2026年10月15日(木)

 7時起床。晴れ。気温11度。体重76.4キロ。

 今日の誕生日作家は、野村胡堂、レールモントフ、イザベラ・バード、イタロ・カルヴィーノ。気軽に読めるものということで野村胡堂「捕物小説は楽し」を読む。楽しく捕物帳を大量生産しているところがすごい。カルヴィーノは昨日1冊注文したので明日届く。文学講座で取り上げるかもしれない候補作なので1日遅れで明日読むことになるだろう。

 

 

 外のタンクと18リットル入りの灯油タンク4個に灯油を配達してもらった。料金は2万円近くした。寒くなると暖房費のやりくりに苦しめられる。寒冷地の宿命だ。

 家に金がなかったので後で払いにいくことにして郵便局に行く。待ちに待った年金の支給日なのでATMには長蛇の列、ということは田舎の郵便局ではありえないが、ぼくの前に2人、後ろに1人の列ができていた。列は短いが待たされる。老人はATMの操作でもたつくから。ぼくも次の人を待たせた。それで次の人のためにドアを押さえてやった。

 

 

 ヒマラヤスギとドイツトウヒの林の脇に車を停めてキノコの探索。雨が降り気温も上がったのでもしやと思ったのだが、タマゴタケ1つとエリマキツチグリがあるだけだった。

 昼食をすませて、午後1時過ぎ、カメリアニコティーへ。K子と2人展をしたMさんと会い、K子から頼まれたものを渡すことになっていたのである。

 Mさんはテンションが高かった。ご主人は今成田だが飛行機が遅れているという。もう一つ心配事がありヤキモキしていた。両親があやしい外壁塗装業者と契約したのでキャンセルするのだが今日がクーリングオフの締切日だとか。

 

 

 Mさんから2人展の収益を渡される。制作に費やした時間や労力に見合った金額ではないだろうが、成功だったと言えるのではないか。

 カメリアニコティーでは月の第3木曜日には包丁研ぎをやっている。アーティストである森の小人のような老人が研いでくれるのである。Mさんが頼んでいるのを見てぼくも家に包丁を取りに行く。店にもどると、Mさんが老人から箱にいっぱい詰まった螺鈿の破片を買っていた。展示会の折、Mさんの螺鈿を使った蒔絵を見た老人が螺鈿があるよ、ではいただきましょうということになったようだ。すぐにもブローチが作れる破片がありMさんは大喜びだ。娘さんが米国から一時帰国するので作ってやるらしい。

 

 

 3の倍数日なのでポイントは10倍、しかもシニアデーなのでドラッグストアへ買い物に行く。

 来週水曜日の文学講座のための教材作りをする。細かい修正が多くてなかなか進まない。明日明後日でなんとか形だけでもと思うのだが、集中力を維持できるだろうか。

 夜になり深々と冷え込んできた。K子は10時過ぎの電車で帰ると連絡があった。薪を燃やすことにした。

2026年10月14日(水)

 7時50分起床。雨。気温15度。体重76.4キロ。

 雨は上がったが、西風が吹く寒い1日だった。

 今日誕生日だったのは、正岡子規、キャサリン・マンスフィールド、E・E・カミングス、ヴァーノン・リー。

 子規は『病牀六尺』の「百」を読む。新聞に毎日連載していた子規は、原稿を送る状袋(封筒)に宛先を書くのが苦痛だったので――それだけ病気が重篤だったのだ――新聞社に宛先を印刷してある状袋を百枚送るように頼んだ。ところが届いたのは三百枚だった。この文章を書いた8月には、百枚は使っていたので、残り二百を使い切る頃には梅の花が咲いているだろうと子規は思う。この文章は連載100回で、連載は127回で終わっており、その2、3日後に子規は亡くなっている。

 『病牀六尺』を読んでいつも驚かされるのは、病床180cmでの苦しい寝たきりの状態にありながら、子規が広く世界を見ていることだ。広い世界を自由に動き回れる健康な人間が、ともすれば井戸の蛙に陥るというのに。ダ・ヴィンチの人体図、両腕を広げた人体が円と四角の中に描かれている図が思い浮かぶ。この円、あるいは四角が――四角の方が病牀六尺のイメージに近いが――子規の世界であり、子規の宇宙なのだ、と思う。

 

 

 Katherine Mansfieldの"Miss Brill"を読む。ミス・ブリルはバンド演奏が行われている公園のベンチに座り、ベンチに座る老若男女、行き交う人々を芝居の舞台に立つ役者たちを観るように見ている。やがて彼女は自分も芝居に参加しているように思う。彼女はビートルズのエレノア・リグビーのような孤独な老嬢らしい。孤独感がひしひしと伝わってくる。彼女は知らない、自分も同じように見られていることを。苦い結末。

 カミングスの詩"Anyone Lived in a Pretty How Town"は、言葉遣いが独特というか、文法から外れてもいるのでChatGPTに助けてもらってかろうじて理解できた。

 ヴァーノン・リーの怪奇小説集"Hauntings"は無料のデジタル版をダウンロードしたが今日は残念だが一編も読む時間がない。というのも、今日中にヴァージニア・ウルフ『灯台へ』を読了したいからだ。

 

 

 昼食後『灯台へ』の第二部から読み始める。3時に第二部を読み終えたので気分転換に外出する。ドライブである。薄暗い。瑞牆山は西陽を暖かそうに浴びていた。富士山は雲にまとわれていたが姿は見えた。南アルプスは雲を背負っていたが、雲の隙間から光の階段が2本、3本下がっていた。山々の風景を眺めながらドライブし、コンビニで買い物して帰る。

 

 

 夕食を挟んで『灯台へ』第三部を読む。9時に読了。この小説についての感想は後日書ければ書こう。次はいよいよ『波』だ。

 寒い夜が更けていく。しかしよい小説を読み終えたので体の芯が熱い。

2026年10月14日(水)

 7時50分起床。雨。気温15度。体重76.4キロ。

 雨は上がったが、西風が吹く寒い1日だった。

 今日誕生日だったのは、正岡子規、キャサリン・マンスフィールド、E・E・カミングス、ヴァーノン・リー。

 子規は『病牀六尺』の「百」を読む。新聞に毎日連載していた子規は、原稿を送る状袋(封筒)に宛先を書くのが苦痛だったので――それだけ病気が重篤だったのだ――新聞社に宛先を印刷してある状袋を百枚送るように頼んだ。ところが届いたのは三百枚だった。この文章を書いた8月には、百枚は使っていたので、残り二百を使い切る頃には梅の花が咲いているだろうと子規は思う。この文章は連載100回で、連載は127回で終わっており、その2、3日後に子規は亡くなっている。

 『病牀六尺』を読んでいつも驚かされるのは、病床180cmでの苦しい寝たきりの状態にありながら、子規が広く世界を見ていることだ。広い世界を自由に動き回れる健康な人間が、ともすれば井戸の蛙に陥るというのに。ダ・ヴィンチの人体図、両腕を広げた人体が円と四角の中に描かれている図が思い浮かぶ。この円、あるいは四角が――四角の方が病牀六尺のイメージに近いが――子規の世界であり、子規の宇宙なのだ、と思う。

 Katherine Mansfieldの"Miss Brill"を読む。ミス・ブリルはバンド演奏が行われている公園のベンチに座り、ベンチに座る老若男女、行き交う人々を芝居の舞台に立つ役者たちを観るように見ている。やがて彼女は自分も芝居に参加しているように思う。彼女はビートルズのエレノア・リグビーのような孤独な老嬢らしい。孤独感がひしひしと伝わってくる。彼女は知らない、自分も同じように見られていることを。苦い結末。

 カミングスの詩"Anyone Lived in a Pretty How Town"は、言葉遣いが独特というか、文法から外れてもいるのでChatGPTに助けてもらってかろうじて理解できた。

 ヴァーノン・リーの怪奇小説集"Hauntings"は無料のデジタル版をダウンロードしたが今日は残念だが一編も読む時間がない。というのも、今日中にヴァージニア・ウルフ『灯台へ』を読了したいからだ。

 昼食後『灯台へ』の第二部から読み始める。3時に第二部を読み終えたので気分転換に外出する。ドライブである。薄暗い。瑞牆山は西陽を暖かそうに浴びていた。富士山は雲にまとわれていたが姿は見えた。南アルプスは雲を背負っていたが、雲の隙間から光の階段が2本、3本下がっていた。山々の風景を眺めながらドライブし、コンビニで買い物して帰る。

 夕食を挟んで『灯台へ』第三部を読む。9時に読了。この小説についての感想は後日書ければ書こう。次はいよいよ『波』だ。

 寒い夜が更けていく。しかしよい小説を読み終えたので体の芯が熱い。

2026年10月13日(火)

 7時起床。快晴。気温16度。体重76.8キロ。

 やはり非日常的な生活が続くと、ぼくの場合には確実に体重が増える。10日後には病院で検査があるし食事には注意しよう。

 

 

 ChatGPTが今日が誕生日だと教えてくれたアメリカの黒人作家Arna Bontemps(1902-73)の詩2篇、短編1篇を読む。初めて知る作家だが、名前からしてクレオール系であることがわかる。読んだ詩は'Southern Mansion'と'A Black Man talks of Reaping'で前者は白人プランター(奴隷主)の屋敷の玄関ドアから漏れ聞こえる音楽と農場で働く黒人奴隷の足首につけられた鉄の鎖が鳴る音を対比し、後者はアメリカ全土で種を蒔いても自分たちの手にはわずかな収穫しか残らないことを告発していた。

 短編'A Summer Tragedy'はネタバレになるのであらすじは紹介しないが、黒人の老夫婦を描いた話で名作であった。ダウンロードしたテキストの最後に4つの質問があったがアメリカでは国語の教科書に使われているのかもしれない。

 

 

 11時40分、八王子の息子のマンションへ孫の世話で行くK子を長坂駅まで送る。電車の時間は12時14分で20分ほど時間があったので丸政でうどんを食べる。K子はビタミン市場で野菜を買う。ぼくは郵便局に寄り、頼まれた封書を出す。普通郵便で110円といわれ、最近手紙を出すことがないので、いつからそんなに高くなったのだと驚く。

 

 

 帰宅後、家には入らず、キノコがまだあるだろうかと思い、ヒマラヤスギとドイツトウヒの林へ行ってみた。キノコはもう影も形もなかった。ヨメナの花も少なくなった。紅葉した落ち葉が目立つ。見上げるとヤマザクラの葉が色づき、風にヒラヒラしている。紫色の花がある。近寄って見るとリンドウだった。

 

 

 ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』を読み、文学講座の教材のために引用したい箇所をOCRアプリで読み込む。この作業を1時間ほど続けてから、11月の文学講座ではレイ・ブラッドベリー『恐竜物語』を読もうと予定しており、AIで情報を集めることにした。映画『ゴジラ−0.0』が話題になっており、ゴジラの登場にはレイ・ブラッドベリーの小説が間接的に影響していると思われるので、その確固たる証拠が必要だと思ったのである。とくに恐竜マニアのブラッドベリーがゴジラをどう思っていたのか知りたかった。しかし、ブラッドベリーがゴジラについて言及している資料は見つからなかった。

 『恐竜物語』を読む。若い頃読んで夢中になった本だ。幸福な作家だと思う。子供の頃の夢をそのままSFファンタジーに結実させたのだから。単なる印象に過ぎないが、アメリカの小説家や映画監督にはそんな人が多いように思う。しかし、アメリカは芸術もビジネスのシビアな世界だから夢を結実するまでの障害は相当なものだろう。だからこそ子供の時の夢を失わなかったことがえらいと思うのである。

 K子から電話があった。孫の言葉がきつい。もう帰りたい。それだけいいたかった。で、電話が切れた。巨大なゴジラが太陽をさえぎり、読書していた居間の空気は冷え込んだ。

2026年10月12日(月)

 7時45分起床。晴れ。気温21度。体重76.5キロ。

 8時、早川町の南アルプス野鳥公園へ向かう。水棲昆虫観察会なる催しに孫とK子が参加するのである。ぼくは運転手である。真っ青な空に筋雲、明るく美しい秋空が広がる。10時開始だが数分遅れた。孫は夏に一度世話になったので場所を知っており、K子を案内して行った。

 

 

 ぼくは昨日の転倒で左脚の膝付近を痛めたこともあり、駐車場に停めた車中で読書するか居眠りするかしていようとも思ったがやはり好奇心には勝てなかった。2人を追うことにしたがもう姿が見えない。長い、100メートル近くある鉄製の吊り橋を渡る。脚が重い。前に出ない。橋の中央に立って、川原を見下ろし、上流や下流を眺め、空を見上げる。

 広い川原だ。青く澄んだ水が流れている。山に囲まれているが空も広い。山はほんのかすかに色づき始めているように見える。上流には奈良田温泉がある。富士川もそうだが早川も昔家族旅行した四万十川を思い出させる。そのとき息子は今の孫より2歳ぐらい年上だったかもしれない。

 

 

 吊り橋を渡り少し坂道を上ると野鳥公園の施設があった。木造の建物だった。若い女性指導員に引率された子供と大人の混じった12、3名の一団がやって来た。みな網などを持っている。孫とK子も長靴を履いていたが、そんな用意をしているとは知らなかった。一団はオシドリ池という標識のある方に行くようだ。

 さて、どうしようかと考える。大した距離でもないのに歩き疲れた。しばらくボーッとしていたが、施設の中を見学させてもらうことにした。イノシシやニホンシカやワシの剥製がある。ムササビやフクロウ、野鳥の写真がある。野生動物の頭蓋骨などが無造作に置いてある。動物の足跡の石膏標本。野鳥を観察できるスペースもあり、ガラスを隔てて置いてある餌台にシジュウカラやヤマガラがひっきりなしにやって来る。

 

 

 1人残っていた若い女性に勝手にオシドリ池に行ってもよいですかと聞くとかまいませんという。足場の悪い薄暗い林の中を転ばないように注意して歩く。木造の野鳥などを観察する施設があり、階段を上ると、戦争映画でよく見たトーチカのように横長の銃眼が池に向かって開いていた。椅子に腰掛けて池にカメラを向けたがトンボが飛んでいるだけで野鳥も水鳥もいなかった。孫たちの姿もない。

 

 

 池の周囲は黒い金網で囲まれていたが、入口が開いていたので入る。セイタカアワダチソウが池の岸辺に咲いている。池の大きさはテニスコート2面ぐらいか、あるいはもっと奥に広がっていたのかもしれないが、島があり、睡蓮の葉が浮かんでいた。水面が空を映して、トンボたちがタンデムしながらたまごを産みつけていた。明るくものみな光り輝き別天地のようだった。

 池の周辺を歩き、立ち止まって池を見ていたらジャン=ジャック・ルソーの『孤独な散歩者の夢想』の「第五の散歩」を思い出した。この章でルソーは、スイスのビエンヌ湖に浮かぶサン=ピエール島での人生でもっとも幸福だった2ヶ月間の生活を描いているが、目の前にあるのは池であって湖ではないけれども、静かで明るい池と島の風景を眺めていると、ルソーの幸福感が伝わって来た。

 

 

 観察会は正午までである。それまでそこにいられないので11時過ぎ車にもどることにした。今日も車中読書である。車に乗り込むとサウナ状態である。クーラーをつけて、iPadで読書しようとしたが車に放置していたのが不味かった。冷えてから使うように警告が出た。

 今日が誕生日の南部修太郎の「夢」と「病院の窓」を読む。「夢」は貧しい若い夫婦が証券を購入して、お金が入ったらあれを買おう、これを揃えよう、家を作ろうなどと夢を語る話で、会話は上手いけれども、腹立たしいほど軽い小説だった。「病院の窓」もセンチメンタルで死の恐怖などは伝わってこない。

 12時過ぎ2人が帰ってきた。孫は泥にハマり靴下を汚した。

 後は孫を甲府駅か甲斐大和駅まで送り届けなければならない。息子と時間調整した結果、息子は15時4分に甲斐大和駅に着く電車に乗るという。途中コンビニで弁当を買って食べた。15時少し前に甲斐大和駅に着いた。駅には大菩薩峠から下りて来た登山客の姿が目立つ。孫とK子は駅構内に入り、ぼくは近くで待機。孫と息子は15時24分高尾行きで帰る。父親に会った孫はすごくうれしそうだったという。

 われわれの帰宅は17時。8時に家を出たから9時間、さすがに疲れた。もうプロの運転手になろうか。思いが叶ったじゃないとK子が笑う。

2026年10月11日(日)

  6時5分起床。快晴。気温10度。体重76.7キロ。

 孫がK子のアルバイトしているイチゴファームへ行きたいというので早起きしたが、結局孫はK子が家を出る6時45分になっても起きなかった。富士山がきれいに見える場所だし、連れて行けなかったことが残念だ。

 永井荷風「雨瀟瀟」(あめしょうしょう)を読む。秋の長雨、荷風の人生にも秋の雨瀟瀟。同時代ではたぶん荷風にしか書けない漢文調、俳文調の美文が心に染みる。大正10年正月脱稿とある。荷風数え年43歳。現在であれば還暦後のような人生の感慨が綴られる。昔の人は年を取るのが早い。

 8時半孫がようやく2階から下りてきた。6時半に起きていたという。ベッドでニンテンドーでもやっていたのだろう。朝食を準備して食べさせる。

 

 

 10時少し前、バアバを迎えに行こうと連れ出す。日差しがぽかぽか気持ちよい。富士山が霞んで見える。キノコなどを探して歩くがもうない。レインボーラインまで出ると、K子の車がやって来た。乗せてもらって帰る。

 11時カメリアニコティーへ3人で行く。もうMさんは来ていた。K子とMさんの2人展も今日が最終日である。

 12時過ぎ、孫とどこかへ昼食を食べに行こうと思ったが、孫はまだお腹が空いてないという。家に帰りたいという。

 孫は家で「子どもだってつらいよ」(?)という番組を流しつつニンテンドーで遊ぶ。ぼくは撮影した植物や蛾の繭などの写真をサイト「艸木虫鳥」(https://somoku-chuchou-yatsugatake.jojiokanda.chatgpt.site/)にアップする。自然は毎日惜しみなくさまざまなものを見せてくれる。

 

 

 2時半、孫を食事に連れ出す。須玉町のバーミヤンへ行く。孫はラーメンがあれば満足であるし、この時間帯には閉まる店が多いので選択肢は限られる。

 4時少し前にカメリアニコティーにもどる。Mさんの知り合いだという着物を洋服のように着た女性がぼくをMさんの旦那と勘違いする(ぼくは名前は西洋人ぽいが西洋人ではありません)。間違いがわかってもひるむことなく、逆光の中にいるぼくをしきりにほめる。文学講座を主催しているとわかるとさらに関心を寄せて来て、はては近くに知り合いの店があるのだがご一緒しませんかと誘って来る。今日が最終日なので片付けがあるのでとK子も一緒になって断ってくれた。

 

 

 孫が喉が渇いたというので店に上がりぼくもロイヤルミルクティーを飲む。以前K子のチラシなどをデザインしてくれたSさんが来てくれた。初日にMさんの荷物を運ぶのを手伝っていた老夫婦の奥さんとおしゃべりする。興味があるかどうかわからないが、これも縁だと思い文学講座の話などをする。

 いよいよ展示も終了である。片付けの手伝いをしようと外に出ると、孫が2匹の犬のリードを持って歩かせていた。Jさんが家から連れて来て孫に預けたようだ。ミーちゃんを可愛がっているが、ミーちゃんという猫は抱かれるのが嫌いで体にもなかなか触れさせてくれない。だから孫がワンちゃんと触れ合っている光景は涙が出そうなほどうれしい。

 

 

 軽トラにMさんのところから持って来たソファを積み込んでいる。この本革製のソファも売り物で小さな値札には25万で購入、5万と記されてあった。さすがに買う人はなかったんだなと積み込みを眺めながら考えていたら、K子が家へ運ぶのよという。えっ! まさか、もらった? そんなはずはない。やはりさらに値引きしてもらって買ったのだという。

 Jさんを助手席に乗せて、老人の運転する軽トラを先導してわが家へ向かう。5分もかからない道中である。Jさんがしきりに今回の2人展がよかったことを話す。Jさんと老人がソファを玄関のところまで運んでくれた。若い頃は人一倍力持ちだったぼくは役に立たない。

 

 

 カメリアニコティーへもどり、MさんとJさん夫妻、そして軽トラで手伝いに来てくれた老夫婦にさよならして家に帰る。ほっとして疲れが出たのだろう、疲れた、もう何も考えられない、夕食を作るのもいやとK子はいう。そうだろうと思う。楽しげに来てくれた人たちに対応していたが気を使い神経も張り詰めていただろう。とはいえ、ぼくも料理する元気はない。冷凍の鍋焼きうどんを買いに行くことにした。

 ここで買い物に行こうとしていたときに、ぼくは何かを足に引っ掛けて転倒してしまった。プラスチックの灯油タンクに顔をぶつけて唇を傷つけてしまった。痛みよりも転んだことのショックが大きい。なんだか今日一日で相当老いてしまったような気がする。心配かけるのでK子には転んだことは話さなかった。

2026年10月10日(土)

 8時半起床。快晴。気温16度。体重76.3キロ。

 朝食をすませてから散歩に出る。陽光が暖かい。ヤマザクラの紅葉は進んだ。色づいているのはヤマザクラばかりだ。ヒマラヤ杉とドイツトウヒの林にはまだヨメナが咲いている。花期が長い。キノコで残っているのはツチグリばかりである。家に帰るとK子もイチゴ摘みアルバイトから帰った。

 

 

 11時過ぎK子をカメリアニコティーへ送る。2人展も3日目で土曜日である。12時K子とニコティーでランチする。文学講座の常連K夫妻が来てくれた。ぼくは2時に甲府駅に到着する孫を迎えに行く。

 高速は利用しなかった。茅ヶ岳広域農道を走る。風景は霞んでいる。真正面に富士山の青いシルエット。30分早く着きそうなのでブックオフに立ち寄り、小林秀雄『本居宣長』上下、カエサル『ガリア戦記』、『イエイツ詩集』、ローズマリー・サトクリフ『ケルトの白馬/ケルトとローマの息子』を買う。200円のクーポンがあったので600余円ですんだ。

 

 

 10分ほど待たされたが無事に息子から孫を託された。息子は甲府からとって返して今夜もどこかでライブらしい。双葉SAのスマートインターチェンジから高速にのる。長坂インターで高速を降りると直接カメリアニコティーへ向かった。

 Mさんの知り合いたちで会場はにぎわっていた。Jさんが孫に挨拶して自己紹介する。体の大きな外国人を前にしておずおずした孫は聞き取れない小さな声で名前をいう。そして握手。

 Mさんの隣人のカメラマンに紹介される。車や人物撮影の専門家だという。神奈川県の方にバスまで撮影できるスタジオを作ったというが、巨大な撮影ボックスのようなものなのだろうか。

 K子が老婦人とおしゃべりしている。昨日会ったKさんの陶芸家の妹さんだ。K子のフェルト作品を買ってくれた。今日は何点か売れたようである。

 

 

 孫にケーキを食べさせようと店内へ。サービスで孫にはアップルジュース、ぼくにはカフェオレを出してくれた。孫は偏食というのではないが好き嫌いがはっきりしている。子どもでも食べられるケーキを頼んだが少し食べて手をつけない。K子を会場から呼んで代わりに食べてもらう。

 孫の夕食はやはりラーメンということになり、ぼくはラーメンとそれにトッピングにする孫の好物であるメンマとチャーシューを買いに行くことにする。コンビニに向かう途中K子から電話があり孫がお腹が空いたというからタン塩を買ってきてと頼まれた。

 買ってきたものを孫に渡すと、ぼくは駐車場に停めた車の中で中井英夫を読む。今日初めての読書だ。昨日に続いて車中での読書だ。今日も寝落ちする。

 

 

 5時45分K子と孫を乗せて家に帰る。しかし、コンビニにチャーシューが見当たらないのでベーコンを焼いたのを買ったのだが、孫はそれもタン塩も食べてしまったという。改めてチャーシュー、それとK子とぼくの夕食も買う必要があり、2人を家で下ろすと別のコンビニへ向かった。

 さすがに疲れた。自分ではない自分が疲れている感じだ。

 

2026年10月9日(金)

 8時45分起床。快晴。気温16度。体重76.5キロ。

 K子の今朝のイチゴ摘みアルバイトは7時からだったのでぼくが起きたときはいなかった。朝食を簡単にすませて、ウッドデッキでちょこんとすわりこっちを見ているクマに気づいたので餌をやる。ミーちゃんが食べ残した、いや、食べなかったパウチ入りのを出すと、いつも固形の餌ばかりなので喜んで食べていた。

 

 

 今日誕生日の文学者で気楽に読めるのは水原秋桜子ぐらいだった。web上にあった名句をいくつか読んだ。

 

 わがいのち菊にむかひてしづかなる

 

 よく知られた句のようだ。素直に、何も考えずに受け入れれば名句である。考えると微妙になる。

 10時半K子がイチゴ摘みアルバイトから帰る。ブドウをもらってきた。急いで支度してK子をカメリアニコティーまで送る。展示会場は11時開場である。

 

 

 ぼくは家に帰り、ある材料でカレーを作る。するとK子からYさんがいらっしゃったわよと連絡がある。Yさんは文学講座第一回目からの常連で大いに助けてもらった。ここ3回はご主人の病気などがあり参加がなかった。K子とも親しくしてLINEも交換していたので連絡がついたのである。というわけで展示会場へ急いだ。Yさんといろいろおしゃべり。K子が作ったフェルトのバッグを購入してくれた。

 

 

 K子と家に帰り昼食。食べ終えたところにMさんからK子の知り合いが来ていると連絡があり、急いでまた出かける。

 待っていたKさんにはK子はわざわざ手紙で2人展のことを知らせた。木工をやっている人で御年85歳。姉妹で工芸をやっておりインフルエンザで来られなかった妹さんは陶芸家だ。知り合ったのはぼくが先だった。もうだいぶ前に閉店した紅茶専門のカフェの常連同士だったのである。もう20年も前になる。その頃のぼくのことをやんちゃ坊主のようだったわという。やんちゃなんて今までの人生で言われたことがなかったのでびっくりした。そもそもやんちゃなんて言葉はぼくにはなかったのだ。だから驚き嬉しかったのはぼくの辞書に新しい一語が加わったからだ。

 K子はKさんの木工に興味を持ち、われわれは家を訪ね、Kさん姉妹の展示会にも顔を出した。もう一つ驚いたのは、バッグから何かを取り出すかと思ったら、K子が10年ほど前に、フェルト制作を本格的にやり始めた初期の頃に制作した楕円形の敷物だった。楕円形の額縁を作って飾るつもりだという。K子の喜び、感動は言葉に尽くせない。

 

 

 Jさんがやって来たのでプリントしたDamon Runyonの'Butch Minds the Baby' と Graham Greeneの'The Destructors'を渡す。両短編とも誕生日作家読書として今月読んだ短編で、面白かったこともあり、Mさんの夫君としてぼくと同じように連れ合いの手助けをしているJさんも手伝いがないときには無聊を託つこともあろうかと思ったのだ。余計なお世話かもしれないがそんなときに読んでもらえればよい。

 Mさんの知り合いなどが来てくれたので会場は一時(いっとき)にぎわった。今日の残り時間はもうさほどないがぼくは家に帰る。ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』を読んで教材作りをしようかと思ったがまたすぐ迎えに行かねばならない。中井英夫『悪夢の骨牌』より「アケロンの流れの涯てに」を読む。しかし半分ほど読んだところで迎えを請う電話がある。迎えに行き帰るとクリニックへ行くというので送る。駐車場で待ちながら中井英夫の続きを読み始めたが寝落ちしてしまう。何度も寝落ちする。

 

 

 帰宅後夕食の時間まで『自分ひとりの部屋』の教材に引用予定の箇所をOCRアプリで読み込む作業をする。

 夕食後は「アケロンの流れの涯てに」の残りを読む。

 K子は明日またイチゴ摘みアルバイトがあり、その後展示場に詰める必要があり早い時間にベッドにつく。そういえば今日はほとんど咳を聞かなかった。ぼくはくしゃみが出る。鼻も少し詰まっている。葛根湯を飲んだ。

2026年10月8日(木)

 7時45分起床。快晴。気温12度。体重76.5キロ。

 今日が誕生日の作家は吉井勇とフランク・ハーバートであるが、大長編『デューン砂の惑星』は読めるわけもなく、吉井勇の「或る日の小せん」を読む。小せんという落語家のことは知らなかった。盲目で身体不自由であったが名人だったようだ。吉井勇は芸に身を入れる小せんのことを感動的に書いている。

 

 

 10時カメリアニコティーへK子を送る。Mさんはすでに来ていた。今日が2人展の初日だがどうなるだろう。ぼくは家に帰る。

 読書しようと思ったがうたた寝してしまう。4時間の睡眠では仕方ないか。固定電話が鳴り目が覚める。女性の声で、荷物を保管しています。問い合わせは。個人の方は1番を、法人の方は······などといっている。子供には知らない人にはついていかない。老人は知らない電話には出ない。出てしまったら何も言わずに受話器を置く。

 12時過ぎApple Watchが左手首でふるえる。K子からお昼どうする?という電話だ。昼食の準備はしてないし、あまり時間もないというのでコンビニ弁当にすることにした。K子を迎えに行き、コンビニで弁当を買い、三峰の丘に車を停めて真正面に富士山を見ながら食べた。車内はポカポカである。

 K子をカメリアニコティーまで送り家に帰ったが、マスクがいるというので家にあったマスクを持ってとって返す。展示会場に入ると一人の女性がK子制作のショールに関心を示しており、K子がいろいろ説明をしていた。後で聞くと結局買ってくれなかったようだが、よい傾向だ。

 

 

 家に帰る途中ヒマラヤ杉とドイツトウヒの林でキノコを探すがほとんど消えていた。もうキノコの季節は終わりのようだ。

 K子から頼まれたことを思い出して2階のベランダに干していた布団や毛布を入れる。ミーちゃんがベランダで寝ている。

 

 

 どうも落ち着かず読書も文学講座の教材作りもやる気になれない。そこで懸案であった居間の家具の配置換えを考えることにした。居間の縦横の寸法、テーブルや炬燵やソファの寸法を測って、部屋と家具の配置図を鉛筆で描いて写真を撮り、AIに配置換えの案を出してもらった。やはりぼくが思っていた通りの配置換え案が出たのを見て誰が考えてもそうなるはずだと思ったのだが、AIによっては、ぼくの略図がまずかったのか、プロンプトが曖昧だったのか、まるで住宅展示場のような平面図・立体図を出してきた。

 

 

 吉井勇の「老境なるかな」を読み、中井英夫『悪夢の骨牌』の「水仙の眠り」を開いてすぐ、4時半K子から「お迎え頼む」という電話が入る。迎えに行き客の入りを聞くと、まあまあで売れたものもあるという。Mさんのものの方が売れたそうだが、Mさんは顔が広く友人や知人がきたのだという。

 夕食後イタリア映画『街は自衛する』(1951年)を観る。何というタイトルをつけるんだと文句をいいたいが、映画は悪くなかった。むしろよかった。久しぶりにジーナ・ロロブリジータの美しき顔(かんばせ)を拝むことができたしね。それにしても昨夜見た英国映画『夢の中の恐怖』に比べると、言葉は悪いが惨めったらしいといったらない。強盗犯人たちが盗んだ金、札がいやに大きく紙質の悪いのがわかる。超インフレか。戦勝国と敗戦国のちがいだろうか。

 

2026年10月7日(水)

 10時起床。快晴。北西の風。気温16度。体重76キロ。

 夜明けに目が覚めた。寒くてならず体を胎児のように丸めた。うつらうつら長い時間耐えながら、もう今の掛け布団は薄すぎる、もう一枚掛けるか、厚いのに変えなければならない、もうそんな季節がめぐってきたのだなどと考えていた。結局我慢しきれなくなり掛け布団をもう一枚重ねた。そうしたらぐっすり眠られた。

 

 

 ひまわりの種を補給してやろうとウッドデッキにでると、昨日そよそよと吹いていた北西の風が大きく木の枝をゆすっている。リストランテ・トリノ(野鳥の餌台)には吹き飛ばされてきた落葉がのっていた。

 K子から11時35分長坂駅着という連絡があり迎えに行く。車に乗るや体調の悪さを訴える。コンビニで弁当を買い、帰る車の中では孫のことをいろいろ話す。心配事がいろいろあったようだ。

 

 

 2時カメリアニコティーで開催するMさんとの2人展のために作品の搬入に行く。2時搬入はカフェの繁忙時間が正午から2時までだからだろう。われわれの後すぐMさんが到着。Mさん夫婦の車の後に大きな荷物を載せた軽トラが続いてきた。

 

 

 カメリアニコティーの建物は斜面に建っており、店は数段の階段を上ったところにあって、展示会のスペースは地下というか、斜面の下から見れば1階に相当するところにある。10畳ほどのコンクリート剥き出しの長方形の部屋だ。

 Mさんの荷物を運んできた軽トラを運転してきたのは老人とその奥さんで、Mさんたちは日頃何かとお世話になっているらしい。荷台には椅子やソファやテーブルなどが積んであり、老夫婦とMさんの夫君であるJさんがそれら荷物を展示スペースへ運び入れる。ぼくも手伝いたいが重いものは無理なのでJさんに、I'm sorry, but I can't help you.と謝る。ぼくはうちの車に積んであるフェルト作品などを詰めた段ボール箱などを車から下ろして運ぶのを手伝う。

 搬入が終わるとテーブルや椅子を配置して作品を壁にかけたり並べたりの作業だがもうぼくの出番はない。そこでぼくは一時家に帰ることにした。

 家では、4時まで、ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』を読み、教材に引用しようと思う箇所をOCRアプリで読み込み、教材にペーストする作業を行い、一段落したところで小暮理太郎「山と村」を読む。このエッセイを読むことにしたのは、著者の故郷が赤城山で冬の到来を告げる北西の風について言及があったからである。小暮理太郎も、佐藤垢石も、文章の中で遥かに望む八ヶ岳のことを書いているがそれを読むたびに赤城山と八ヶ岳が遠く近く感じられ、北西の風も一つのように思えるのだ。

 

 

 4時にカメリアニコティーにもどると展示作業はあらかた終わっていた。ニコティーの店主が上から降りてきて、今までの展示で一番よいと誉めていた。Mさんの作品は漆の蒔絵などハードなものでK子のはフェルトでソフトなもの、異なる個性の融合である。2人はイチゴ摘みアルバイトで出会った。縁とは不思議なものだ。

 

 

 帰宅後もK子にはやらねばならないことが残っているようで何かを書いている。ぼくは北大路魯山人「椎茸の話」と辰野隆「書狼書豚」を読む。大分県の椎茸は椎の木で育てるのでとりわけ美味いらしい。書痴という言葉があるが、書狼と書豚はその上をいく書痴らしい。辰野隆の造語? 書物をガツガツ喰らうイメージ?

 K子が何か温かいもの、シチューが食べたいともらす。ルーはないので牛乳で作った。

 食後ベラ・ルゴシ主演の『モルグ街の殺人』(1932年)を観る。ルゴシの快演は面白いが、ドラキュラのイメージが強くてポーの原作を台無しにしていた。台無しにしたのは脚本と演出かもしれないが。

 続けて英国映画『夢の中の恐怖』(1945年)を観た。戦時中に作られたのだろうが戦争の影もない。オムニバス映画ということだったが、1編1編独立した短編をただ並べたというのではなく、一人の男の夢の世界という枠組みに有機的に嵌め込まれていて、秀逸な出来の映画だった。この時代の英国映画は味わい深いように思う。