昨夜11時過ぎにK子を小淵沢駅へ迎に行った帰り、車の前方50メートルほどのところにいる動物をヘッドライトが照らし出した。先日も別の場所でだが、そっくり同じ姿形の子犬ぐらいの大きさの動物を夜車を運転しているときに見た。キツネの子? と思ったが、色がちがうように思える。昨夜も、最初キツネ? と思い、K子も同意したのだが、すぐに2人とも自信がなくなり、やはりタヌキだったのかとなってしまった。そして、どっちかなあなどとおしゃべりしながら、わが家のある路地に入ると、ヘッドライトが何か動物を照らし出した。家の猫か、あるいは勝手にわが家に侵入して餌を食べてゆくノラ猫かと思ったら、もう少し体が長くて顔の尖ったやつだった。さっとSさんの家の生垣に潜り込んでしまったが、姿形は最前の動物を2回り大きくしたようだった。タヌキも意外に顔が尖っているしやはりタヌキだったのだろうか。今年はシカも出るし、野生動物の世界に何かあったのだろうか。
夜半激しく降っていた雨も、7時過ぎに起きるとやんでいた。気温は13度。寒いがウッドデッキに出て朝食を食べる。足先が冷たい。しかし西の空に青空がみえる。あの青空は広がるだろう。さわやかな一日になりそうだ。
と思いきや、起きてきたK子はいつもの明るいおはようがなく、顔は疲労と怒りに黒ずんでいる。諍いという意識はなかったが、昨夜のぼくの言葉に傷つき、普段のぼくに対するストレスが爆発したようだ。散々なじられる。普段のぼくが気が利かずだらしなく、自分の中に引きこもってマイペースを決めこむのが悪いこととは承知しているので、ぼくは何もいえない。口を開けばさらに彼女を怒らせるだけだ。彼女はぼくの体のことも不安でストレスになっているようだ。
昨夜遅かったのでK子は朝風呂に入った。彼女の後でぼくも入る。問題は解決したわけではないが、さっぱりとして気持ちはほぐれた。青空がいっぱいに広がり、陽光がいっぱいに広がった。K子もやさしくなった。
文学講座の2022年度の日程表を作る。各回のチラシだけではなく、日程表のポスターも図書館においてもらうつもりだ。
3時45分K子を公文に送る。山々の上に夏雲が聳える。文学講座のチラシをスーパーオギノでおいてくれるように頼む。よってけしでキュウリやピーマンの苗などを買う。八ヶ岳文化村へ行きぼくの施設図書館で井伏鱒二の「かきつばた」を読む。来月の文学講座で取り上げようと思っている短編である。「黒い雨」に先行する作品か。八ヶ岳文化村も利用者が増えてきたようだ。一時機心配したが杞憂であった。ぼくの図書館もどうにかしなければならない。散らかった物置小屋のようになっている。本が多過ぎるというのは言い訳にならない。だからK子のストレスはなくならない。家に帰る前に山々と雲を撮影しようと、三分一湧水から続く傾斜地の眺望の良い場所に行く。周囲は青々とした麦畑だ。緑がまぶしい。八ヶ岳も南アルプス連峰も夏雲をまとっている。富士山は見えない。
帰宅後、朝K子から責め立てられたことが屈託になっていることに気づく。どうにかしなければならないが、どうにもならない部分が厳しい。
8時半公文にK子を迎えに行く。疲れたようで、自分には向いていない、続くかしらという。