8時にウッドデッキに出て柱に吊るしてある寒暖計を見ると15度である。寒いわけだ。季節の潮目が変わり、ほんとうの秋になった。空には鱗雲。
今日午後は文学講座第36回。新潮文庫版『海からの贈物』は12冊入手した。K子とぼくの分を引いても10冊なので何とかなるだろう。作者アン・モロウ・リンドバーグの略歴、彼女に深甚な影響を与えたと思われるリルケの引用、貝殻の写真などで参考資料を作成してプリントアウトする。
11時K子がアルバイト先に用事があるというので送る。甲府盆地が一望できる場所を走っていると、広い空は雲たちの競演だ。大気が澄んでいるのでものみな透明な色彩に輝いている。
K子の用事はすぐすんだので、長坂駅前の図書館へ向かう。『海からの贈物』は足りると思うが、念のために予備の1冊を図書館で借りてあるのだが、さらに1冊予約してあり、今日市内の他の図書館から回ってくることになっていたのだ。これで予備も2冊になり、急に参加者が増えることは考えられないので完璧だ。
午後1時文学講座会場の八ヶ岳文化村(旧小泉小学校)へ。1200円の使用料を支払い。他の施設であれば7分の1の使用料ですむが、ここにはぼくの施設図書館があり、何よりも窓が大きくて明るく開放感があるのだ。
参加者はK子も含めて10名、読みが当たったわけである。
『海からの贈物』の読み聞かせをする。最初、人前で声を出すのが久しぶりだったので声がだい ぶ掠れていた。しかし吉田健一訳はぼくには読みやすく、ほとんど使えることなく、「ほら貝」と本作中の白眉ともいうべき「つめた貝」が読めた。
『海からの贈物』が現在のフェニミズムの論客からどのように見られているか知らない。今だに高く評価されているのか、あるいは、1950年代には新しかったが、今では古くさくカビの生えた保守的なフェニミズムとして一顧だにされないのかもしれない。しかし時代の限界は感じるものの、時代のはるか先をゆく、いや、というよりも、いつの時代においても根源的な思想が潜んでいると思う。
終了後、スウィーツを買い、少し買い物をして帰る。紅茶を飲みながらスウィーツを食べ、しばしぼんやりし、ソファで仮眠をとる。毎回文学講座の後は気抜けする。夕食後K子が何か観ようかというが、映画を見る気力もない。