1週間前の散歩で、目久尻川遊歩道を上流に向かって歩いていたら、途中の対岸にある小さな梅林で枝の剪定をしているおじさんを見かけました。
梅に詳しい方に訊くと「この季節の梅を剪定するとは珍しい」そうですが、わたしが思うに、この梅林では花より実の収穫が大切で、良い実をつけるには無駄な枝を落とす必要があったのじゃないかと。
帰りのコースは、橋を渡って反対側の遊歩道を歩くことにしたのですが、例の梅林の前に差し掛かると、剪定が終わった梅林におじさんの姿はなくひっそりしていました。
ふと足元を見ると、剪定で切り落とされた小枝がそのまま忘れられていました。
捨てられていた数本の枝には、膨らみかけた蕾がびっしり。
「このままにしておいたら咲かずに枯れてしまうよ」と、その中の1本を拾い上げ、梅林から自宅までの3km弱の道を枝を下げて帰宅。
水揚げが良いように、根元にたくさんの切込みを入れて剣山に刺し、リビングのテーブルに
ダイニングテーブルに飾られた梅の一枝は、見るたびに蕾が大きくなっているようで、覗き込むわたし達の期待は増すばかり。最初の一輪が開いたのは、5日後の11日。その後は、倍々ゲームのように蕾が開いて、今や5分咲き6分咲きといったところ。
水盤に挿した梅の枝は、すべての蕾に咲いて欲しいので、枝ぶりを整えることなく拾って来たときのまま。こんなに間近で梅の花を(眺めるのではなく)見つめて暮らしたことはないので、花が一輪咲くごとに幸せな気持ちになっています。
そこで思い出したのが、タイトルの「梅一輪一輪ほどの暖かさ」の句。
こんな寒さの中で、花が咲いたからといって暖かくなるわけではありませんが、心持ちは間違いなく温かくなります。
梅の一枝が、こんなに暮らしに潤いを与えてくれるなんて思いもしませんでした。
「あの時、ためらわずに枝を拾ってきて良かった」としみじみ。
「どこかで枝を切って盗んできた【花泥棒】と思われないだろうか」と人目を気にしながら、梅の小枝を持って歩いてくれた夫に感謝。
夫は、この梅の小枝に愛着が湧いてしまったようで、咲き終わって枯れてしまったら【梅の花ロス】になってしまうんじゃないかと。だって、夫は梅を見ながら「花が終わったら、挿し木で増やせないだろうか」なんて言ってるんです。
そう言うわたしも(梅は、バラ科のサクラ属だから挿し木より接ぎ木の方が可能性があるんじゃない?)とか(いや、あくまでもこれは梅の小枝で、根のある親木ではないし・・・・)とか、この梅の小枝を枯らさずに済む方法はないものかとあれこれ思案中。
すっかりこの小枝を愛しちゃってます。