2026年8月17日(月)

 8時起床。曇り。気温19度。体重76.1キロ。

 残暑のない夏だ。もちろん、まだ油断できない。8月も折り返し点をすぎたばかりだ。でも、家の中でTシャツ1枚でいると寒く感じることがある。

 

 

 兄弟は今日もひる近くまで起きてこないだろう。生活のリズムを狂わされてしまったが、2人の存在で狂わされる自分が情けない。

 9時過ぎ早朝イチゴ積みアルバイトからK子が帰る。野菜をいろいろもらってきた。

 誕生日作家に目ぼしい者がいないので青空文庫から山川方夫「ジャンの新盆」と新渡戸稲造「武士道の山」を読む。ブコウスキー"Women"の続きを読みたかったが、昨日フリーで読んでいたサイトが見つからなくなってしまった。

 昼近く兄弟が起きてきた。昼食は白州の甲斐駒ケ岳キッチンに午後1時15分予約済みである。その前に高根のドライフラワーの店にお土産を買いに行こうとなっていたようだが、兄弟がぐずぐずしているうちに時間がなくなった。そら、急がないとと声をかけたがダメだった。

 

 

 12時45分甲斐駒キッチンへ向かう。1時ちょっと過ぎに着いたが駐車場はいっぱいだ。近くに郵便局があり滞納していた市民税を払いに行き少し経ってからもどると駐車場が空いていた。

 甲斐駒キッチンは2度目である。1度目がとてもよかったので裏を返したい(この廓言葉が好きなんです)と思っていた。4人ともランチメニューを頼む。やはりここのパスタは旨い。食事していると大きな笑い声が聞こえた。店主が黄色い派手なアロハを着た人と話しており、カメラマンが控えている。最近、もう長らくテレビを見ないが、山梨の2つのテレビ局のどちらかの夕方の情報番組のメインキャスターだ。店の評判を聞きつけたのだろう。これでさらに予約が取りにくくなるにちがいない。

 

 リゾナーレでお土産を買うという。ぼくは駐車場の車で待機。この夏は車の中でも外でも待機ばかりしている。老年のトルストイが家出して来ない汽車をいつまでも待っていたというか話があるが、長く待たされても、3人がもどってきてくれるだけましか。

 兄弟を小淵沢駅まで送る。これで夏のお客様は終わったわねとK子。ぼくはペースを狂わされたよ。そう? 以前よりましになったわ。

 車を降りるときにK子がコーヒー飲みたいねえという。作っておいてくれる? 少しぶらついてくるからと、歩き出すとミーちゃんが近寄ってきて、2度3度ゴロニャンする。クルミの木を見ると緑の葉の中に黄色い葉が目立つ。急に秋を感じたわけだが、クルミの木は葉から水分が蒸発させるので、雨が少なくて根が吸い上げる水分よりも葉から蒸発する水分量が多くなると葉の一部を落とすのだという。

 

 

 コーヒーを飲んでようやく一息つく。通常の生活にもどれた。明後日の文学講座の教材の続きを始める。しかしすぐにB5の用紙が切れていることに気づき買いにいかなければならなくなる。卵も買って帰った。

 教材の印刷をしながらウォルター・ペイター『ガストン・ド・ラトゥール』から「第六章 事件の影」を読む。1572年の聖バーソロミューの虐殺が描かれる。ガストンの子を孕んだ妻も命を失う。

 教材と9月の講座のチラシの必要分の印刷終了。加えて文学講座で配布しようとボブ・ディラン'The Lonesome Death of Hattie Carroll'「ハッティ・キャロルの孤独な死」の歌詞も印刷する。ウィリアム・ザンジンガーという白人の若い男がホテルの厨房で働く黒人のハッティ・キャロルを撲殺したが、ザンジンガーが町の名士の息子だったので短期間の禁固刑とわずかの罰金で釈放された事件に怒ったディランが作ったプロテストソングだ。

 歌の中で繰り返される'But you who philosophize disgrace and criticize all fears. Take the rag away from your face.Now ain't the time for your tears.'という歌詞、「全ての恐怖を論評し見下し批判する者たちよ、布切れを顔から離せ、今はまだ涙する時じゃない」は『火垂るの墓』でも考えねばならないことだ。涙はすべてを流してしまいかねない。しかし恐怖は続いているのだ。

2026年8月16日(日)

 8時15分起床。曇り。気温20度。体重76.4キロ。

 今日も午前中は何もしなかった。何をしていたか記憶にない。客たちは遅くまで起きてこない。彼らが起きてこないので1日の生活の始動も遅くなる。

 昼食はK子と2人で素麺を食べる。

 

 

 午後K子がAくんKくん兄弟をグリーンヒルの屋内プールに送ってもどってきた。2時間後に迎えに行くというのでぼくが運転する。

 

 

 K子が甲斐大泉駅近くのカフェ・ムーンカフェに行くという。時刻は4時、閉店時間は5時で、行きに30分程度かかるからやめた方がよいと思ったが、K子の意志は硬い。

 行ってみれば、ムーンカフェはやはり気持ちがよい。東と南側の2面の壁がなく、目の前には空や木々を映す池がある、トンボは飛び交い、ときどきツバメが翼で水面を切る。

 

 

 

 帰途、泉ラインを走る。曲がりくねっているので時間はかかるだろうが走りたかったのである。緑のトンネルが続く。傾いた陽が葉を透かす。ゆっくりドライブを楽しんでいた。しかし、途中でK子が気持ち悪いという。車に酔ったか。疲れがたまっている上に寝不足だろう。にもかかわらず兄弟のためにあれこれ企画しようとする。そんなに無理しなくてもよいのにと思いながら忠告を怠った。ムーンカフェから帰ったら今度は温泉へ行くつもりだったが、兄弟はぼくが温泉へ連れて行くからとK子を休ませることにした。

 小淵沢の延命の湯に2人を送る。ぼくは温泉には入らず、駐車場に停めた車で待つことにした。長く待たされるのは嫌なので6時半には出てきてよと念を押して2人を送り出した。

 待っている間車中で今日誕生日を迎えたCharles Bukowskiの"Women"を読む。酔いどれ詩人と女彫刻家のラブロマンス、いや、これはポルノ小説でしょう。アメリカでどのように評価されているか知らないが、小説好きならば傑作だと手放しで褒めるだろうが、清教徒の子孫たちは焚書ものだと眉を顰めるだろう。少し読んだだけだけれどもぼくは高く評価する。性を隠そうとしていないところがよい。あっけらかんとしている。今週水曜日の文学講座では野坂昭如を読むが、何か通じるものがあるように思う。

 今日は温泉が混んでいるようだ。小説を読んでいたiPhoneから目をあげると。駐車場に車が入れ替わり立ち替わり出入りしている。7時を過ぎても2人は出てこない。いつもこれだ。だから念押ししたのにと腹が立つ。7時15分ようやく2人がもどってきた。

 家に帰るとK子は寝ていた。寝顔が苦しげに見える。われわれが動き回り音を立てても目覚めそうにない。夕食は焼き肉の予定で準備ができているかと思ったがそれどころではなかった。

 ぼくがやらずばなるまい。野菜を切って準備する。兄弟も手伝ってくれる。起きるか起きるかと待っていたが起きてくる気配がないので肉を焼き始めた。するとようやく起きてきた。食事を始める。食べながらK子がミサキが帰ってきたわよと笑顔でいう。

 

 

2026年8月15日(土)

 8時半起床。曇り。気温22度。体重76キロ。

 午前中は何もしなかった。正確には何かしていたが思い出せないというべきだろう。

 午後2時買い物に出る。セルクルでイギリスパン1本。サンロードが10倍ポイントでシニアデーでもあったのでトイレットペーパー、キャットフード、オリーブオイル、牛乳、バター、チーズなどを買う。わたなべではバーベキュー用に肉を買う。AくんKくん兄弟が泊まりに来ることになっており。バーベキューは明日の予定だが日曜日はわたなべが休みなのである。店内は思ったほど混んでなかったが、野菜などはだいぶ少なくなっていたから、昨日か今日の午前中に客が殺到したのだろう。

 買い物をしていると、Aくんから長坂駅に16時16分に着くという連絡が入る。急いで家に帰り、肉などを冷蔵庫に入れて駅へ迎えに行く。兄弟に会うのは正月以来だ。

 

 

 兄弟は10年以上前から正月と夏、まるで薮入りのように年2回来ているので、言葉は悪いが勝手知ったる他人の家である。2人には好き勝手にくつろいでもらい。ぼくはジョン・ゴールズワージーの'The First and Last'の続きを読む。

 知らない単語が頻出するが、意味が類推できるものもわからないものも知ったこっちゃない、面白く読み終えた。菊池寛の「籐十郎の恋」のように戯曲版があるようだ。2人の兄弟がいる。兄は法曹界の大物である。弟は不安定な生活をしている。その弟が事件を起こし兄に頼ってくる。弟には愛する女性がいて、その彼女のために事件を引き起こしてしまったのだった······。兄は弟を救うのか。弟は犯した罪にどう対するのか。純情な若い娘の愛は······。よい小説だった。ゴールズワージーは『林檎の樹』しか知らなかったが迂闊だった。『林檎の樹』は伊藤左千夫の『野菊の墓』を思わせる。

 6時半、お客が来たのに夕食の準備がしてなかったので外食する。富士見町のテンホウへラーメンを食べに行く。餃子をテイクアウト。K子は帰ったらビールが飲みたいだろう。

 

 

 2人には風呂に入ってもらい。10時K子を長坂駅に迎えに行く。コンビニでビールを買う。いつも親切な店員がクーポンがあると教えてくれ、缶ビール2本ただでもらえた。

 ミサキはまだ帰らない。

 

2026年8月14日(金)

 8時10分起床。晴れ。気温20度。体重76.4キロ。

 今日誕生日なのは詩人三富朽葉。青空文庫に詩が5篇あったので読む。超ロマンチックな象徵詩だ。そういえば、若い頃読んで感動し全集を所有していたが心ならずも手放してしまった。伝記を読むと、28歳のときに海で溺れている友人を助けようとして水死したという。詩人シェリーのように、ロック歌手ジェフ・バックリーのように。海は天才に嫉妬するのだろうか。バックリーの絶唱「ハレルヤ」を聴こう。

 

 

 先週土曜日から泊まっていた(一晩は別の場所に泊まった)孫が帰ることになった。こんなに長く親元を離れていたのは初めてだったが寂しがることもなく、まずは良い子で、祖父母を充分に楽しませ疲れさせてくれた。バアバにはベッタリで、ぼくには素っ気ないがときには一緒に遊んでくれた。

 

 

 長坂駅14時14分の下りに乗るというので家を12時半に出て、ラーメン好きの孫のためにラーメン屋でランチすることにした。目当ての味亜がお盆で休業だったのでとんぼで食べる。少しスープがしょっぱ過ぎたのでぼくとしてはめずらしくスープを残したが孫は見事に完食した。今日は雲がもくもくと力強く盛り上がって美しい。長坂駅に着くとまだ電車の時間まで30分近くある。図書館で電車を待ったらというと、孫は車で待つという。おとうがクレジットカードで買ってくれたニンテンドーをやりたいのだ。バックミラーを見るとK子は眠っている。孫が起こそうとするが起きない。あと7分だよとぼくがいうとあわてて起きた。

 

 

 2人が改札口に消えるまで見送る。郵便局でお金をおろし、GSで給油、灯油の配達を頼む。配達は週明けになるそうだ。

 帰宅後、K子ほど働かなかったけれども、ぼくはぼくなりに疲れた。ソファにドンと尻餅をつくように座り込むと程なくして眠ってしまう。

 目覚めた後、9月の文学講座第79回のチラシを作成する。キャッチコピーは「隠れた大文豪・菊池寛を読む!」とした。少しばかり挑発的だが本気である。菊池寛を大衆作家として片づけるわけにはいかない。彼の優れた短編は芥川に匹敵する。しかしAIはありがたい。画像や文字情報をアップロードすればたちまちステキなチラシを作ってくれる。1年前は完成まで2、3時間かかっていたが。

 

 

 今日は『フォーサイト家物語』で知られるジョン・ゴールズワージーの誕生日である。Amazonに"Five Tales"が0円で売られていたので買う。早速大好きな'The Apple Tree'を読んでみた。書き出しの2、3ページはまるでディーリアスの音楽のよう。読み続けたかったが、もう今日中に読み終えることはおぼつかない。しかたがないので、より短い'The First and the Last'を読むことにした。「林檎の樹」とはまったく傾向のちがう作品だ。3分の2読んだところで時計を見ると午前0時を回っている。今日の日記を書かねばならないので残りは明日読むことにする。

 ミサキが一昨日あたりから姿を見せない。孫が来ると姿を隠すが、もう孫はいないのにどうしただろう。ミサキはぼくにしかなついていない。

2026年8月13日(木)

 7時35分起床。晴れ。気温20度。体重76.3キロ。

 起きると孫とK子は朝食を食べ終えたところだった。コーヒーも淹れてあり、トーストも焼けているのはありがたかった。

 

 今日も目ぼしい誕生日作家はいない。来月の文学講座のチラシを早々に作らねばならない。そのためにはまず何を読むか決めなければならない。念頭にあるのはヴァージニア・ウルフ『自分だけの部屋』とジョージ・オーウェル'A Nice Cup of Tea'だが、前者は教材作りが大変そうなのでオーウェルの紅茶についてのエッセイと日本の作家の緑茶についてのエッセイを読む方に気持ちは傾いている。岡倉天心『茶の本』や岡本かの子と吉野秀雄の茶についてのエッセイはよかったが、幸田文や向田邦子にも良いエッセイがありそうだ。そして、紅茶、緑茶ときたら、当然コーヒーも仲間に加えたい。コーヒーについては寺田寅彦に名エッセイがある。

 しかし、茶やコーヒーの前に、ウォーミングアップで何か読もうと青空文庫を「孫」で検索したら、正宗白鳥「孫だち」が見つかった。3人の孫を預かって育てている祖母が18歳になる長女に男ができて思い悩むというようなたわいない話だが、正宗白鳥の端然とした小説作法が渋い陶磁器の味わいである。

 次いで北大路魯山人の「茶美生活」を読んだがこれは求めている茶のエッセイではなかった。求めているのは日常生活における茶へのこだわりなのである。なぜならばオーウェルは紅茶について11のこだわりについて書いているからだ。次いで読んだ片山廣子の「コーヒー五千円」は終戦直前の上海ではコーヒーが五千円したというハイパーインフレの話を知人から聞き······という短いエッセイでこれも求めるものではなかった。

 正午、2日間プールだったので、今日は孫を川遊びに連れ出す。台ヶ原の国道20号沿いに流れる尾白川で川遊びに興じている子供たちを見かけたので、もっと上流の尾白川の堰堤に行く予定を変えた。両側が数メートルの土手になっている幅が10メートルもない川だが、澄んだ清流が気持ちよさそうに流れている。2人は川へ下り、ぼくは土手の上で折りたたみ椅子に座って2人を見守る。写真を撮る。

 

 

 孫は魚を捕りたかったのに網を忘れてしまった。孫の姿を目で追いながら、川での遊び方を教えてやれないことが悔しい。南アルプスから発する澄んだ冷たい水の尾白川はぼくにはどうにも飽き足らない。もっと水温が高くて魚たちが足元の浅瀬で群れ泳いでいるような川でなくちゃつまらない。そういう川で、釣りもだが、それ以外の魚獲りを教えてやれたらと思うが、川に下りることもできないのではなんとか言わんやだ。

 

 

 日陰がない。水もない。頭がくらくらしてきた。南に100メートルほど行ったところに丘のような低い山があり、その山の北側斜面は切り立っており、そこまで行けば日陰がありそうだ。はあはあ息をつぎながら行くといい塩梅に日陰があった。チェアーに座ると景色が広がっている。台ヶ原の宿の家々の先に七里岩、そしてさらにその先には八ヶ岳があるはずだが、真っ白な夏雲がわたのようにのび広がっている。KindleでGeorge Orwell, 'A Nice Cup of Tea'を読む。

 

 

 エッセイを読み終えて、ぼんやり雲を眺めたり、蝶やトンボの写真を撮っていると、K子から電話。どこにいるの? もう帰ろうと車のところにいるよ。日陰から出るとカンカン照りである。喉が渇いた。帰りの車では孫は眠ってしまった。帰宅後はぼくもソファで寝落ちしてしまう。

 

 

 改めてオーウェルを読んで来月の文学講座で紅茶、緑茶、コーヒーのエッセイを読むのは教材の編集が容易でないことがわかった。いつか読むことにして来月は別の作家の作品を読むことにした。青空文庫の作家のリストを見てたらいつか読もうと思っていた菊池寛が目にとまる。そして「入り札」を候補リストに入れていたことを思い出す。

 

 

 「入れ札」は決まった。他に1、2編読めるかもしれない。数編の名作が思い浮かぶ。しかしここはChatGPTに意見を聞いてみることにした。ChatGPTが挙げた作品は予想通りだったが、チャットは楽しく有益だった。

 と、遠雷。そして篠突く雨。K子が夕食の準備を始めた。手を切った!という声がキッチンから聞こえる。ピーラーでジャガイモの皮剥きを手伝っていた孫が手を切ったという。傷に貼るバンドエイドも消毒薬もないという。時刻は7時半。ドラッグストアはギリギリ開いている。豪雨の中を買いに行く。孫は消沈している。血を流す怪我は初めてなのかもしれない。

 しかし孫はすぐに元氣になる。夕食後3人でトランプを楽しむ。ババ抜きと7並べ。われわれは手加減しなかったが孫がすべて勝った。

2026年8月12日(水)

 9時40分起床。曇り。気温18度。体重76.2キロ。

 昨日の水中ウォーキングがだいぶ体に応えたようだ。体が重い。

 今日誕生日の目ぼしい作家がいない。青空文庫を「台風」で検索して小川未明「台風の子」「曠野」を読んだ。「台風の子」は自分の子供時代を思い出させた。台風は怖いというよりも、よい例えではないけれど、革命が起きたように興奮した。台風一過の明るく澄んだ青空。しかし、地面を見れば乱暴狼藉の跡が生々しい。折れた枝や葉っぱが散らかり、どこからか飛ばされてきたものがあったり、近所を歩くとトタン屋根が捲れ上がっている。普段足首ほどの深さしかない川が茶色の大川になり、いろんなものを猛烈な速さで押し流している。ときにはそんな川で泳いだこともある。ぼくも台風の子だった。

 

 

 午後2時グリーンヒル八ヶ岳に孫を連れて行く。昨日の今日とてさすがにぼくはもうプールに入る気になれず、孫とK子が泳ぐのを見学である。プールを上から一望できる展望室があり、他の祖父母や母親と家族を見守った。昨日は20名ほどだったが今日は倍以上の大人や子供が泳いでいた。お盆休みで宿泊客も多いようだ。

 見学といっても、2時間というものぼくは半分まで読み進んでいた岡倉天心『茶の本』を読んでいた。家を出るときは涼しかったが、台風が温帯低気圧になり、青空が広がり、気温が上がったこともあり、館内はムシムシしていた。『茶の本』が面白くなかったら眠ってしまったろう。岡倉天心の文章の影のない明晰さは天才の証だろう。改めて読んで日本文化論の最右翼であることは確認できた。しかし一歩引いて見直したらどうだろうか。ちと大風呂敷を広げすぎのようにも思える。すごいと思いながら同時に胡散臭さも感じてしまう。

 

 

 4時半2人はお腹を空かせてプールを出た。どこかファミレスで食事したいという。北杜市内で全国チェーンのファミレスは須玉地区に集中している。30分かかるが向かう。K子は孫の相手で疲れ切り眠ってしまう。

 中華系チェーン店で食事する。孫はラーメンと半チャーハンをゆっくり時間をかけて完食。今は女の子のように痩せた体型だが父親のような大男になるのかもしれない。

 

 

 暗くなってから花火をする。最近の花火は火のつきが悪いのではないか。危険を考えてナノだろうか。線香花火は以前ある時期不満足なものが多かったが、今のは松葉がかなり勢いよく出る。その点では改善が見られるが、最後に火の玉が落ちそうで落ちずそれを見るのが楽しみだったが、あっけなく落ちてしまう。

 

2026年8月11日(火)

 6時半起床。曇り。気温15度。体重76.1キロ。

 涼しい、涼しすぎる朝だ。階下へ降りると秋の朝のようだ。もっとも立秋は過ぎたのだけれども。

 K子の今日のイチゴ摘みアルバイトは6時から9時だという。早起きだという孫の姿はない。K子が孫の朝食は準備しておいてくれた。ウッドデッキの椅子でノラのデッカー(顔がでっかいのでデッカー)が寝ている。コーヒーを淹れてトーストを食べていると孫が起きてきた。今起きたのと聞くと前から起きていたという。5時にバアバと起きて二度寝したようだ。デッカーがいるよ、早く顔を洗ってきてというと洗面所へ走って行く。その間キャットフードを準備する。デッカーはK子にもぼくにも平気で抱かせるので孫にも抱かせようと思った。ウッドデッキに出て餌を置き、近づいてきたときに抱き上げる。孫に声をかけて抱かせようととするとデッカーは急に抵抗し始めた。どうやら子供が苦手らしい。

 さて、K子が帰るまで孫とどう過ごそうか。最近『クレヨンしんちゃん』の映画を観て来たというのでYouTubeにあるテレビ版の動画を観ることにした。『クレヨンしんちゃん』が面白いのは大人と子供が逆転している面白さだ。大人が子供であり、子供が大人なのだ。これは孫とぼくの関係でもある。つまらないことを言ったりやったりして孫に突っ込まれる。

 9時過ぎK子が野菜をもらって帰る。バアバを待っていた孫はK子と何かして遊び始めた。ぼくはプリントアウトした文学講座の教材「火垂るの墓」の校正作業をする。

 

 

 10時半屋内プールのあるグリーンヒル八ヶ岳へ行くことになった。後で知ったが新宿区の保養施設だという。一般にも公開されていてプールは大人500円、子供は半額だ。名前の通り緑の木々に囲まれた建物の南向きはガラスの壁と屋根になっており明るく開放感のある立派な建物で、宿泊施設、ジム、屋内プールなどがある。

 プールは長さ15メートル、幅5メートルくらいの小ぶりである。他に寝湯の泡風呂、ジャグジーなどがあり、子供のいる家族が遊ぶのにぴったりだ。孫は泳げるようになったのでK子と競うように泳いでいる。ぼくはもっぱら水中ウォーキングだ。足腰が弱くなったぼくには最適な運動だ。体への効果を実感する。

 

 しかし、ここで衝撃の事実が判明した。少し泳いでみようかと平泳ぎをしようとプールの底を蹴ったのだが、腰が体を水平に保てず泳げなかったのである。体幹がすっかり弱くなっていたのだ。体が弱ってきていることは承知していたが、ここまで悪くなっていたとは思いもよらなかった。

 とはいえ、衝撃的な事実であったが、頭を抱えて絶望するということはなかった。かつて当たり前にできていたことがいろいろできなくなっており、泳げなくなったこともその一つである。それは覚悟の上である。しかし、この屋内プールに通い水中ウォーキングをしたりリハビリ運動をすることで体幹を鍛えるべく努めよう。

 屋内プールの開いた部分から入って来たのだろう、シオカラトンボが外に出ようとガラスに体を打ちつけていた。見るにしのびなく捕まえて外に逃がしてやった。それからしばらくして温水の泡風呂からプールの方を見ると、孫がプールから上がり両手に何か持っている。どうやらトンボらしい。孫はトンボを外に放してやった。ぼくと同じことをやっている。今日一番嬉しい出来事だ。

 孫がなかなかプールから出ないので2時近くになってしまった。お腹が空いたが、たいていの店は2時で店を閉めてしまう。そこで一度行って食べたいと思っていた小淵沢駅前の入船食堂に行ってみることにした。蕎麦がメインの店だが孫が好きなラーメンもあるはずだ。狭い店なので行ってすぐ入れなかったが10分ほど待たされただけだった。孫はラーメン、K子とぼくは月見とろろそばの冷たいのを頼む。ここは注文を受けてからそばを茹でるのでかなり待たされる。しかし汁にメレンゲのようなとろろがのったそばは田舎風で太くよかった。孫に聞くとラーメンも合格だという。

 

 

 水中ウォーキングはやはり体力を消耗する。ぼくはぐっすり眠ってしまった。

 目を覚ますと今日の読書をする。中島敦「プウルの傍」と坂口安吾「海の霧」を読む。「火垂るの墓」の校正。

 夕食後3人でUNOをする。ぼくが2連勝。そして正義は勝つなどと馬鹿なことを言って煽ったものだから3戦目孫がイカサマで勝利。仕切り直しの最後も孫が勝利。K子はずっとビリだった。

2026年8月10日(月)

 8時15分起床。快晴。気温22度。体重76.1キロ。

 

 

 Apple Watchが不調で昨日から充電できず睡眠時間が計測できなかったが、比較的よく眠れたと思う。昨日の長時間ドライブの疲労も残っていないようだった。体が軽く感じる。しかしいざ何かしようとすると何もする気になれない。やはり疲れているらしい。精神も疲れていて身体感覚がくるっているのかもしれない。

 とりあえず何かしようと思い、iPad上で校正作業した文学講座の教材「火垂るの墓」に簡単な解説文をつけてプリントする。やはり最終的な校正は赤鉛筆を持って校正したい。

 充電器にのせたApple Watchを何度も確認したがまったく充電されてない。2度目の症状であるが、今度の方が深刻のように思える。バッテリーがただ単に劣化しただけではないのかもしれない。ともかくバッテリーの交換を急ごう。

 こういうときにApple Storeがない地方は面倒だ。ネットで調べたらカメラのキタムラが交換修理をしてくれるとあった。韮崎のキタムラは撤退した。フィルムの現像を頼みに行き顔見知りになった店員さんはどうしただろう。甲府には2、3店舗あるようだ。中でももっとも近い店に電話した。東京の一部の店ではやっているが県内の店ではやっていないという。

 アップルサポートに相談することにした。バッテリーの交換を頼むと症状をいろいろ聞かれ見積もりを出してくれた。バッテリーの交換だけならば1万7千円だが、話を聴いた様子では他の修理も必要になる可能性があり、その場合は6万円以上かかることになる。もう買い替えを検討すべきですね、検討しますと電話を切った。

 高価だしもうApple Watchはやめようかとふと思う。値段相応に活用しているかといえば、タイマーとアラーム、LINEの通知、(ほとんどかかってこない)電話、睡眠ぐらいで、最近は電車に乗らないのでSuicaも使わない。しかし、この10年以上、充電しているとき以外は装着しているのでないとなると手首がさびしい。今日も今日とて装着していないのに手首を上げてしまった。

 購入の動機は、結婚式の時に先輩から挨拶で非常な新し物好きですからと言われたように新し物である一号機が欲しかったからだが、K子と自分自身を納得させたのは転倒検知があるからだった。しかし、転倒検知は現実問題として真面目な購入理由だった。オートバイを乗り回していたからいつか起こりうる転倒を考えなければならなかった。もうオートバイはおりた。しかし転倒の危険は無くなったわけではない。老齢による転倒の恐れはいつも足下にある。やはりApple Watchは必要だ。

 K子はイチゴ摘みアルバイトから正午過ぎに帰る。ぼくが昼食の準備をすべきだったが彼女がカレーを作ってくれた。

 午後K子はフェルト制作。ぼくは何か読もうとiPadを手にしたが眠ってしまう。やはり疲れていたようだ。いびきをかいていたという。

 9月の文学講座は何を読もうかと考える。日本の作品が続いたから洋物のエッセイはどうだろうか。だとすれば、候補に上がるのはジョージ・オーウェルか、ヴァージニア・ウルフだ。ウルフならば「自分だけの部屋」か。オーウェルはエッセイの名手だし紹介したいものはいくつかある。とくに紅茶に関するエッセイは第一に紹介したい。そんなことをあれこれ考えていたら、オーウェルの紅茶エッセイと日本の緑茶エッセイを比較するのも面白いのではないか。コーヒーエッセイも加えるならば寺田寅彦が素敵なのを書いている。

 そこでとりあえずいつものように青空文庫を「緑茶」で検索して、岡本かの子「新茶」と吉野秀雄「お茶好き小話」を読む。どちらもお茶の香りがする好エッセイだった。ついで岡倉天心『茶の本』を開く。半分読んだ。日本万歳が多少鼻につくが――書かれた時代を考えれば無理もない――お茶を軸に歴史をたどった見識ある名著だ。

 K子のところに息子から連絡があり、18時2分に甲府着だという。息子は明日仕事があるので八王子に帰り、孫はしばらくこちらで預かることになったのでK子が甲府まで迎えに行くことになった。16時半K子を長坂駅まで送る。

 

 

 18時半孫とK子を長坂駅まで迎えに行く。改札口から出てきた孫はクロのタンクトップ、髪は肩まである女の子のような長髪。まるで息子が小中学生の頃聴いていたLAメタルのアーティストのようで笑ってしまった。わが家は全員長髪だ。ぼくは写真で見るアインシュタインのように白髪で髪はもう少し長い。

 

 

 風呂から出てパジャマを着た孫に、オンジ(ぼく)とまた風呂入ろうかと冗談にいうと、孫はオンジにナンパされたバアバにいっている。どこでそんな言葉覚えたんだと聞くと『クレヨンしんちゃん』だという。

2026年8月9日(日)

 7時40分起床。曇り。気温21度。体重75.6キロ。

 

 今日は7時間運転した。総走行距離は500キロほどになるだろうか。

 8時息子、孫、K子を乗せて山梨県民の森伊奈ヶ湖へ。小学生対象の「ザリガニトラップ作戦」なる催しがあり、孫を参加させることになったのである。9時15分到着。息子とK子も参加し、ぼくは緑陰の下、草の上に座ってKindleでメルヴィル「漂流船」を読む。読んでいると大小のアリが脚の上などを歩き回る。催しは11時半に終わる。

 

 

 息子と孫は三島へ行くという。息子が甲府にもどってレンタカーを借りるという。伊奈ヶ湖から三島まで2時間半、それに加えて甲府までの往復が2時間だから、何やかやロスタイムで1時間かかるとすれば、計5時間半かかることになる。息子はどうでもよいが孫がかわいそうだ。息子の甘い考えにあきれる。身延線で富士駅、東海道線で三島というのが楽だろうし経済的でもあると思ったが、目的地は三島駅から離れているというので、もう仕方がない三島まで送ることにした。その代わりガソリン代や食事代等は息子に負担させる。

 

 

 国道52号線を南下。新東名で三島に向かう。レンタカーを借りようと言っていた息子は後部座席で体を大きく傾けて泥のように眠っている。助手席ではK子もぐったり寝ている。運転席の後ろにいる孫は静かだがバックミラーでも見えない。たぶんニンテンドーでもやっていたのだろう。ぼくはあくびもでない。年2万キロ以上走っていた頃は1日に数百キロ走るのは当たり前だった。後期高齢者になっても昔取った杵柄か。どこを走っていてもなつかしい。ツーリングライダーを見てももううらやましいという気持ちが起きることもなくなった。

 

 

 目的地は三島スカイウォーク。もう箱根近くだ。どのような施設か知らないが、夏休みの日曜日とあって駐車場はいっぱいだ。息子は地元の知人に会うという。われわれはもう用事もすんだので、そのまま帰途につく。しかし箱根方面から帰ろうとしたことで何度も渋滞に巻き込まれ、先に昔取った杵柄と書いたが、ぼくの頭のナビゲーション機能が錆びついていたり狂っていたものだから、6時帰宅のはずが7時過ぎになってしまった。飽きるほど走った箱根で失敗するとは、悔しいのでどんなまちがいをしでかしたかは書かない。

2026年8月8日(土)

 7時55分起床。快晴。気温24度。体重75.4キロ。

 今日は植草甚一の誕生日である。あるとき小田急線に乗ったら目の前に白髯の小柄な老人が座っていた。一目で植草甚一だとわかった。ニューヨークで5千冊ペーパーバックを買ったとか、マンションを2戸所有し、1戸は書庫にしているとか、遠く及ばない憧れだった。

 蔵書はどのように散逸したのか。古本屋でジャン・コクトー風の洒落た直筆イラストを描いた植草甚一の蔵書に出会って買ったことがある。競売にでもかけられたのだろうか。

 本が手元にあれば読みたいと思いつつ、一方でないことでほっと胸を撫で下ろす。植草甚一はあぶないからだ。やばいからだ。中毒性があって、読書計画が、あってないようなものだけれども、徹底的に破壊されてしまうだろう。彼が名を挙げた作家、映画、ジャズの底なし沼にハマってしまう。

 ウォルター・ペイター『ガストン・ド・ラトゥール』から第五章「判断停止」を読む。モンテーニュの思想の精粋、「醍醐(クリーム)」が――「醍醐」とは牛や羊の乳から精製した、最上の味のものをいう――玩味できる章であった。ガストンという青年の目を通して語られているのでモンテーニュの姿、その言葉が清新に見え聞こえる。ぼくもまた老眼鏡の曇りをぬぐいモンテーニュを読み直そう。

 12時半K子イチゴ摘みアルバイトから帰る。素麺を作っていると、K子が〜(ぼくの名前)さん、ありがとーという。昨夜遅くコンビニに買い物に行き、オーバーナイトオーツを作っておいたお礼だ。おいしかったようだ。しかも腹持ちがよい。

 K子はフェルト制作。ぼくはメルヴィル「漂流船」を続きから読み始めたが眠気と戦いながらである。漂流船は不気味だ。助けに乗船した船長はほんとうに漂流船なのか、もしかしたら海賊の類でないかと疑う。メルヴィルの描写は細かい。そこに緊張感があり、何やら忌まわしい予感がある。

 3時半激しい雷雨である。一気に気温が下がる。足元から冷たくなる。ミーちゃんは落雷を恐れることなく眠っているという。ミサキはオドオドしている。

 4時半スーパーへ買い物に行く。息子と孫が来るので食材の調達である。雨はやんでいた。帰途はだいぶ暗くなった。ライトにアスファルトから立ち昇る湯気が浮き上がる。大気が冷え込んだのだろう。

 9時小淵沢駅へ息子と孫を迎えに行く。めずらしく特急に乗ったらしい。駅前で待っているとK子の携帯に電話がある。息子から電話で金がなく改札を出られないという。K子がお金を持って行く。車に息子が乗り込むと強烈なアルコールの匂いが充満した。