2026年8月17日(月)
8時起床。曇り。気温19度。体重76.1キロ。
残暑のない夏だ。もちろん、まだ油断できない。8月も折り返し点をすぎたばかりだ。でも、家の中でTシャツ1枚でいると寒く感じることがある。
兄弟は今日もひる近くまで起きてこないだろう。生活のリズムを狂わされてしまったが、2人の存在で狂わされる自分が情けない。
9時過ぎ早朝イチゴ積みアルバイトからK子が帰る。野菜をいろいろもらってきた。
誕生日作家に目ぼしい者がいないので青空文庫から山川方夫「ジャンの新盆」と新渡戸稲造「武士道の山」を読む。ブコウスキー"Women"の続きを読みたかったが、昨日フリーで読んでいたサイトが見つからなくなってしまった。
昼近く兄弟が起きてきた。昼食は白州の甲斐駒ケ岳キッチンに午後1時15分予約済みである。その前に高根のドライフラワーの店にお土産を買いに行こうとなっていたようだが、兄弟がぐずぐずしているうちに時間がなくなった。そら、急がないとと声をかけたがダメだった。
12時45分甲斐駒キッチンへ向かう。1時ちょっと過ぎに着いたが駐車場はいっぱいだ。近くに郵便局があり滞納していた市民税を払いに行き少し経ってからもどると駐車場が空いていた。
甲斐駒キッチンは2度目である。1度目がとてもよかったので裏を返したい(この廓言葉が好きなんです)と思っていた。4人ともランチメニューを頼む。やはりここのパスタは旨い。食事していると大きな笑い声が聞こえた。店主が黄色い派手なアロハを着た人と話しており、カメラマンが控えている。最近、もう長らくテレビを見ないが、山梨の2つのテレビ局のどちらかの夕方の情報番組のメインキャスターだ。店の評判を聞きつけたのだろう。これでさらに予約が取りにくくなるにちがいない。
リゾナーレでお土産を買うという。ぼくは駐車場の車で待機。この夏は車の中でも外でも待機ばかりしている。老年のトルストイが家出して来ない汽車をいつまでも待っていたというか話があるが、長く待たされても、3人がもどってきてくれるだけましか。
兄弟を小淵沢駅まで送る。これで夏のお客様は終わったわねとK子。ぼくはペースを狂わされたよ。そう? 以前よりましになったわ。
車を降りるときにK子がコーヒー飲みたいねえという。作っておいてくれる? 少しぶらついてくるからと、歩き出すとミーちゃんが近寄ってきて、2度3度ゴロニャンする。クルミの木を見ると緑の葉の中に黄色い葉が目立つ。急に秋を感じたわけだが、クルミの木は葉から水分が蒸発させるので、雨が少なくて根が吸い上げる水分よりも葉から蒸発する水分量が多くなると葉の一部を落とすのだという。
コーヒーを飲んでようやく一息つく。通常の生活にもどれた。明後日の文学講座の教材の続きを始める。しかしすぐにB5の用紙が切れていることに気づき買いにいかなければならなくなる。卵も買って帰った。
教材の印刷をしながらウォルター・ペイター『ガストン・ド・ラトゥール』から「第六章 事件の影」を読む。1572年の聖バーソロミューの虐殺が描かれる。ガストンの子を孕んだ妻も命を失う。
教材と9月の講座のチラシの必要分の印刷終了。加えて文学講座で配布しようとボブ・ディラン'The Lonesome Death of Hattie Carroll'「ハッティ・キャロルの孤独な死」の歌詞も印刷する。ウィリアム・ザンジンガーという白人の若い男がホテルの厨房で働く黒人のハッティ・キャロルを撲殺したが、ザンジンガーが町の名士の息子だったので短期間の禁固刑とわずかの罰金で釈放された事件に怒ったディランが作ったプロテストソングだ。
歌の中で繰り返される'But you who philosophize disgrace and criticize all fears. Take the rag away from your face.Now ain't the time for your tears.'という歌詞、「全ての恐怖を論評し見下し批判する者たちよ、布切れを顔から離せ、今はまだ涙する時じゃない」は『火垂るの墓』でも考えねばならないことだ。涙はすべてを流してしまいかねない。しかし恐怖は続いているのだ。


































