明るい曇天。9時の気温24度。無風。Tシャツだけだとかなり涼しい。
餌をやりにいくと金魚が1匹浮いていた。買ってきてすぐ2、3匹立て続けに死ぬことがあるのはいつものことだが悲しい。まだ個体の識別ができてなかったので、昨日購入したうちの1匹か、その前購入の1匹か不明である。金魚を飼っている友人が梅雨時は死ぬ確率が多いが、この時期を乗り越えればと言っていたことを思い出す。遅い朝食後、金魚を葡萄を植えてある鉢に埋葬する。
林芙美子「放浪記」の残りは1時間程度で読み終えられそうだ。午前中の読書に決める。昼食前までに予定通り読了。それにしても何と爽快な小説だろう。いや、小説よりも詩というべきかも知れない。感情を言葉にして、言葉を礫のように投げ、それがことごとく的の中心に見事に当たっている。永遠の青春文学だと思う。
午後になり晴れて気温が上がる。小淵沢のセルクルへ予約注文していた全粒粉入り食パンを買いに行き、来月の八ヶ岳文化村文学講座第34回のチラシを置いてもらう。カルツォーネが美味しそうだったので買う。
天気がよくなったので信濃境の井戸尻まで足をのばす。睡蓮の花は少なくなっており、ハスは葉が密集して繁り風に波うっていたが、ギボシはまだ固く小さかった。トンボふえて、池の上を旋回していた。見上げると、中層、上層、さまざまな雲が輝かしい夏空に展開している。
帰宅すると、陽は翳り、風が出てきた。また涼しくなる。
午後9時から映画『砂の惑星』を観る。期待したほどではなかった。途中から観ただけだけれども『砂の惑星』の前にやっていた『ポドロフスキーのDUNE』というドキュメンタリーの方が面白かった。ポドロフスキーの『砂の惑星』が実現していたらと思いつつ、実現しなかったからこそ世紀の傑作を夢見られるのだろう。