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11月23日まで展示してます。
神奈川県相模大野駅の近くだそうです。
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年をとるごとに時間が早くなるっていうのを
あんまり実感できていないのは、
よくも悪くも一個一個色々感じてしまう事と
そしてそれがなんだったか考えてしまう事が原因に思う。
なんだかずっと何かを気にしてしまって
それがどうだったか結論に似たものが出るまでマイワールドを巡回していたり
もう全部全部どうでもよくなってしまったりで
1日終わる頃にはぐったりしてる僕ですが
そういうのも含めて僕を面白がってくれる人たちありがとう。
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早い時間にうっかり眠って深夜に目を覚ました時、
時間のあいだに挟まってしまったようなその心地よさは
セーブポイントをみつけたファイナルファンタジーの安堵に似ている。
紆余曲折あって年を重ねた結果、コレだと思って湯煎の仕事を選んだ友達が居る。
亡くなった人の体を綺麗にする仕事だそうだ。
とにかく物量をこなして自分を確保していたけれど激務に耐えかねて島に帰る友達が居る。
はたから見れば煌びやかな、芸能人に取材したり原稿を書いたりする仕事をやめて、自分自身に戻るらしい。
デザインやったりバンドやったり自暴自棄になったりした結果「花で世界と勝負したい」という友達が居る。
あの頃の棘棘しさは無くなって、まじめに働いて順番に大人になろうとしている。
親のために働く人がいる。親につぶされそうな人もいる。
「何が出来ないかを知るってのはネガティブなことじゃなくて大切なことなんだ。」
って、深夜の電話で遠くの友達と話した。
社会は激しい時間の流れの中にあって、いちいち気にとめてられない感情が沢山あって、
けれどもそのいちいちを気にして立ち止まってしまう僕だったりして、
それを才能と呼ぶ人もいれば残念に思う人もいたりして、
よく言うことなんだけど
自分っていう乗り物にどんな機能がついているか、
ハンドルやブレーキはどこか、アクセルはあるか、
そういう事を知った時に
高速道路を流れる自動車になれないスワンボートのような滑稽な自分を知った時に
じゃあいかにそのペダルで海を渡れるかを覚えるのが、年を重ねるってことなんだろう。
そこからしか見えない景色をいかに自分のものにできるかが
誰かを大切に出来るかどうかに変わっていくことのように思います。