ちょい旅Ⅱ 家康のふるさと | 87歳の車中泊奮闘記~風景写真に魅せられて~

87歳の車中泊奮闘記~風景写真に魅せられて~

風景写真に魅せられた後期高齢者が、車中泊を繰り返しながら撮影を楽しむ様子です。
                       
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前回のつづき

 

ちょい旅Ⅱ

家康のふるさと

 

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 今回はいつものような風景写真の話ではないのじゃがどうかお許しくだされや。

 

 以前からちょいとだけ”日本昔話‟に興味があってのう。

 

 前回で記したようにせっかく小呂池まで来たのじゃから、そこから比較的近くにあると思われる松平郷へ寄ってみようと思い立ったのじゃ。

 

 松平郷は言わずと知れた徳川家康の始祖・松平家発祥の地じゃよのう。

 

 わしゃ今まで松平郷は何とはなしに広々とした田園地帯を想像していたのじゃが、来てみると標高もかなりあって森林に囲まれた静かな集落じゃったわい。

 

 

 

 松平東照宮。

 

 松平家の屋敷跡に建立されたものだという。

 

 家康と松平家初代当主の親氏も祀られている。

 

 松平家九代の尚栄により関ケ原合戦の後に築かれたものらしい。

 

 

 

 

 

 神社の前の壕には多数の鯉。

 

 

 

 

 

傍を歩くと食べ物欲しさに寄ってくる。

 

毎度のことじゃが今日も持ち合わせがないのじゃよ。勘弁しておくれ。

 

 

 

 

 

東照宮の内部。

 

家紋はもちろん葵の御紋じゃ。

 

 

 

 

 

至る所に葵の御紋。

 

「これが目に入らぬか~」

 

いやいや、嫌でも入ってくるわい。

 

 

 

 

 

 絢爛豪華な絵天井。

 

 

 

 

 

創建当時の天井にしてはきれい過ぎると思ったら、これは2015年になってから描かれた漆絵らしい。

 

昔のままの姿を見たかったのじゃが、ちょいとがっかりしたわい。

 

 

 

 

 

 

松平家の産湯の井戸(うぶゆのいど)だというのじゃが、井戸らしきものが見当たらぬ。

 

建物の中にでもあるのかのう。

 

近づいて確かめてみるか。

 

と思ったのじゃが、手すりのない石段が続いているのじゃよ。

 

ここで階段から落っこちでもしたら即寝たきり老人になってしまうからやめておいたわい。

 

その後、ブロ友さんの指摘もあって調べてみたら、どうやらこの画面の右方にあるらしいことが分かったのじゃ。

 

この祠ばかりに気を取られて、肝心の井戸を見逃すとはのう。

 

年は取りたくないわい。

 

 

伝説によると家康が岡崎城で生まれた時、この井戸の水を竹筒に入れて城まで早馬で運んだというぞえ。

 

 

 

 

 

 見染の井戸。

 

 当時の井戸は水害で消失し、これは同じ場所に復元したものらしい。

 

 旅の僧侶がここで一休みしていると、松平家(当時は在原家)の娘がこの井戸の水をくみ上げ、アヤメの花を一輪添えて僧侶に差し出したという伝説があるようじゃ。

 

 これが縁で僧侶は在原家に婿入りし、親氏と名乗って松平家初代当主となったのだという。

 

 

 

 

 

 初代当主となった親氏の銅像と7対の石柱。

 

 

 

 

 

銅像はこの壕(?)を渡った先にある。

 

 

 

 

 

もっともらしいお顔をしてござるよ。

 

もちろん後世になって作ったものじゃろうけどのう。

 

あとから調べてみたら何とまるで最新の作じゃった。

 

愛知県出身の彫刻家で日展理事長じゃった長江禄弥さんが、平成5年(1993年)に作った銅像じゃという。

 

まあこれから何百年も経った後世の衆から見れば古いものじゃと思うかもしれぬがのう。

 

ワシとすればあまりにも新し過ぎてちょいと拍子抜けじゃ。

 

わしゃ出来ることなら江戸時代以前の匂いを嗅ぎたいと思ってやって来たのじゃがのう。

 

 

 

 

 なだらかな登り坂には室町塀と称する土塀が並んでいる。

 

 

 

 

 

 いかにも由緒あり気な塀じゃが、これとて今までに何度も作り直しているじゃろうのう。

 

 

 

 

高月院。

 

説明は以下にお任せ。

ダウン

 

 

高月院の前にはアヤメ池が。

 

 

 

 

 

このアヤメ池は前述した見染の井戸のエピソードとつながりがあるのかいのう。

 

 

 

 

 

 おそらくこれも後世になってからここにアヤメを植えて、あのエピソードとリンクさせたのかもしれぬ。

 

 

 

 

 

 TVの大河ドラマの後じゃから観光客で大賑わいかと思いきや、ほとんど人影はなく、閑散とした松平郷を独り占めしてきたわい。

 

 ただし当時の遺跡がそのまま残っているものは少のうて、後世になって改修したり復元したもの、さらには東照宮の天井絵や親氏の銅像のように、近年になってから新たに作ったものも多かった。

 

 しかし無理もないわのう。現に自分の住処でも百年も経たずして跡形も無うなってしまうじゃろうから当然と言えば当然じゃ。

 

 とにもかくにも長年、来たい見たいと思っていた松平郷行きの念願が叶い、心置きなく帰途に就くとしようかのう。

 

 と、そのつもりだったのじゃが、そうはいかなかったわい。

 

つづく

 

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