大雪の日、シメは祖父の魂を迎えにきてくれたのか。(Mar. 22, 2022) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 目が覚めて天窓を見ると雪で覆われていた。彼岸過ぎの雪である。数年前には4月桜が満開の頃にも降ったことがあるから特段めずらしいことではないが、それでも雪は特別な気持ちになる。困るのは3月の雪はおおゆきになることがあることだが、この時期にしてはサラサラとした雪でさほど積もることはなさそうだ。

 いつも朝一番にする歯磨きや洗顔の前に野鳥たちのことが頭を過り、ウッドデッキの屋根の軒下に吊るした餌台にひまわりの種を補給する。庭にもまきたいが、雪に足跡をつけるのがいやなので、ウッドデッキのフェルトのカーペットの上にまいた。

 歯磨き洗顔をして、朝食の用意をする。K子はまだ起きてこないので一人で食事しながら餌台を見ると、一瞬カワラヒワかと思ったが、二回りほど大きな野鳥がひまわりの種を啄んでいる。シメだ。餌を求めにきたスズメたちが遠巻きにしている。シメは小スズメなど知らぬ顔で悠然と朝食を楽しんでいる。

 

 

 以前にも書いた記憶があるが、シメという野鳥を知ったのは高校3年の3月である。文学や哲学の読書に明け暮れ、受験勉強を軽蔑していたから当然の結果なのだが、大学受験に失敗して浪人になることが決定したばかりのときだった。祖父が木が枯れるように苦しむことなく逝った。お葬式の日は3月初旬にしてはめずらしい大雪だった。ぼくは、かつては祖父の部屋だったがしばらく前からぼくが使っていた2階の部屋で、階下から聞こえる葬式の準備をする話し声や物音をぼんやり聞いていた。と、「おじいさんは良い人だったのに、なぜこんなに雪が…」と父が怒ったようにいう声が聞こえた。喪主としての父の葬式が無事執り行えるだろうかという心配はわかる。しかし雪は大往生を遂げた祖父を祝福しているのではないかとそのときぼくが考えたとは思わないけれど、しんしんと降り続ける雪は父の心配や苦労をよそにぼくの気持ちをやさしく癒やしてくれるようだった。降る雪を見ようと窓を開けた。そのとき隣家の裏の葡萄棚に鳥が一羽とまっているのが目に入った。後で調べてわかったのだがそれがシメだった。あゝ、祖父の魂を迎えにきたんだなと思ったのだが、あの頃はほんとうにナイーブな文学青年だったんだなあと今にして思う。

 

 

 雪は午後3時過ぎまで降り続けたが、最後には霙のようになってやんだ。午後5時庭が急に明るくなった。西日がさしたのだ。きっと西の空は雲が切れて綺麗だろうなあと思ったが、気温が低そうなので外に出るのはやめた。

 

 『井伏鱒二自選全集 第五巻』から「ある草案」を読む。前回の「掛持ち」同様に旅館、地方からの修学旅行生が泊まる旅館が舞台だ。ちょっとした事件がとりとめなく起こる。こういうところが、実は現代的ななのだろう。

 YouTubeにあった林芙美子『放浪記』の朗読を聴く。原作の文字を目で追いながら聴いたが、細かい部分でだいぶ言葉を端折ったり、付け加えたり、変えたりしていた。朗読としては、原作を知らなければ、問題ない。女性の朗読者の声は、『放浪記』に現代的な雰囲気をもたらし好感がもてる。

 

 夕食後『刑事フォイル』を2本続けて観る。戦時下という特殊な状況下にあっても、犯罪はきっちり裁かれなけれならない。戦争の大義を隠れ蓑にしてはならない。