入院46日目(退院15日目)〜習うより倣う | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 4月7日金曜日。7時25分起床。夜中何度も目覚めたが一瞬のことですぐ眠れた。オートバイで気持ちよく走っている夢から醒める。どこかの海岸を走っていた。トイレに行く。昨朝のようにふらつかないかと心配だったが普通に歩けた。曇天。雨になるのだろうか。

 第1回のリハビリ作業療法が9時55分からなので早めに病室を出て屋上に行く。湿気を帯びた風が冷たい。西風だ。もうわが家のあたりは雨かもしれない。頭上の雲は薄紫色を帯びた薄墨色で美しい。

 

 

 作業療法士は昨日の入浴を手伝ってくれた人だ。鳥取出身。奥さんもこの病院で働いているという。奥さんは山梨出身だが、説得し了解を得て、郷里にもどることにしているとか。病院の職員の出入りは激しいようだが、ここで技術を身につけたら、地方出身者の多くは故郷で仕事を見つけるのだろう。きっと需要もあるのだ。ああ、それでいい、うまいうまい、と褒め方がうまい。

 昼食時間前にデイルームで読書していると看護師が血圧を測りにきた。上が88でやはり低い。それでは昨日の体調不良は低血圧だと思ったが、何だったのか。今朝は作業療法士も、ふらつきがなく、よい歩き方だといっていたのだけれども。

 昼食は、金曜日の昼食は麺類ということで、温かいかけそばと天ぷらが出た。3回目の麺類で、これで転院後2週間と1日ということになる。

 午後の2回目のリハビリは14時。昼食後1時間半も空き時間があるので牧野信一を数篇読む。島崎藤村の「桃の雫」の最後の方に自殺した牧野信一を悼む文章があったが、藤村が牧野信一の発見者の一人だったようだ。作文が大の苦手だった牧野信一は、だからこそ近現代日本文学において特異な、唯一無比の作家になったわけだ。Kindle版の『牧野信一全集』も70%以上読んだ。入院は2ヶ月、5月末までと看護師が予定表のようなものを持ってきて署名を求められたが、ならば入院中に全集を読破できるだろう。

 2回目のリハビリ作業療法は、ぼくの弟の嫁さんとかつて同じ職場に勤めていた愛媛県出身の課長さんがやってくれた。さすがにツボを心得ている。途中主治医がやってきてコルセットの具合を聞かれ、病院貸し出しのコルセットをしていたのだが、以前のよりも楽ですというと、それでは新しいのを購入していただきましょうという。価格は知らないが意外に高価なので、困ったなと思ったが、大事な首を守るのにいつまでも借り物というわけにはいかないだろう。ついでに電気による治療の許可をもらう。

 3回目のリハビリは理学療法である。療法士は入院以来ずっと担当してくれている30歳ぐらいの真面目な人だ。出身地はどこだったか。今日のぼくの歩きが安定しているという。今日はこの4月に入った新人が一緒である。ぼくの体を動かしながら、高校時代ラクビーをやっていた青年にあれこれ説明している。習うよりも倣うである。2週間前のボロボロだったぼくの体の方があれこれ教えるには良かっただろうに、残念でした。1