ルクレーティウスよ、いずこ。(Jun. 28, 2022) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 南西の空を見上げると雲の筋が並び青と白の美しい縞模様になっていた。模様はしばらくして崩れたが、露草色の空が清々しい。10時近くなり、雲が切れ陽が差してきた。暑くなりそうだ。

 

 

 今朝の体重は目標にしていた数値よりも100g少くなかった。恐いほどダイエットが上手くいっている。

 昨日まで蕾だった黄色いバラが目が覚めるように大きく開いていた。メダカに餌をやりにいくと、トノサマガエルが半身浴をしている。側の割れた陶器の鉢に水が溜まりボウフラがわいていたので柄杓ですくい、金魚の水槽に入れてやると、隠れていた金魚たちが飛び出してくると、たちまちボウフラは消えてなくなる。風が栗の花の匂いを運んでくる。見ると花はだいぶ黄ばんできている。

 

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 寺田寅彦の「ルクレチウスと科学」(青空文庫)を読む。ほんとうはルクレーティウス『物の本質について』を読みたいのだが、途中まで読んでいたのに家内で紛失してしまった。昨日は読もうと思っていた『日本近代名作短篇2』が見当たらなくなったし、自分のだらしなさに嫌気がさす。もっとも家のどこかに必ずあるはずで、ある日ふと何かの拍子に見つかるのである。数冊をつねに併読するという若い頃からの読書習慣が仇になっているのだ。読書する場所が一箇所と決まっていれば問題なかろう。腕を伸ばした範囲のどこかにある。見当たらなければ本をどかせば下から出てくるだろう。しかし、あちこち場所を移して読むから見つからなくなるのだ。ところで「ルクレチウスと科学」だが、予想したよりもはるかに長く(10頁ほどだと思っていたら数十頁あった!)、しかも物理学などの知識がなければ理解しがたい代物だった。とはいえ、わからない部分があるとはいえ、書かれていることは首肯し得ることばかりである。「そこで、ルクレチウスは言葉を改めていう。自分はミューズの神のインスピレーションによって、以下さらに深く真理の解説をしようとする。しかしこういうめんどうなむつかしい事がらを説くには、『詩』の助けをかりなければならない。苦い薬を飲ませるには杯の縁に蜜を塗らなければならない、と言っている」夏目漱石の弟子であった寅彦だからこそルクレーティウスの「詩」の重要性がわかったのだろう。それにしても英訳で読んで理解しているのだからどれだけ英語ができたのだろう。午前中は半分しか読めなかった。

 

 長坂駅午後1時15分甲府行きに乗る。ルナール『博物誌』の続きを読む。ほんとうに楽しい本だ。フランスは農業大国であり、家畜や家禽が当たり前に身近にいて、ワイルドライフも豊かだ。だからこそこういう本が書かれる。

 甲府は灼熱地獄だ。大気が熱くて肌を焼く。

 仕事を終えたらとっとと帰るに限る。冷房の効いた電車に乗るとホッとする。『博物誌』を読了したので同じ作者の『ぶどう畑のぶどう作り』を読む。

 今日火曜日は10倍ポイントがつくドラッグストアで洗剤や食品などを買って帰る。

 帰宅後疲れていたが、蚊取り線香をつけ、両腕に虫除けスプレーをつけて、涼しいウッドデッキで寺田寅彦「ルクレチウスと科学」の後半を読む。前半ほど面白くなかったが、ぼくの知っているルクレーティウスはモンテーニュ経由だったので、物理学者寺田寅彦のルクレーティウスは

発見だった。