時ではない。
Q:「ディセンバー」は40~50代の観客の比率が高かった。
どのような部分が彼らの心を動かしたと思うのか。
キムクァンソック先輩に対する懐かしさ そして自分の世代の話だからじゃないかな。人生で初めて
おじさん達の笑い声を聞いた。常に女性の笑い声しか聞いた事がなくおじさん達の豪快な
"ハッハッハッ"と笑う声を聞いた事がなかった。とても新しくて珍しかった。
Q:キムクァンソックの歌い方や声があまりにも違い色々と悩まなかったのか。
ジャンル的にあえてミュージカルスタイルに編曲されていたからできたんだと思う。
それに僕には少し70~80年代の感性がある。母がとても歌が上手なんだけど小さい頃から
イ・ミジャ、パティーキムのような方々の歌を常に聴かされながら育ったので違和感なく歌える。
むしろ最近のトレンディーなスタイルに合わせられない。機械音。それはうまくできないや。
Q:「ディセンバー」は歌手キムジュンスにどのような影響を与えたのだろうか。
また更に昔ながらの感受性をもらえた気もするし、お父さん世代はこんな感じだったのかというのを
改めて感じれて、現在思うと幼稚だけど、本物の愛情が綺麗にみえた。
Q:昔ながらの曲の方が愛を知ってる。
そうだ。ある意味、若い世代の方が可哀想だ。昔は携帯電話がなかったから不便だったけど、
逆になかったからこそもっと切実な感情があった。
Q:ミュージカルファンたちの間では"キムジュンスの選択は確かに違う"と話されてるらしい。
「モーツァルト」「天国の涙」「エリザベート」「ディセンバー」まで、選択する作品が
挑戦的に感じれる。 自信があるという反証にもみえるし、主にどのような作品を選ぶのか。
無謀な作品たち?(笑)実際「モーツァルト」は新人が初めてのミュージカルとして選ぶには
曲がとても大変な作品だ。 今自信を持って言えるのは、現存しているミュージカルの中で
テクニカル的に最も大変な作品が「モーツァルト」という事だ。 全ての音楽家たちが認めている。
当時にはミュージカル自体が初めてだったからなにも知らなかったからこそ挑戦できたのでは
ないかと思う。普通主演が50%ほどをリードするだけでも比重が大きいのだが、「モーツァルト」は
80%くらいだった。今思えばあまりにも無謀だった。また「天国の涙」も2番目の出演作で
創作ミュージカルをやるという事はありえない状況だった。大概の先輩達も引きとめた作品だ。
「エリザベート」も「死」という超現実的なキャラクターを表現しなくてはならなくて大きな挑戦だった。
その役をやると言った時、死の役は本当にセクシーな男がやるべきだと、
あまりにも似合わないとめちゃくちゃ言われたりもしてた。
Q:無謀な選択をしてしまう理由はなんだろうか。
予想された選択をしたくない。例えば5月にアルバムを出そうとファンたちが予想したり、次はこの
作品に入るだろうと言われると、違う作品に入りたい。そんな気質が少しある(笑)。
(***演ミュギャラリーお邪魔したんですけどw ジュンスのこの発言にみんな驚いてwww
ジュンスにやって欲しいと思うミュや役柄を今までは「やって!やって!」という感じでしたが、
予想を裏切る事がしたいジュンス様(笑)という事で 本当にやって欲しい作品でも
「OOはやらないで欲しい!!!」と一斉に言い出してけっこう笑いましたwww
これからはファンがわざと願望と裏腹な事を言い出して、裏の裏を読もうとするジュンス様に
なるのでしょうかwww あたしたち知能ゲームになってしまうのん?( ´艸`)***)
Q:舞台で表現する感情のスペクトルに毎回驚かされる。そんな才能はどこに基づいてるんだろうか。
ただその雰囲気と歌詞を思う。今この背景と僕の姿、そして音楽、歌詞の内容、ストーリー
そのような事を複合的に考えながらやっている気がする。簡単に考えたりはしないけど、だからと言って
あまり難しくも考えない。でも東方シン・キ時代も悲しい歌は泣きながら歌った。当たり前の事だと
思ってたけど、ミュージカルをやる時演出家たちが長所だとおっしゃってくださった。
Q:子供の頃、妄想や想像をよくする子供だったみたいだ。
そうだ。とてもしていた。想像で生きていた。小学生の時から2時間コンサートをして
ステージを降りる場面までも想像をしていた。トイレで歌いながら想像の中で生きてた。
今も変わらない。例えば今回の撮影もマカオの写真をみながら雰囲気を想像した。
ごく自然にまるで習慣のようにしてるんだけどほとんどその通りになる。
Q:ミュージカル舞台の一番大きい魅力はなにか。
他の俳優たちには観客の拍手だろうけど、僕にとってはそれだけではない。 コンサートでも
拍手を頂いてるから。一番の魅力はその配役として生きてみれる事。 その配役の感情のまま
歌う事、シアジュンスが歌うのではない配役の感情で歌える事だ。
Q:ミュージカルを一生やりたいと思う瞬間があるとするなら。
毎回感じてるかな。また世の中に出れるようにしてくれたのがミュージカルだし、僕を不公正な目線で
みない唯一のところだから愛せずにはいられない。主演賞もくださったし骨を埋めたいと思う。
Q:ミュージカル界で自らはどのようなポジションだと思うか。
なんて言うべきかな。ミュージカル作品を選ぶ基準を聞かれたらいつも音楽だと答えて来た。
実際にそうだし、だから「キムジュンスが選ぶミュージカルは少なくとも音楽はいい」という信頼は
あるようだ。 シナリオ、見物、作品性は全部さしおいて音楽はいいだろうという確信。
Q:ミュージカルを始めて以来できた職業病があるとするなら。
職業病までとは言えないけど、寝ようと努力する。 東方シン・キを出てからは寝ようと努力した
事がない。次の日スケジュールがあっても絶対に寝なくてはならないという圧迫感までは
なかったのだが、ミュージカル公演の前日は少なくても10時間は寝るという僕だけの原則ができた。
人々と一緒に創り上げていくミュージカルで一種の責任感のようなものだ。
Q:喉と体力の管理はどのようにしてるのか。
声の管理は公演の前日よく寝るとそれでいいみたいだ。体力のためには体に悪いものをしない。
例えばたばこみたいな。それだけでも十分にできてる。
Q:やりたいのにやらないのか。(たばこ)
半々だ。やりたいというわけではないけど、できないしやらないし。
Q:「エリザベート」以降外見に対する考えが変わったと知っている。ファッションの世界に目覚めて
変わった事があるとすれば。(ツ・・・・ツッコミタイ、とてもツッコミタイ←)
服を買うのにお金をめっちゃ使うようになった。全てのBoon the Shop
(輸入品だけを扱うマルチショップ)、コルソコモ(Corso Como)が僕を求める。
新作がでればメールが来る(笑)。
実際ファッションの重要性を知らなかった。興味もなかったし、歌手が歌がうたえればいいのに格好よくて
なにする、お洒落でなにする、それならモデルになるよ、のような生真面目な古い考えをしてた。
目覚めたというよりもエンターテイナーとしてファッションもその一部という事を知ったんだ。
当時、数年ぶりにダイエットをしてその頃雑誌の撮影があったんだけど、以前は見られなかった
新しい姿が出た。ファンたちが本当に喜んだんだけど、
いつも歌でファンになったとは言うが
こんな事でも喜ばせる事ができる
という事がとても面白くもあり悪かったなと思った。
( ゜∋゜)大汗;;;;;;
どんな時も歌ばっかり歌ってた頃はファンになってくれなかった方たちも好きになってくれたりした。
外見を磨くべきだなと思った。
(あたいは一言も突っ込んでませんからね←wwwwww)
Q:ビジュアルの話題だから言うけど、聞いた話だがソロアルバム「タランタレグラ」の骨盤回しを見て
遅ればせにファンになった人も多い。柔らかい骨盤は生まれつきか、血の滲む努力の結果か。←笑
≪マネージャー:女子記者たちがつけてくれたあだ名がある。「華骨キムジュンス先生」。
華麗なる骨盤キムジュンス先生でござる≫
うきゃんきゃん。なにを言ってる。昔から少しずつやっていた。←なんの報告
しかしなんだか恥ずかしさがとても大きかった。
昔から上手にできたけど恥ずかしくて ←だからなんの報告
軽く味見程度にしていたが「タランタレグラ」や
「Uncommitted」まであまりにも回し続けていたらそれほど恥ずかしく
感じなくなっただけだ。アメリカダンサーたちとコラボをよくしているから腰を回すダンスが多いのも
理由の一つだ。そしてお尻が少し出てる←はい?いやいやいや、ちょっとどこじゃねーって
のだがそのせいで余計目立つようだ。
↓↓↓この発言を理解するための参考例↓↓↓
≪味見程度≫
≪回し続けた≫
とてもある。実は最近服よりインテリアにもっと関心がある。ちょっと前に引越したんだけれど、
インテリアを直接したのは初めてだ。インテリアで家の雰囲気がガラッと変わるのがとても楽しかった。
Q:「愛の家建て」も後援しているが家や空間はあなたにとってどんな意味か。
空間は僕にとって結局帰るところだ。だけど恵まれてない人々のために家を建てようと思った理由は
お金でできない事に対する形式を悩んだ結果だ。 お金で一生を責任持つ事はできないから
生き延びれる方法を教えるか、その基盤を作ってあげる方がより正しいと思う。 カンボジアに
学校を建てた理由も同じだ。 子供達が学校で勉強をして自ら職を探せる原肥になって欲しい。
Q:分かち合う事について考えるようになった特別な契機があるのか。
以前の所属事務所を出てからだ。 昔は感謝できるものがなかった。アルバムが出れば1位をして
賞を取り、コンサートをすれば売り切れてどこに行っても待遇されてたから全てが当然だったし
むしろ不幸を探していたのかも知れない。当然な事がない今は全てがありがたい。 放送に出れない
今の状況が不幸なのかも知れないけど、歌手自体を決してできないだろうと思っていた僕が
ソロアルバムを発表できる事に感謝し、コンサートやミュージカル舞台に立てる事に感謝してる。
それを機に金銭的に分かち合える時だからこそシェアーするべきだという考えをJYJメンバー
全員がするようになった。
Q:今久しぶりの休息中だ。「キムジュンスの楽しい生き方」はなんだろう。
働いて休んで、また働いて休んで、これが楽しく生きる方法だ。昔が仕事仕事仕事仕事だったなら、
今は仕事した分だけ休むようにして、休んでる間は良い事だけ接するように心かけている。
どんなに稼いでもその人の子が幸せなだけで、お金を稼いだ当本人は幸せじゃないと言うらしい。
遊べず、楽しめず、買えずそんな人生が一番可哀想だなと思った。働いただけ自分にご褒美を
あげれた時癒される。生きてる理由な気もするし。
Q:以前の生き様と比べるなら今どれぐらいもっと幸せを感じてる?
全ての事に対して意見を言い合いながら進行できるという事。
どんな仕事なのか内容が分かってスケジュールに向かう事。
それが根本的に大きな違いがある。
以前は無条件にやらなくてはならなかったから。
今はある程度自分が責任を持つ活動をする。だからこそなにか
間違いが起きた時、誰のせいにもできないけど
うまく進んだ時の達成感は言い表せないほどに大きい。
自分の人生を愛し、自ら作っていくというそれ一つだけでも
心が充たされるように思う。
Q:今までキムジュンスは何パーセントくらい見せてくれたんだろう。
半分みせた事にしとこう。20代にやれる事は全部やってみた。 男は30からだと言うし
僕の50%は30代からお見せする事にしよう。
何日かかけて訳すつもりで始めたインタビューですが、
私も今初めて読むインタビューなのでとても興味深く読みながら訳しました。
最初はただ訳すだけの記事にしようと思ったのに、
途中、ジュンスがおんもしろぉ事を言うので←
ツッコミ専門のピンク文字を使う事になってしまいましたwwwww
いやぁ( ̄ー ̄) 突っ込まずにはいられなかった!
そして最後の辺の言葉とか
つくづく本当にインタビュー美男子やぁ~とまた惚れ惚れしましたね♪
演ミュでも面白いコメがいっぱいあったのに(特に華骨に関してwww)訳せずすみません!
また次回時間があれば訳せたらいいなぁと思います。
あ~~癒された!!!
やっぱりジュンスがチェゴ