2年ぶりのMRI(Jun. 23, 2022) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 6時過ぎに目覚める。8時半までに富士見高原病院へ行かねばならないので、アラームは7時に設定していたが速く目覚めた。

 曇天。気温19度。湿気が多い。体重は、一昨日はぞろ目で幸先がよいと書いたが、200g減っていた。昨日買った金魚4匹は元気に泳いでいる。

 

 8時5分家を出る。K子に付き添ってもらう。眼科の検査で瞳孔を開く薬をさされるので、帰途の運転が危険だからである。車が多い。通勤の車だろう。青い運動着にヘルメットの自転車通学の中学生たち。普段の生活では彼らを見かけることがないので新鮮な朝の風景だ。

 

 8時45分MRI。検査用の寝衣のようなものに着替え、放射線科検査室に入る。白い大きな、ミニバスを三等分に輪切りにしたようなMRIがどーんとある。耳栓をして台に横になると、頭を固定され、アメフトの防具のようなものをかぶせられる。技師が顔を近づけ、左手に握らせたものを、何かあったら強く握って知らせてください、一度握ってみましょうという。耳栓をして、頭を固定するために小さなクッションで両側から押さえつけられているので、覗き込むような技師の顔は近いのに声は遠い。いつ握らされたのか気づかなかったが、軟球のテニスボールよりも小さいが球形の柔らかいゴムボールが手のひらにあった。握るがあまり手応えがなない。もっとも強くと技師。いいでしょう、では、入ります。MRIの筒の中に徐々に体が入っていく。閉所恐怖症の人はもうこの段階でパニックになるだろう。2、30分かかるというので眠るつもりで目をつむる。やがてバリバリ、ガーガー、ギュンギュン等々、不快な雑音が聞こえてくる。耳栓がなければ耐えがたいだろう。何か夢を見ていたが、音のせいだろう、不快な夢だった。

 

 9時半眼科で検査。あの眼球に空気を吹きつけられる検査は不快である。反射神経で目をつむってしまうので、女性の検査助手が瞼を押さえてくれる。視力検査。目の質がよく、読書で目を酷使し続けたものの、両目ともずっと1.5を誇ってきた。一生メガネを書けることはあるまいと思っていた。高校の国語の教科書にあった円地文子の「眼鏡のかなしみ」には無縁だと思っていた。しかし、老眼は避けられない。老眼鏡が手放せなくなり、今では家の中の諸所に老眼鏡がおいてある。なければ本が読めない。強迫観念である。とはいえ近視ではないから手元はぼやけるもののまだ普通に見えるのはありがたい。

 瞳孔が充分開いているかのチェックが2回あり、1回目のチェックのときには薬の再投与があったが、ほぼ予約時刻に眼科の女性M医師の診察がある。強い光が当てられて眼底が検査される。とくに問題はないとのこと。あっさりしているのがよい。半年後にまた診ますから来てくださいといわれる。

 

 10時半、整形外科のY医師の診察。今日のレントゲン写真を2年前に前の病院で撮ったものと比較すると、それ相応に悪くはなっているが、さほど大きな違いはない。脊椎の狭くなっている部分は、それを見てすぐに手術を勧める医師もいるだろうが、急に何らかの原因で狭まったわけではなく、長い時間をかけて、いわば縮こまったわけであって、だから身体の麻痺などが起こらずにすんでいる。ただ何かで頭を打つとかして首に衝撃が加わると下半身麻痺も起こるおそれがある。この病院には脊椎の専門医がいないが、いつでも専門医を紹介する準備がある、と医師にいわれたが、それについては次回相談することにした。いずれ何らかの決定をする必要があることは確かだ。

 

 今日は内科の診察はなかったし、薬の処方もなかったのですべてがスムーズで11時前には病院を出られた。付き添ってくれたK子を長時間待たせて申し訳なかったが、最小限ですんでよかった。病院をでると、梅雨の晴れ間の陽光が燦々と降り注いでいる。瞳孔が開いているのでまぶしくてならない。やはり車の運転は、できないことはないが、K子に任せるべきだ。

 

 昼にはちと早かったが、いつもより朝食が早くてお腹が空いたので、病院近くのテンホウで食べることにした。つけ麺と餃子を食べる。オートミール以外の炭水化物は久しぶりだ。魚介スープがよかった。たてしな自由農園で野菜などを買って帰る。

 

 帰宅は2時。ひどく疲れてた。睡くてならない。ウッドデッキで椅子に坐るとたちまち眠ってしまった。よく覚えていないが母を探す夢を見た。1時間ほどして目醒めるが、体はもっと睡眠を欲しているようである。

 今日は病院で読書ができなかった。井伏鱒二の短文を3つ読む。3つ目の「タケリンさん」を読み、青空文庫に武田麟太郎があることを思い出し、「日本三文オペラ」を読む。昭和7年の作。ボロアパートの住民たちを描いたいわば群衆劇で、独特な、他の追随を許さぬ傑作だと思う。

 

 

 原因はわからないが、右目が痒くなり、手でこすっていたら赤く充血した。生憎目薬がなかったので、夕食の時間であったがドラックストアへ行く。運転はK子である。ドラッグストアで買い物した帰途は、夜の田舎道に慣れていないK子に代わりぼくが運転する。ほたるの里公園でほたるを見る。時刻は八時になっていたが懐中電灯がなくともなんとか足元が見える明るさだ。月は出ていないが、雲が明るいのだ。