五十路は人生半ばなり -23ページ目

五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

今日は寒いらしい。
昨日などは買物に出て歩いていると汗ばんできて、何も考えずに冬支度で出てきてしまったことを後悔した。周りを見ると私と同じようにがっちり冬装備の人もいれば、やや春めいた薄手の上着を着用している人など様々だ。仕方なくダウンジャケットの前を解放して風を入れながら歩いたが、そうするとまだ冷たい空気が爽やかに感じられて気持ち良い。足裏の痛みや痺れは相変わらずだが、さすがに慣れてきたので普通に歩いている分には気にならない。それよりも最近は腰痛が・・・と思い、そう言えば腰痛と病気やプレドニンとの関係について調べていなかったと思いつき、早速調べてみて気になる記事を見付けた。

http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/iryou/iryou200suteroido.htm

免疫学の安保徹医学博士の書籍からの抜粋だ。「病気を難治化させるステロイド剤」というタイトルになっている。炎症を一発で食い止めるステロイドの効用と、長期にわたってステロイドを服用することの危険性について簡単に説明されている。ただし著者の安保徹さんは免疫学の権威と紹介されていることも多いが、変わった持論を展開するために評価は賛否両論だ。ステロイドについてはこのような意見もある・・程度の感覚で読んだ方が良いだろうと思う。

病気は本来は体が自力で治してくれるものだ。しかし好酸球性多発血管炎性肉芽腫症などのように、体を修復してくれるはずの機能が暴走して障害を起こしてしまう場合には、外的な措置でこれを食い止めなければならない。プレドニンなどのステロイド剤はこのような用途には最適な薬で、極めて短時間で障害の原因を抑制して症状を改善させる。ただ、考えなければならないのは障害の直接的原因になっているのは好酸球であるが、その好酸球が暴走する理由については解っていないことだ。

私は以前、ラムゼイ・ハント症候群という病気を患ったことがある。主に喉から顔面にかけての左右どちらか半分の神経が麻痺してしまう病気で、水疱瘡のウィルスが引き起こす症状なのだという。幸いにして完治したが、対処が遅れたりすると完治しない場合もあるらしい。この時にもプレドニンが投与され、約2ヶ月掛けて徐々に量を減らして完治に至った。水疱瘡ウィルスは水疱瘡にかかったことがある人は、誰でも持っているのだという。体内に潜伏しているが、普通は表面化することがない。これが表面化すると麻痺などの症状を起こすのだが、なぜそれが出てくるのか、あるいは出て来ないのかその理由は解っていない。私を担当した医師も発症の原因を探ろうと詳しい検査や問診を試みたが、結局解らなかった。原因が解らないからには、また発症するかも知れない。発症したらまた同じように対処するしかないということになった。

好酸球性多発血管炎性肉芽腫症などの病気でも同じことだ。プレドニンで症状を抑えたら治ったというデータがあるからプレドニンを処方するだけで、なぜ症状を抑制すると治るのかは解らない。決して医学を馬鹿にするわけではなく、人間の体というのはかくも神秘に満ちあふれているということなのだが、医療とはこの程度までにしか至っていない。「壊れたらまた持ってきてください」という修理屋のようなもので、壊れる原因を取り除くことはできない。

まるっきり分野が違うので参考にもならないかも知れないが、臨床心理学では神経症と呼ばれる精神疾患の治療について、次のようなことが言われている。いやいや・・余りもっともらしく書いてはいけない。臨床心理学の教授で神経症の治療やカウンセリングの現場でも活躍している方の言葉だ。薬は浮袋のようなものだという。溺れている人に泳ぎを教えようと思っても、教えている内に溺れて取り返しが付かなくなってしまう。溺れている人には取り敢えず浮袋を差し出して、一息付いてもらう。落ち着いたらゆっくり泳ぎ方を教えていけば良いのだという。浮袋につかまりっ放しの人は、いつまで経っても自力では泳げない。同じように向精神薬を飲み続けている人は、薬がなければ平常を保てなくなってしまう。

私の担当医などはプレドニンについては懐疑的なので、あくまでも応急的な処置と考えているようだ。プレドニンを5mgから2.5mgに減らした時も「2.5mgだと影響ないかも知れませんが」と言っていたくらいなので、他の方のブログなどでもの凄く微妙にプレドニンの処方量を減らしているのを見ると、どちらが正しいのか解らなくなる。現状私が回復しているのが医師の処方が正しいことの証明なのか、私の症状が軽かったのか、私が特に強い体質なのかは解らない。ただ少なくとも、私にはこの医師の処方が合っていたのだと言うことはできると思う。
退院5ヶ月、プレドニンが0になって4週間。最近、少し足がびりびりと痺れることが増えたような気がして「前はどうだったっけ?」と記憶をたどってみたのだが、意外と覚えていない。退院してすぐの頃は靴下で直接に床に立つと足裏が非常に痛かったのと、滑りそうで危険だと思ったことを覚えているから随分良くなったことは確かなのだが、痺れはどうだったか。そう、息子に聞かれて確か「正座して足が痺れた時と似たような感じ」と答えたから、痺れも結構強かったのだろう。

足の痺れは夕方頃に強くなり、入浴すると「ほっ」と治まる。神経の損傷が原因のはずだが、血行も関係しているのだろう。湯船につかりながら足のマッサージや足指の曲げ伸ばし運動をするのが日課だ。最近になって筋生検で神経を取ってしまった部位がときどき、びりびりと痺れるように痛むことがある。「ここは一生無感覚だと思います」と医師が言っていたが、もしかすると神経が戻ってきているのかも知れない。人間の体は未知の領域だ。

最近は寒いせいか指先の血行が悪くなって、第二関節から先が白くなってしまうことがある。昔からそういうことは有ったように思っていたので特に気にしなかったが、この病気・・・好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(チャーグ・ストラウス症候群、アレルギー性肉芽腫性血管炎)のことを調べている時に、指先などの血行が阻害されるのも膠原病の症状のひとつだということを知った。もしかすると関連性はないのかも知れないが、知っておいても損はないだろう。レイノー症状(現象)というそうだ。指が冷たいなと思って気が付くと、指先が白くなっている。そのまま放っておくと感覚が無くなり、爪が紫色がかってくる。指の屈伸など繰り返しているとやがて元に戻り、今度は指全体的に赤らんでくる。血が止まったままで壊死してしまうようなことはないようだ。また温めながらマッサージすると、早く回復する。

今朝はことのほか寒いようだ。まだ暗い内にゴミ出しに外に出た時は、凍えるような気がした。天気は良いようだから少しずつ気温も上がるだろうが、水たまりなどは凍っているので注意が必要だ。
朝、まだ暗い内にゴミ出しのために階段をおりて、ゴミの袋を置いてからまた階段を上る。手すりを使わないように・・と思うたび悪いような気持ちになる。この手すりは大家さんが私のためにつけてくれたのだ。100%私だけのためというわけでなく大家さんも歳だから階段がきつくなって・・ということだったが、私の勝手な要望に応えてくれたことには違いない。リハビリのためには手すりを使わずに階段を上る訓練が必要だけど、手すりを使わないと大家さんに申し訳ないという・・。今でこそ手すりを全く使わなくても4階の自宅まで上れるようになったが、退院初日は「上れるかな」という不安とともに杖に必死にすがりながら(その時はまだ手すりがなかったので)ようやく目的の4階にたどり着いたときの達成感と言ったら。

入院中のリハビリでも、自宅がある4階まで階段を上れるかが一番の課題だった。そのため普通のリハビリと違って、私のリハビリの多くは病院内の階段を使って行われた。自宅の階段の一段が高いものでトレーナーさんが病院内の階段を全部調べて、一番段差が高い階段を見付けてくれた。同じ病院の階段でも場所によって段差には違いがあるのだとその時初めて知った。各階の移動は普通はエスカレーターかエレベーターで階段は全て非常口のような作りになっている病院だったから、階段を使うためには大きな非常扉を開けて中に入らなければならない。人気のない階段で・・私がリハビリに使っていた階段は使用する人が少なかったのだろうと思う・・よいしょよいしょと無い筋肉にむち打ってリハビリに励んでいると、ときどき疾風のような早さで白衣を着た医者が駆け降りたり駆け上がったりしてくる。私の姿を見付けると一様に足を止めて、会釈をして静かに横をすり抜ける。皆、紳士なのだ。

ある時には、やっと踊り場にたどり着いて一息付くと後ろから「大分いい感じになってきましたね」・・振り返ると私の担当医で、練習の様子を後ろから見ていたらしい。「それじゃ」と言った後はまた走って階段を上っていったが、この医師がゆっくり歩いているところを私は見たことがない。妻から聞いた話では、病院では医者や看護士など職員は基本的にはエレベーターは使わないことになっているのだという。万一の災害の時にエレベーター内に閉じ込められることを警戒するためだが、若い医師などは平然とエレベーターに乗っていることも多い。階段を走っているのは割と年配の医師が多いように思うのだが、自覚の違いか教育の違いか。どちらにしても走っている医師の方が、悠然と歩いている医師より好感が持てることは確かだ。

院内を自由に移動して良いという許可が下りてからは、一人でも空いた時間に階段に行っては練習を繰り返した。当時はまだプレドニンの投与量も多かったので疲れやすく、1階から3階まで通しで上ると動悸、息切れでしばらくは壁に寄り掛かって休まなければならなかった。そしてまた1階まで降りてロビーの椅子で一休みしてから階段を上る。今日は2セット、今日は3セットなど往復回数を決めて挑んでいたが、練習中に担当医や担当医の上の神経内科医長などと出会って声を掛けられると、ついつい「もう1セット」と頑張ってしまって翌日筋肉痛に悩まされたりした。かなり歩けるようになってきてからは、階段練習の後に病院の敷地内のコンビニに行って飲み物を買ってくることもメニューに加わった。空調完備の病院の建物から一歩外に出ると、晩夏の熱気と湿気が一気に押し寄せて外・・自由な世界を強く意識したものだ。よれよれの寝巻きのままでコンビニに行っても不審がられないのも、また気楽だった。

リハビリでトレーナーさんが一生懸命に階段練習に取り組んでくれたのは、「歩けないで家に帰ると引きこもりになってしまうから」だそうだ。確かに自分の足で階段が上れなかったら、家から出る気持ちも持てないだろう。私は何とか階段を上れるようにしてもらってから退院したが、それでも外出する時は勇気が必要だったくらいだ。今は気楽に外出できるようになったが、足先や足裏の麻痺は実のところ治ってはいない。慣れただけというのが実際のところだろう。治れば治るに越したことは無いが、このままでも文句は言うまい。