昨日までは夏雲の競演が見られたが、今朝は、わが家の庭から見るかぎり、平板な勿忘草色の空には一片の雲もない。生暖かい風が栗の花の匂いを運んで来る。急に風が強くなり、ウッドデッキの屋根に敷いたシートが捲れ上がり大きな音を立てる。
岩波文庫『日本近代短篇小説選2』から原民喜「夏の花」と野間宏「顔の中の赤い月」を読む。原民喜は一時期愛読した。破局の予感が緊張し漲る小説に恐々惹かれた。被爆後に書かれたものに破局の予感というのは変かも知れないが、原爆は時間さえも転倒させたにちがいない。昨年木山捷平を読んでいたら、木山捷平が中央線の原民喜が自殺した場所近くに住んでいたことを書いており、また原民喜を読むに違いないと予感していた。井伏鱒二の『黒い雨』再読もその流れにあったのだろう。
野間宏を最後に読んだのはいつだったろうか。学生時代? いずれにせよ、記憶も定かでない遠い昔のことだ。2人の男女は惹かれあっている、あるいは、小説的には愛しあうべき男女であるが、男は元兵士であり戦争で深く傷ついており、女は戦争で愛する夫を失い固く心を閉ざしており、終わったはずの戦争が2人を近づけさせない。男女の煮え切らなさに読みながら少し苛立ったのは、戦争の現実にぼくの想像力が及ばないからだ。戦争が傷の深さが実感できないからだ。
突風がウッドデッキの屋根のシートを捲り上げて大きな音を立てる。荒れ模様である。いつの間にか、雲が西から次々と流されてきて、停滞しはじめていた。薄暗くなり、風は湿っぽくひんやりしてきた。蒸し暑さから解放され、涼しくて気持ちがよい。
6時綿半へ金魚を買おうと車を走らせていると、富士山が青いシルエットになって完璧な姿を見せていた。南アルプスは灰色の霧のような雨煙に包まれていた。
朱文金など4匹買う。これで水槽の金魚は8匹になる。金魚の入ったビニールの水を水槽の水と同じにすべくしばらく浮かばせておく。3時間後、ビニール袋から金魚を水槽に解き放つと、水槽の中は急に賑やかになり、金魚たちも新たに仲間を迎えて動きが活発になった。泳いでいる金魚たちはいくら見ていて身見飽きない。