「黒い蕎麦」は小江戸・佐原の名物料理…江戸時代創業&明治の町家で食べ、春の陽気に誘われ歴史を探す | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

「黒い蕎麦」は小江戸・佐原の名物料理…江戸時代創業&明治の町家で食べ、春の陽気に誘われ歴史を探す

 

千葉県の佐原・・・もちろん見どころと言えば香取神宮や、小野川沿いに展開する小江戸と言われた古い街並みですが、、、

■本ブログ内関連記事(奥宮編)参照

■本ブログ内関連記事(寒香亭編)参照

 

では、何か名物の食べ物はあるか?と聞かれた場合に、本ブログ管理者がイチオシするのが、今回ご紹介する小堀屋本店さんの「黒切りそば」です。

※千葉県香取市佐原イ505(水曜日定休)

 

本記事冒頭に掲載した写真を見て頂ければ一目瞭然!・・・艶がある真っ黒に「黒光り」した細い蕎麦というのは、他所で滅多にお目見かかれるものではありませんよ♪

 

どうやら更科蕎麦のように打って日高昆布を練り込んでいるようなのですが、何と江戸時代からこのお店に伝わるオリジナルメニューなのだそうです。

 

 

店自体「文化財」

 

先ず、店の外観見ただけで「佐原に来たぞ!」っていう気分に浸れると思いませんか!

※店の場所も佐原観光のメッカである「忠敬橋」近くに立地

 

江戸時代から8代続く老舗蕎麦屋さんの店舗は、扉を開けて店内に入ると先ず目に飛びこむ左右の畳座敷、そして2階へ続く急勾配の階段など、明治時代の店舗形態を良く残しています。

 

ちなみに、、、

※店舗:切妻平入り、明治33(1900)年築

※土蔵:切妻妻入り、明治23(1890)年築

※創業:天明2(1782)年

なんだそうですよ。

 

表には明治35年に佐原で初めて嵌められたガラス障子、3尺(約90㎝)内側には江戸時代からの町家形式である「蔀戸(しとみど)」が降りてきます。

 

店内には、蕎麦打ちの秘伝書や道具類が今でも残っているのだそうです。

 

そんな訳で、当然ながら千葉県の有形文化財に指定されています。

※小堀屋本店さんから、すぐ30m先に見えるのは「忠敬橋」です

 

 

道端に残る歴史

 

小堀屋本店さんの店を出て旧街道沿いを90m西へ行くと、丁字路の片隅に「佐原町道路元標」が残っていました。

 

現在、佐原の中心街を迂回している国道2路線(厳密に言えば4路線)は、すべて後年になってからバイパスとして新たに整備された道を通っていますが、、、

※この事実を踏まえて以下の画像を見ていただきたいのですが・・・

 

道路元標から220m北(JR佐原駅)方向へ行った千葉銀行佐原支店前ですが、丁字路の一角に「千葉懸 000」の距離標が残存していました。

 

現在この場所は、県道2号(水戸鉾田佐原線)の終点ですが、「0キロポスト」が存在するということは、ここを起点とする路線がある(かつて存在した)という事を示しています。

 

それにしてもコレ、「懸」の文字といい、劣化の具合といい、かなり古そうですね。。。

※表面メッキ加工されているのか?それとも銅製なのか?…腐食による文字の損傷も少なく、未だハッキリと記載内容が確認できます

 

その中でも、千葉県の管理道路では滅多にお目に掛かれない距離標が打たれるほど重要な路線という事で候補を絞って考えてみると、現在の地図から消えた県道1路線が浮かびます。

 

恐らくは、昭和50年に国道356号へ昇格する以前の旧県道「佐原我孫子線」の起点標なのではないでしょうか?

※昭和38年に旧2級国道123号が1級国道51号(国交省直轄)へ昇格し、1次改築(バイパス化)されるまで、国道51号は佐原の街中を通過

※その後、昭和52年に現在(2代目)の水郷大橋が(初代より270m上流の位置に)完成

 

ちなみに、事実上は「茨城と埼玉の国道」である125号の書類上における正式な起点は、今でも千葉県香取市佐原で、茨城県稲敷市北田までは国交省直轄の国道51号と重複している事になっています。

※51号「佐原バイパス」立体交差が、現在の125号起点

 

なので、最初は125号の起点かと思ったのですが、千葉県の場合は他の都道府県と異なり、起点から終点方向に向かって道路右側に距離標(粁標)の標識が設置されているのが「通例」。

 

それを考えると、あの位置に設置するという事は「佐原我孫子線」である可能性が最も高いのではないかと推測されます。

 

いちおう、昭和53年発行の地形図(1/50000「潮来」)には、現在の県道2号のルート上に「国道」を示す茶色い着色の連続線があることがわかります。

※地図左側は昭和55年発行の地形図(1/50000「佐原」)ですが、こちらには県道2号の経路上に「国道」を示す着色は無し

 

現在のバイパス完成までは横宿通りが「国道51号」だったそうです(当時から一方通行規制だったようですね)。

 

先ほど「0.00距離標」が設置されていた千葉銀行で直角に折れ、駅の北側は市役所と佐原中学校の間を抜ける現県道2号のルートが昭和46年まで「51号」として供用されていたようです。

※「目で見る佐原・香取の100年」郷土出版社2002年、p.134より引用

 

 

県道「佐原港線」?

 

平成23年の現駅舎新築を追い、平成27年に駅前広場が整備されましたが、敢えて昔懐かしの「白看板(行先と目的地までの距離を示す標識)」や、駅名標のオブジェを設置・・・

 

駅周辺の案内地図にも、通常他都市にあるようなものとは異なり、よく見ると「旧○○跡」のような注釈が印字されていて、街の歴史が市外からの来訪者にもわかるように工夫されています。

 

その中で気づいた箇所(1つだけ抜粋して紹介)・・・

JR佐原駅の北側は、かつて「佐原港」という川湊の跡だったようです。

 

しかしながら、駅前案内地図に記載されている「旧県道佐原港線」を示す文字(写植)位置は、間違っているのではないかと最初は思っていたのですが、、、

※本当は、1本南側の道ではないか?(この地図は、駅の南側に広がる佐原の中心市街地を案内しているので、「南が上方向」を示しています)

 

ちなみに、近年新築の県合同庁舎内に移転した香取土木事務所跡地前の道を歩くと、両側の路肩に、現在でも千葉県の敷地境界を示す標識が、全線にわたって埋め込まれていました。

【2021.5.20追記】

旧県道佐原港線」の件、香取市役所からご丁寧に回答を頂きました

  • 当該道路は、昭和54年11月26日に千葉県から(旧)佐原市へ移管
  • 「千葉県」の管理境界杭が現在でも設置されている旧河港水路(現・入船ポンプ場)南側の道路については、現在でも千葉県香取土木事務所が管理(港湾・河川管理道路、または県道2号の一部・支線として?)

との事でした。

しかしながら、一方の□香取土木事務所管内図(外部リンク参照)の側には何の記載も無いので、正直に言わせていただければ半信半疑なのですが、少なくとも香取市の道路台帳上としては、そのような扱いになっているのだそうです。。。

 

旧「入船橋」付近を撮影・・・

※小野川沿いは観光名所として古い街並みと河岸が残存していますが、、、

 

駅北口の現在は公共施設群が建ち並ぶ場所にかつて存在した掘割状の近代港湾は、全て埋め立てれ消滅しています。

 

 

いかがでしたか?

今回は、小江戸の街として知られ有名な観光地になっている千葉県の佐原で、映えする写真が撮れそうな名物料理「黒きりそば」を冒頭にご紹介いたしました。

 

更科蕎麦のように打って日高昆布を練り込んでいるようですが、蕎麦を啜っている限りでは特に癖があるわけでもなく、適度なコシがある普通の更科蕎麦という風味と食感です。

 

しかしながら、そば湯を注ぐと一目瞭然!・・・通常は白っぽい湯が出てくるのですが、明らかに昆布エキスが抽出されていることがわかりますね。

 

蕎麦だけでなく、店自体がこれぞ「THE 佐原」と言うべき、ご当地に相応しい文化財級の建物なので、「佐原に来た!」感にどっぷり浸りたい人にはマジでお奨めです!

※再掲(水曜日定休)、営業時間11:00~16:30が基本ですが、季節によって臨時定休があるようなので、入れたらラッキーかも♪

 

皆さんも是非とも、忠敬橋近くにある小堀屋本店さんに立ち寄り、腹ごなしに街の歴史を見つけながら周辺を散歩して、佐原観光を徹底的に楽しんでみてはいかがでしょうか?