前回のつづき
帰りも寄り道
龍潭寺へ
無断転用禁止
初めての浜名湖撮影に意気込んで出かけたにもかかわらず、事前の下調べを怠ったこともあって写欲の湧くような撮影ポイントが見つからぬまま、泣く泣く帰途に就いたのじゃ。
しかし折角ここまで来たのじゃ。何のオミヤゲもないまま引き揚げるのも寂しくてのう。
そこでまた地図を広げると龍潭寺(リョウタンジ)という戦国大名・井伊家の菩提寺が目に入ったのじゃ。
龍潭寺……?
どこかで聞いたことがあるような……。
そうじゃ。滋賀県・彦根市にも龍潭寺があるぞえ。
同じ名前の寺が彦根と浜松に2つある……?
チョイと疑問に思ったのじゃが、考えてみれば彦根城主の井伊家は浜松が元々の出身地じゃからのう。同じお寺が2つあっても不思議ではないじゃろうて。
井伊家は1600年の関ケ原の戦いの功績で18万石を与えられて浜松から彦根に移ったために、そこに第二の龍潭寺を作ったのじゃろうのう。
従って龍潭寺は浜松が本来の井伊家の菩提寺だったのじゃ。
ロクな写真が撮れずに落ち込んでいたのじゃが、このお寺を見つけてちょいと興味が湧いて来たわい。
早速行ってみるわえ。
駐車場の横には名勝・龍潭寺庭園の表示。
その横には長い参道が山門まで続いている。
その奥にも通路が続いているようじゃから果たして腰痛持ちが歩いて行けるのかと躊躇していたら、高齢者や障害者のために本堂の近くにも駐車場があることが分かったのじや。
なるほど行ってみると本堂の近くにも数台の駐車スペースがあった。
やれやれ。ありがたいことよのう。
本堂の手前には鐘楼堂。
早速、本堂へ侵入じゃ。
本尊の釈迦如来坐像。
内部が暗く、せっかくのご本尊が露出不足で失敗してしまったわい。
お釈迦様、どうかご容赦のほどを😭🙏
本堂の内部。
龍潭寺は奈良時代(733年)に行基によって開創されたという。
行基と言えばあの奈良東大寺の大仏作りでも活躍した有名な坊さんじゃよのう。
観音堂に鎮座する観音菩薩。
展示室には歴代の井伊家藩主が乗ったお籠が陳列されていた。
甚五郎作じゃと?……あの左甚五郎?
建物の横を曲がるとメインの龍潭寺庭園が見えて来たわい。
書院側から眺めた庭園の全景。
龍潭寺の名前にちなんで庭全体を龍の姿にイメージして作られているという。
池は龍の胴体の流れ、石は背や背びれ、頭部などを表し、全体として龍が水中でうねる姿を表現しているらしい。
この庭はかの有名な小堀遠州の作庭で、現在は静岡県指定の文化財となっている。
庭のあちらこちらに点在する石組にはそれぞれ意味があるのじゃのう。
庭に向かって眺めていると、スピーカーから庭園の説明が流れてくるのじゃが、その説明が頭に入らぬうちに右の耳から左耳へ直通で通り抜けていく😭
長い月日をかけて幾多の人力で完成させ、ほんの限られたお偉いさまが愛でていたであろうこの庭園―。
その同じ場所に今自分が佇んでいることを思うにつけ何となく感慨深い想いが湧いて来るわい。
こうして暫し往時を偲ぶのも悪くないのう。
世が世なら庶民などまるでお目に掛かれぬお庭じゃろうて。
散り始めたツツジ。
色彩豊かなこの季節の庭園じゃ。
帰り際に庭園に向かい合う書院を覗いてみた。
長押や欄間には井伊家の家紋「丸に橘」が見える。
ご存じ井伊直虎像。
ただし平成27年の作成だというからちょいと新しいがのう。
作成した池谷雅之氏は浜松市出身の有名な仏師らしいわい。
「井伊大老直弼御着座之席」だとサ。
これも庶民ではめったにお目に掛かれぬお座敷じゃわのう。
本堂の全景と遠州流庭園。
短時間じゃったが、本堂と庭園、それに書院をのぞき見してきたわい。
浜名湖の撮影が不調に終わり不満が蓄積していたのじゃが、井伊家の菩提寺の静かな佇まいを拝観したおかげで、何とか気持ちも安らいできたぞえ。
それではぼつぼつ帰途に就くとしようかのう。
と、車に乗り込んだのじゃが……
まだ帰れませんか?
つづく😆
無断転用禁止



























