オリジナルな着想で「願い」をかなえたい今!だから、美味しいソースラーメンを食べて元宮までお散歩♪ | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

オリジナルな着想で「願い」をかなえたい今!だから、美味しいソースラーメンを食べて元宮までお散歩♪

 

皆さんはソースラーメンを食べたことはありますか?・・・千葉県船橋市の「知る人ぞ知る」ご当地B級グルメで、既に本ブログ内の過去記事で2回ほど記事を公開しています。

 

 

基本的には、普通の醤油ベースのラーメンスープに、少しだけウスターソースを足したような味付けで、割と違和感なく食べられるモノなのですが。。。

 

今回ご紹介するのは西船橋の千葉街道沿いにある「麺屋あらき竈の番人外伝(千葉県船橋市西船5-3-10)」というお店で、元々は濃厚な魚介豚骨スープで食べる「つけ麺」が好評の店。

 

なので、この店で出しているソースラーメンは「元祖」と呼ばれる店(大輦さん■本ブログ内関連記事参照)の味とは異なり、煮干しと辛子が効いて「一味違った」感じになっています!

 

 

ラーメン店の右隣…

葛飾神社

 

正面の神社本殿を囲む玉垣の中に聳え立つこのクロマツは、幹が二股に分かれて社殿を覆うように枝が笠状に伸長しており、南側から眺める姿は、社殿と一体化しているような美しい景色を成しています。

※主祭神は瓊々杵尊、彦火々出見尊、熊野大神

 

このクロマツの樹高は13m、幹回り3.42m、葉張り16.5mで、船橋市内では最も太いクロマツなのだそうです(平成23年3月計測値)。

 

かつての葛飾神社は、本記事内で後述する「葛羅の井」西側にありましたが、元々この地に存在した熊野神社へ大正3(1914)年合祀されることになり、同5(1916)年に移され、村社葛飾神社と改称し現在に至っているとの事。

※千葉県船橋市西船5-3-8

 

拝殿向かって右奥に、一瞬「焼却炉(?)」かと見間違えるようなコンクリートブロック製の簡素な祠があり、摂末社が祀られていました。

※天満宮、鹽竈明神、稲荷神社、日枝神社、羽黒神社

 

 

勝間田公園

 

神社右隣には、かつて勝間田の池と呼ばれた景勝地でした。

※ちょうど西船橋付近の国道14号「千葉街道」に中央分離帯が設置されている個所です

 

万葉集などに詠まれた大和国西の京、唐招提寺と薬師寺の近くにあったという勝間田の池になぞらえられ、その名は寛延2(1749)年刊行の『葛飾記』などに登場して、下総の歌名所の一つとして数えられるようになっていたのだそうです。

 

勝間田の池は昭和40年代に埋め立てられて、現在の「勝間田公園」になりました。

 

 

葛羅の井

 

葛飾明神御手洗の井」とも呼ばれ、鎌倉時代から名泉とされて昭和40年に船橋市の指定文化財に指定されていますが、戦後に永井荷風が随筆『葛飾土産』で紹介するまで長い間人々の記憶から「忘れられた存在」だったようです。

※(かづらのい)千葉県船橋市西船6-174-1

 

昔は、水脈が富士山までつながっているなどといわれており、どんな日照りにも水のかれることはなく、マラリアにかかった人がこの水を飲めば必ず治癒するとも伝えられていました。

 

井戸への入り口には、市の名木10選にえらばれた大きなケヤキの木がそびえていて、由緒ありげな雰囲気に浸れるよう整備されているかのように思えますが・・・

 

池に面した場所は民家の庭先になっているので(千葉県とはいえ東京都心に近い住宅街であるがゆえ、仕方がないことではありますが)、住民の目を気にしながらの見学で、やや興ざめ気味という意見もGoogleに見られます。

 

 

葛飾元宮

 

葛飾神社の現地案内板によると、本記事内で先述の通り「大正3(1914)年合祀」されるまでは、葛羅の井の「西側」に存在した・・・と書かれているのですが、、、

 

現在、葛飾神社の「元宮」と呼ばれている小さな祠は、葛羅の井から見て東北東へ直線距離で230mの場所に鎮座されています。

※千葉県船橋市印内1-8-29(印内1丁目公園)

 

住宅地の開発に伴い元宮自体も遷座されたのでしょうか?・・・祠自体も未だ比較的新しそうですが、そのことを示す資料は今回の探索で発見することができませんでした。

 

新興住宅街の中に存在する地区公園の片隅に、いかにも「改めて綺麗に整備いたしました」然として佇んでいる姿から察するに、恐らくは遷座の上で隣接する公園とともに再整備されたものと思われます。

 

 

ゲエロの池

 

これは「文字通り」カエルの鳴き声から令名された地名です。

 

小高い丘が連なる船橋市の内陸部ですが、崖下には谷戸が形成され、小規模ながらも扇状地化された場所からは至る所で湧水(溜池)が見られたそうです。

 

昔はこのあたりも(宅地化される前は)蛍が乱舞しながら飛び交っていたそうですよ。

 

「尋常小学校」という文字があるので明治時代から戦前にかけての絵地図でしょうか?・・・

 

千葉県東葛飾郡葛飾村本郷(現在の船橋市西船・葛飾神社周辺)の様子を描いた古い鳥観図が、ゲエロの池に設置されていた看板で紹介されています。

 

 

いかがでしたか?

今回は、先ずは「元祖」とは若干異なり、店独自のオリジナルな味を追求した船橋ソースラーメンを提供する「麺屋あらき竈の番人外伝」というお店をご紹介いたしました。

 

昨年度はコロナで大打撃を受け、再起をかけて「今年度こそは・・・」の願いを天に届けたい今だからこそ、店に隣り合う地域の氏神様にもご挨拶させていただき、若干ではありますが「元宮」までの由緒を併せて辿っています。

 

結局は、成功者(先駆者)の「巨人の肩(■本ブログ内関連記事参照)」に乗りながらも、僅かながら自分独自の切り口で着想しオリジナリティを見出す以外に突破口は無いようですね。

 

そんな訳で皆さんも西船橋まで来たら、、是非とも競馬場へ行くまでの間にソースラーメン食べて、腹ごなしに葛飾神社周辺の風致地区を「願掛け散策」してみてはいかがでしょうか?