4月22日土曜日。6時50分起床。曇天。肌寒い。手術から2ヶ月経過。入院からも2ヶ月経過。
昨日ほどではないが朝はやはり体調がよくない。ベッドから起きて歩き始めるとすぐその日の体調の良し悪しがわかる。体が目覚めてないのかも知れないがふらつくのである。
昼食後無理せずに昼寝することにした。1時間ほど眠ったら頭の靄がはれたようにスッキリした。午後のリハビリまで時間があったので、プルーストと小山清「落穂拾い」を読む。
「落穂拾い」に次のような一節がある。
僕はいま武蔵野市の片隅に住んでいる。僕の一日なんておよそ所在のないものである。本を読んだり散歩したりしているうちに、日が暮れてしまう。それでも散歩の途中で、野菊の咲いているのを見かけたりすると、ほっとして重荷の下りたような気持ちになる。その可憐な風情が僕に、「お前も生きて行け。」と囁いてくれるのである。
退院後、あれをしたいこれをしたいではなく、とりもどしたいのは「およそ所在のない」日々である。所在のない日々を慈しみ、ときにその所在のない日々を彩ってくれる野の花に感謝することである。この初めての、予想だにしなかった長期入院は、まだ充分自覚はしてないものの、ぼくの人生観に深甚な影響を与えつつあるにちがいない。元々小山清の「落穂拾い」的な世界が理想だったのだが・・・・・・。