前回のつづき
未練がましく
摩訶耶寺へ
無断転用禁止
浜名湖の撮影が不調に終わり落ち込んでしまったのじゃが、龍潭寺拝観で、憂鬱な気分もいくらか楽になってのう。(前回)
これで浜松はもうオサラバして、帰途に予定しているワシのホームグラウンドの撮影に行けるわいと、機嫌よく車に乗り込んだのじゃ。
ところが走り出して間もなく、道路際に「摩訶耶寺は→」の標識を見掛けてしまったのじゃわい。
こうなるともはやハンドルを持つ手は勝手に→印の方向に動いてしまってのう😅
またもや思わぬところでお寺&お庭を拝見することになってしまったのじゃ。
ネット検索して見るとこの摩訶耶寺(マカヤジ)は奈良時代に行基によって開創された寺院ということじゃ。
行基と言えばあの奈良の大仏の造立に尽力した僧で、先ほど拝観した龍潭寺(6月13日投稿分)も行基が開創した寺じゃったのう。
行基は日本で最初の大僧正というだけあって大層な坊さんじゃわい。
案内標識からほど近い場所に件の摩訶耶寺はあった。
この寺も長い参道が続いている。
しかしワシの苦手な階段はないようじゃからやれやれじゃ。
江戸時代に改築されたという山門を潜って行くと……
中には広大な境内が広がっていた。
摩訶耶寺自体は奈良時代の創建らしいが、現在のこの建物は江戸時代に再建されたものという。
広い境内の山際にはこんな滝も見える。
参拝した後、本堂へ突入。
これが本尊の正観世音菩薩。
本尊は秘仏となっているため普段は非公開じゃが、偶然にもこの時は特別御開帳中で、運よく参拝することが出来たのじゃ。
ありがたや、ありがたや。
江戸時代の再建当時の格天井。
法橋関中の筆による花鳥図が描かれている。
ちなみに「法橋」とは江戸時代の絵師や仏師などに与えられた官位だという。
持国天像。
これは平安時代の作。
この像がこの寺を開いたと伝わる行基大僧正じゃ。
衣服などの特徴から平安後期から鎌倉初期の作と考えられるらしい。
十王像、奪衣婆、懸衣翁。
十王とは冥界の10人の裁判官じゃそうな。
前列中央に鎮座するのは閻魔大王。
前列右から2人目の奪衣婆は三途の川の畔で亡者の衣服をはぎ取る役割の老婆。
右端の懸衣翁ははぎ取った衣類を計って罪の重さを決める老爺だとサ。
恐ろしや、恐ろしや。
お互い悪さはしないでおこうのう😫
おびんずるさま。
お釈迦様の弟子で十六羅漢の一人。
脇室の片隅にひっそりと鎮座されていたわい。
別室には不動明王……
千手観音……
そして阿弥陀如来の三体がずらりと並ぶ。
薄暗い本堂を抜け出して、爽やかな初夏の広々とした庭園へやって来た。
基本的には奈良時代に作られた庭園ではあるものの、本堂が再建された江戸時代にこの庭園にも大きく手が加えられたらしい。
近景の石組み、遠景の山を借景とする構図、苔と低木を中心とした景観などの特徴から江戸時代のものと考えられるという。
垣根にポツンと紅一点。
それにしてもスイレンの葉っぱのこの蔓延り様はどうじゃ。
とても水生植物とは思えぬわい。
庭園と向かい合う書院の壁には八角窓。向こう側の緑が爽やかじゃ。
庭からは書院の座敷が眺められる。
この書院は江戸時代の後期に作られたものを、近代以降に大きく手を加えた建物らしい。
それはそうじゃろうのう。誰が見てもこれは新し過ぎるわい。
庭園の緑がガラス障子に映る。
きれいには違いないが、いくら何でもガラスはやめてほしいわい。
せっかくの古めかしい風情が台無しじゃ。
これでやっと浜松ともオサラバできそうじゃ。
今度こそわき目を振らずにワシのホームグランドへ突入するぞえ。
ちょいとばかり道草を食ってしまったからのう。
急がぬと日が暮れてしまいそうじゃ。
それでは慌てずに急いで行こうかのう。
つづく
無断転用禁止
























