4月6日木曜日。7時半起床。今朝は、二度寝もしっかりして睡眠は充分足りていたはずだが、1回目のリハビリに行くときもだいぶふらついていた。疲労がたまっているのかもしれない。しかし、午後血圧を測ったら、上はいつも100前後であるのに、80ぐらいしかなかったから、血圧の異常な低下が原因ではないかと思った。他に理由は考えられないが、なぜ血圧が引くのかは不明である。
こういうときにはじっとしているに限る。午前中2回のリハビリで疲れたし、昼食後は読書も控え、ベッドに横になって少し眠った。
午後の3回目のリハビリは作業療法で風呂に入る。まだ一部手伝ってもらわねば入れないので、作業療法士と助手の女性2人がつく。女性の1人は今月から勤め始めたようで、あくまでも見学である。入院してから女性の前でも平気でスッポンポンになれるようになった。体は背中の一部を除き自分で洗える。首のコルセットは自分で外せないので助けてもらう。石和温泉の湯と同じ温泉に数分間つかる。温泉から出ると、午前中の不調が低血圧だったとすれば、血圧が正常にもどったのか、元気になった。
廊下の端のデイルームで読書。倖田露伴の「努力論」を読む。「努力」について、「運命」について、露伴という人はまっとうなことをどこまでもまっとうに書く。まだ少し読んだだけなので人生論として総括できるかどうかわからないが、書かれている内容もさることながら、文章からうかがえる露伴という人間が肝である。
病床にあった正岡子規の苦しもは想像できない。「犬」という寓話的短文がある。姥捨山に捨てられた老人たちを食べて生き抜いてきた犬だが、ある日自分の罪業の深さに長野善光寺で許しを請い願い、人間になりたいと信心に励む。途中の話は省くが、犬は四国に渡り、食べた老人たちに許しを請うために48ヶ所の寺を巡るのだが、最後の寺に詣でる前に亡くなり、その身は無数のカラスに食われる。それを憐れんだ僧が犬の死骸を埋葬するのだが、実は、カラスたちこそ犬に食われた姥捨山の老人たちで、そのカラスに食われて仕舞えば犬の罪は消えるはずだったのに、僧のために犬は永遠に救われぬことになってしまった。その犬が私だと、子規はいう。
「雲の日記」は病床にあった子規の日記である。文字通り雲の日記で、その日の雲のことと来客のことなどがさりげなく記されている。苦しい病床にありながら清澄な精神を保っている。
夕食の前ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第3番「田園交響曲」を聴く。朝は自分の体が心配だったが、読書できたし、名曲も聴けて充実した1日だった。