4月8日土曜日。7時起床。トイレに立つとき少しふらつく。昨日は元気だったが今日はそうではないらしい。血圧のせいでなければ気圧のせいだろうか。神経が集中する首の脊椎の手術をしたのだからありうるだろう。午前中の第1回のリハビリの前に歩行訓練のために屋上に上がったが、少し歩いただけで疲れてしまった。
第1回のリハビリ作業療法は80分で、後半は電気療法をする。首を回せないので目視できなかったが、肩の弱くなった筋肉の両側に電極をつけ、電気を流して筋肉を動かすのである。筋肉がピクピク動くのが少しばかり刺激的である。ただ流すだけではなく、ぼくの場合、左腕の肘の曲げ伸ばしはできるのだが、肘を伸ばした状態で腕を上に上げることができないのでそれを動かす筋肉を目覚めさせて強くする必要があり、電気療法の機械はセンサーでぼくがその筋肉を動かそうとすると感知して電流を流してくれるのだ。つまり腕を上げようという筋肉の動きを助けてくれるのである。しかし疲れる。電流は筋肉に刺激を与えているだけで、腕を上げるのはぼくの弱くなった筋肉だからだ。午前中は空き時間があったにもかかわらず、ラブレーを少し読んだら集中力が途切れた。
K子が動画を送ってきた。庭を映した動画でチューリップなど昨秋植えた球根が芽を出し花をつけ始めている。タンちゃんが映る。K子のあとをついて回っているようだ。モカも姿を見せて、モカがウッドデッキに上がると、開いた窓からミサキが姿を現した。ときどき自分のいない世界をそっと見てみたいと思う。世界はどうなるのか。どうにもならない。なるはずがない。ぼくがいてもいなくても世界は変わらない。ぼくがいなくても庭に花が咲き、3匹の猫たちは庭で遊んでいる。
午後は理学療法と作業療法を受ける。疲れは残っているが少し元気になったので昨日に続いて牧野信一を読む。不思議な作家だな。なぜ惹かれるのだろう。たぶんに私小説家的な面をもっているのに、その文学世界は異空間に、ロマンチックな別の空間にあるようだ。
弟が4年ぶりに行われたという火祭りの写真と動画を送ってきた。蚕の神様を祀る小さな石の社のお祭りだが、家の前の山の九十九折の道に松明をおき、大人や子供が松明をもって山に登っていく。下から見るときれいだ。ぼくが子供の頃は松の木の根っこに火をつけて山に登ったが、いつからかブリキ缶に灯油を浸した布を詰めて燃やすようになりだいぶ風情が失われたが、遠目にはやはりきれいだ。来年は集落の弟の組が当番だというし、見に行きたいものだ。