体調悪いのに読書したので脳髄がオーバーヒートしそうになった。(Jul. 28, 2021) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 午前4時過ぎに目覚めた。いくら何でも早すぎるので眠ろうとしたがなかなか寝られない。iPadで何か読もうとしたが、いざ読もうとすると文字を追うことができない。意識にノイズがあり集中できない。それに体がだるくてしかたない。目をつぶってしばらくすると一瞬意識は遠のくものの、体のだるさや痛みが意識され、イライラする。
 そんな状態で輾転反側していると、やがて眠ってしまう。が、また1時間ほどして目が覚め、輾転反側。そんなことを2度、3度、4度して8時過ぎに目覚める。もう一度眠るのはさすがにもう嫌なので、むりやり体をベッドから引っぺがすが、立ち上がる元気はなく、ベッドにしばらく腰かけたまま、悪夢が残した残滓を反芻する。まだワクチンの副反応があるのだろうか。体の各所に、筋肉痛とは微妙にちがうが、それに似た痛みがあり、だるい。
 後でワクチンでこんなになるんだから、コロナに感染したら大変だったわね、とK子にいわれ、ゾッとした。基礎疾患はあるし間違いなく重篤化したにちがいない。

 起床した頃は雲が多かったが、すぐに夏の青空が広がった。昼食後、ウッドデッキで読書。モンテーニュ『エセー』第3巻第13章「経験について」は最終章で、かなり時間をかけたが、この章を読めば全巻を通読することになる。通読したからといって、『エセー』に限らず理解したことにはならないが、達成感は大きく、嬉しい。通読したということは、入り口から入って出口から出たということである。しかし、それはただ通過したということであり、読書においては、とりわけ『エセー』のような書物については、ほとんど意味のないことかもしれない。がしかし、この経験は意味がある。これからは、その経験を生かし、再度通読をめざしてもよいし、『エセー』は開かれた書物で入口も出口も至る所にあるから、好きな入口から入り、好きにさまよい、好きな出口から出てくることができる。通読を終えてほんとうの読書の入口に立てたのだと思う。
 『エセー』読了後、アンドレ・ジイドの「モンテーニュ論」(岩波文庫、渡辺一夫訳)を読む。ジイドは若い頃よく読んだ。翻訳がかなり出ていて、手に入るものはすべて読んだ。しかし、ジイドのモンテーニュに対する独特の立ち位置が那辺にあるかよくわからなかった。わからなくて当然だ。別の立ち位置にあるモンテーニュ論を知らないのだから。いつかまた再読せよということだ。

 『エセー』と「モンテーニュ論」を集中して読んでいたら脳髄がオーバーヒートしそうになった。体調が充分でないのに無理をしてしまった。遅い昼食を終えると、頭はボーッとしてきて、YouTubeで大谷翔平選手の第36号ホームランの映像などを観ていたが、もう耐えられなくなった。居間の床に横になる。夏は居間の板敷の床が冷たくて昼寝には最適なのだ。K子は映画「ミッドサマー」を見始めた。と、どのくらい時間が過ぎたか、iPhoneが鳴った。八王子の佐藤書房からで、明日、本を引き取りに来てくれるので、その相談である。この55年間余、本は買うばかりで売ったことはなかった。とりあえず、趣味と興味で買い集めた洋書を売ることにしたのは、さすがにもう読めないからだ。

 夜はTVドラマ「リヴィエラ」を2本観る。次第に謎は深まるが、意外に緊迫感がない。