庭を鳥やチョウや羽虫が横切って行く。(Jun. 22, 2022) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 薄曇り。9時の気温20度。雨が降るのだろう。風はほとんどないが、首筋がひんやりするので顔を上げると樹木の枝先がかすかにゆれている。うっすらと陽がさすときもある。過ごしやすい一日になりそうだ。

 

 ときどきウグイスがすぐ近くで鳴く。完璧な鳴き声だ。姿は見たことがない。だから、望遠レンズ付きのニコンを手の届くところに置いてあるのだが写真に撮れたこともない。

 スズメが一羽飛んできて庭に置いたハンモックの支柱にとまる。いつも同じ所にとまるから同じ個体だろう。隣家かわが家に巣があるのだろう。

 

 

 昨日の続きでモンテーニュ『エセー』(宮下志郎訳、白水社)第3巻第9章の後半を読む。この章は印象に残るパッセージが散見するし(『エセー』全般に言えることではあるが)、モンテーニュ晩年の真直な想いが綴られていると思われるので、後日じっくり再読・再再読(他の訳者のものも含める)するつもりである。だからこの章についてのコメントは控えるが、友情についてすばらしく美しい一節があったので抜き書きしておく。

 

わたしは本当の友情には精通しているのだけれど、そこでのわたしは、わが友を自分のほうに引き寄せるよりも、自分を友に与えている。彼がわたしに尽くしてくれるよりも、わたしが彼に尽くすほうを好むだけではなく、彼が、わたしよりも、自分の得になってくれたほうがいい。彼自身が得するとき、わたしももっとも得をするのである。また、彼にとっては、不在であることのほうが心地よく、有益だというのなら、わたしにとっても、彼がいるよりも、不在であるほうがはるかに気持ちがいいのである。お互いのことを伝えあう手段があれば、それは本当の不在ではないのだから。わたしはかつて、二人が離れていることを、むしろ利点とした経験があるのだ。お互いに離れていることによって、充実した、広がりのある生き方を得ることができたのだった。彼は、わたしのために生きて、ものごとを見ては、楽しんだのだし、わたしも、彼のために、彼がそばにいるのと変わりなく、同じことを十分におこなった。かえっていっしょにいるときに、どちらかが怠けていたというか、要するにわれわれ二人は、混じり合っていたのである〔もちろんラ・ボエシーとの友情を想起している〕。別々の場所にいることが、われわれ二人の意志の結びつきを、より豊かなものにしていたのだと思う。肉体的な現前を飽くことなく渇望するのは、ある意味では、精神的な喜びの弱さの表れなのだ。(モンテーニュ『エセー7』白水社、66ページ)

 

 ラ・ボエシーはモンテーニュの唯一無二の友で優れた学者だった。若くして亡くなったが、モンテーニュに深い影響を与えようだ。彼の著書の出版は(死後だったか)モンテーニュの尽力によるものだったはず。「肉体的な現前を飽くことなく渇望するのは、ある意味では、精神的な喜びの弱さの表れなのだ」がよい。ベタベタいつもくっついているばかりが友情ではない。離れることによってかえって友に近づこうとする。友に頼っていたところを、友が目指していたところを、自ら獲得しようとして友に近づき、共に豊かになる。

 

 庭を鳥やチョウや羽虫が、閃光のように、舞い狂うように、ホバリングをくり返しながら横切っていく。とどまるものはいない。花が咲き誇っているのだからせめてチョウぐらいととまってくれと思うのだが、ひらひら落ち着きなく隣家かの庭に去っていく。2頭が追いつ追われつ、もつれあうように舞う。

 

 猫の唸り声がする。次第に激しくなるので見に行くと、隣の家とわが家の間の狭い空地でわが家の2匹、モカとタンちゃん、それからノラのクロシロが向き合い威嚇しあっている。三すくみ状態だ。近づくとシロクロが逃げた。しかし数日前K子が同じ状況に出会ったとき、クロシロが逃げた後、モカとタンちゃんが取っ組み合いの喧嘩をはじめた(兄弟なのに普段から仲が悪い)

という話を聞いていたので、K子は本来2匹で協力してシロクロをやっつけるべきなのにと笑っていたが、喧嘩させないために2匹も追い払う。逃げたモカの尻尾は太くなっていて、背中や首のあたりから抜けた毛が飛び散った。もっとも激しく唸っていたのはモカだったがすでにやられていたようだ。

 

 

 午後3時ぽつんぽつんときた。それだけで雨にはならなかったが気温は下がった。郵便局へ行く用事があり出かける。用事がすんだ後は綿半へ行き、黒メダカ5匹、金魚4匹、ブロックを4個買う。ブロックはウッドデッキを上り下りする階段の板が抜けたので支えに使うためである。それから水槽に沈めて金魚の隠れ場所にするためである。

 

 夕食後は映画『痴人の愛』を観る。谷崎潤一郎の同名の小説を原作にしたものではなく、サマセット・モームの『人間の絆』を検索としたものである。レスリー・ハワード、ベティ・デイヴィス主演である。ベティ・デイヴィスは前回観た『黒蘭の女』にしてもそうだったが、気が強く嫌な女を演じさせたら右に出るものがない。Wikiなどを読むと、『痴人の愛』は鳴かず飛ばずだった彼女の出世作だったようだが、ヒロインが嫌な淪落の女だったのでそれを演じようという女優がいなかったところデイヴィスが手を挙げたようだ。すごい女優だ。