十蘭の「だいこん」を読む。(Dec. 26, 2023) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 12月26日(火) 8時半起床。快晴。気温氷点下2度。体重71.3キロ。

 午前中のことが思い出せない。日課の一つとしてリハビリの自主訓練をしたが、それ以外が思い出せない。たぶんiPadでYouTubeでも見ていたのだろう。K子は掃除をしていた。

 昼食後はコインランドリーへ行き、居間に敷いてあったカーペットを洗う。50分かかるのでその間にワタナベとよってけしーで肉や野菜などを買う。ファミリーマートからメルカリで売れたSONYのカセットテープを発送してする。

 

 

 K子が南天を買ったことから松もと思ったが、松は買うまでもないと買わなかった。子供の頃は暮になると松を切ってこいと親に言われて、近くの山の松林に行った。個人の松林だったのか、村の共有地のだったのか知らない。正月の松飾の松は買うものではな買ったのだ。昨日クリスマスプレゼントにナイフをもらったが、そのためにもナイフが必要だったのである。買い物から帰宅後、近所で松を調達しようと探したが杉や檜はあっても松は意外に少ない。目星をつけた松は巨木で松飾に相応しい松の枝には届かない。家に前の森にも2、3本松があることはわかっていたが、みな10メートル以上の高さだ。ダメだろうと思ったものの、森へ入り、松の木のところに行ってみると、強風で折れた松の枝が足元に落ちていた。松飾にちょうどよい。残念だったのはナイフの切れ味を確かめられなかったことだ。

 

 

 久生十蘭の「だいこん」を読む。主人公は外交官のお転婆娘で、だいこんというあだ名はお察しの通りだ。時は天皇の玉音放送があった日の前後。戦時の混乱期を純日本人の視点ではなく、欧州で教育を受けた日本娘の視点で書くところが十蘭の真骨頂だ。たかが上流階級、特権階級の視点じゃないか、現実離れしたものの見方だというのは簡単だ。日本が敗戦後世界との繋がりを失わなかったのは彼らの存在があったからではないか、十蘭を読んでいるとそんなふうに思えてくる。