無料なのに丁寧な解説付き!…植物を愛でながら、浦和くらしの博物館民家園をのんびりお散歩♪ | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

無料なのに丁寧な解説付き!…植物を愛でながら、浦和くらしの博物館民家園をのんびりお散歩♪

 

今回の記事は、休日に見学料無料でゆっくりノンビリ回れる場所でありながら、ちょっとだけ知的好奇心も満たされそうなところを探している人には少しだけ参考になるかも?

 

JR武蔵野線「東浦和」駅から北東方向へ直線距離2.2kmの場所にある、さいたま市園芸植物園(大崎園芸植物園)からお散歩スタートです♪

※さいたま市緑区大字大崎3156-1

 

この園芸植物園は約35,000㎡の敷地に大中小の(温室)と、花木園、日本庭園などがあります。

 

特に小温室は花の女王と呼ばれるカトレアを中心とした洋ラン温室になっていて、「花の盛り」の2月から3月ごろまでは、花はもとより香りもいっぱいで特に女性にも大好評なんだとか!

 

ここも無料で、ゆっくりノンビリ綺麗なお花を楽しめるのでおススメの場所ではありますが・・・

 

今回メインでご紹介するのは、国道463号を挟んだ道の向かい側にある場所。

 

浦和暮らしの博物館

民家園

平成7年に開館し、さいたま市内に残された伝統的な建物を移築復原しながら、現在7棟の建物を公開している野外博物館です。

※さいたま市緑区下山口新田1179-1

 

さぁ入園して早速、古い商家建築が見えてきましたよ!

 

最初に出会ったのは、寄棟茅葺屋根の「旧高野家住宅」。

 

元は中山道「浦和宿」の街道沿いに建っていた商家で、旧浦和宿の中では現存する最も古い建築物の1つなんだそうですよ。

 

元々は、浦和区岸町7丁目の中山道沿いに建っていました。

 

JR浦和駅から中山道を東京方面へ行き、調神社(つきじんじゃ)の手前にあったみたいですね。

 

こちらの高野家は、明治後期からは煎餅店として営業していたそうです。

 

建築年代は江戸時代末期で、さいたま市の文化財に指定されています。

 

浦和宿の商家、

2連発♪

続いてご紹介する、1軒目と並んで建つ白い漆喰の外壁が美しい建物は「旧綿貫家住宅」。

 

こちらも中山道浦和宿(現在の浦和区常盤2丁目)で、雑貨や砂糖などを扱う店蔵でした。

 

防火に優れた塗屋造りで、虫籠に似た「虫籠窓(むしごまど)」と呼ばれる格子窓があるのが、正面外観上における特徴です。

 

こちらも建築年代は江戸時代末期から明治初期と推定され、市の文化財に指定されています。

 

中山道浦和宿は、上方(京都方面)側から上町、仲町、下町の順に町割りされていました。

 

上町が宿場町北側にある現在の浦和区常盤・・・

 

仲町が浦和区仲町、下町が浦和駅前で宿場町のの南側に当たる浦和区高砂に該当します。

 

隣家との間には幅1mの通路があり、南北方向に通り抜ける中山道に対して東西に細長い短冊状の敷地の中に、綿貫家も中山道に面して間口4間(7.2m)の店蔵正面を向けていたそうです。

 

幅1mの隣家との間の通路沿いには、街道側から店蔵、裏座敷、倉などが並んでいたとの事。

 

旧仙台藩領内の商家建築における「前庭通行式」という形態に、少し相通じるものがあるかも?

 

この綿貫家は、1階の天井に2階へ荷物を上げ下げする際に使用する穴がありました。

 

ちょうど、1階土間の天井部分に穴が付いていて、2階の廊下に荷物を置くようにしていたみたいですね。

 

お稲荷様

園内には、さいたま市桜区西堀8丁目の氷川神社境内に鎮座していた末社を移築したという、丸山稲荷神社の社殿も展示してありました。

 

元々お稲荷さんとは、稲を荷った農民の姿をまとった神様。

 

その後、仏教の荼枳尼天(だきにてん)と合体視されたため、狐がお使いになったのだとの事。

 

農業の神から、現代のように殖産興業の神、商売繁盛の神、屋敷神(家神)に転化したのは、江戸時代中期ごろからなのだそうですよ。

 

元「庫裏」

次にご紹介するのは、さいたま市内の南区大谷口にかつて存在した寺院という「安楽寺」の庫裏(「くり」…寺院の台所や僧侶が居住する場所)として使われていた建物「旧野口家住宅」です。

 

安楽寺は明治初年に廃寺となり、その後は野口家の母屋として使われていたとの事。

 

こちらも建築年代は江戸時代末期と推定され、市の指定文化財になっています。

 

寄棟茅葺屋根のせがい造り、間取りは田の字型の4間取りというスタイルは、さいたま市見沼地域における農家の母屋(主屋)として、典型的な姿なんだそうですよ。

 

土間と田の字型に配置された4間の接点にある大黒柱は、7寸の太さ。

 

他の柱は4寸なので、大黒柱だけは特別に太いモノを使っている事が分かります。

 

豪農の長屋門

続いてご紹介するのは、さいたま市緑区三室より移築されたという「旧武笠家表門」。

 

この長屋門は結婚式や葬式などの特別な日にしか開閉せず、普段はこの長屋門の脇に存在したという別の出入口を使用していたのだそうですよ。

 

推定建築年代は江戸時代後期で、こちらも市の文化財として指定を受けています。

 

門の中は、農作業等に使う道具が保管されていました。

 

典型的な古民家の姿

長屋門の先に見える母屋は、さいたま市緑区井沼方に存在した別の家から移築したようです。

 

この「旧蓮見家住宅」は、江戸時代中期に建てられたと推定されており、市内に現存する最古の民家と考えられているそうです。

 

寄棟茅葺屋根で、間取りは広間型三間取りです。

 

正面にある格子窓は「ししまど」と言い、猪など野生動物の侵入防止で作られたのだとの事。

 

建物正面から見て土間の左手側は、かつての馬屋。

 

室内側から見ると、部屋上部に間仕切り壁があって視覚的に仕切られているのがわかります。

 

かつてはこの家に、人と馬が一緒に住んでいたのだそうですよ。

 

こちらも、市の指定文化財になっています。

 

穀物倉庫

農家ゾーンの敷地脇にある間口2.94m×奥行1.16mの寄棟、茅葺きの小建築は、穀物を保存するための穀櫃(こくびつ)だったそうです。

 

この「旧中島家穀櫃」は、さいたま市緑区三室より移築されました。

 

内部は3等分に仕切り、前面の落とし板をスライドさせて収納する仕組みになっているとの事。

 

この地方によく見られる貯蔵形態で、建築年代は江戸時代後期と推定されています。

 

農協の倉庫

最後にご紹介するのは、何と国の登録有形文化財に指定されているスゴイ奴!

 

元々は、大正8(1919)年に栃木県小山市で干瓢の倉庫として建築され使われてきましたが・・・

 

昭和31(1956)年に「旧浦和市農業協同組合三室支所倉庫」として、さいたま市緑区三室に移築され、米の倉庫として利用されてきました。

 

大理石と漆喰を使った土蔵造りの石蔵です。

 

中は、企画展示室として現在使用されていて、こちらももちろん「見学無料!」。

 

中山道から移設

建物展示がメインの屋外展示施設(公園)ではありますが、道路遺構もありました。

 

現在は閉鎖されている南側入口の用水路に架かる橋の石製欄干ですが、実は中山道から移設した物なのだそうですよ!

 

この「中山道金比羅橋欄干」の標識は、園外からでないと見難い場所に設置されています。

 

ちょっと存在自体が地味なので、注意して見ないと見落としてしまうアイテムですね。

 

再び、最初に見た煎餅屋さんの前まで戻ってきました。

 

どうせなら、この建物の中で煎餅焼き体験とか、本物の煎餅を売る茶店みたいなイベントやったら良いのに(笑)

 

そう、千葉の「房総のむら」みたいな感じにね♪

 

まぁ、贅沢言っても仕方が無いので、近所のスーパーで買った安い煎餅でも齧るか(笑)

 

いかがでしたでしょうか?

今回の記事は、休日に見学料無料でゆっくりノンビリ回れる場所でありながら、ちょっとだけ知的好奇心も満たされそうなところを探している人を念頭に書いてみました。

 

メインでご紹介した「浦和くらしの博物館民家園」ですが、入園料は無料!

 

しかも、休日でも人は少なめなので、ゆったりノンビリ園内を散策することができますよ♪

 

同種の事例としては、東京都小平市「小平ふるさと村」がありますが・・・

 

あちらに比べて、今回ご紹介した浦和の場合は手描きイラスト付きの解説も多く、古民家に興味が無い人でも「ふ~ん」って、何となく分かった気になれるのでおススメですよ。

 

当方ブログも、今後は「伝わりやすさ」の向上に取り組んでいきたいと考えています。

 

今回のご縁に感謝し、よろしければ次回もまたご訪問頂けたら幸いと存じます。