前々回、武市半平太が坂本龍馬に成り済ましたことを書きました。
坂本龍馬という人物は元から存在していたのですが、その人物に武市半平太が善い意味で成り済ましたということでした。
坂本龍馬の肖像画が伝わっていますが、あの人物は大元の本物の坂本龍馬です。
ただし、亀山社中を立上げ、薩長同盟まで繋げた坂本龍馬の中身は、武市半平太だったようです。間違いありません。
しかし、坂本龍馬は、1867年12月10日に殺害されてしまいます。
この時亡くなったのは、元の坂本龍馬でしょうか?
それとも武市半平太なのでしょうか?
実は、どちらでもないのです。
殺害された坂本龍馬は替え玉だったのです。
しかし、坂本龍馬が殺害されたことが都中に広まってしまったために、武市半平太と元の坂本龍馬は、そのまま坂本龍馬が亡くなったことにしたのです。
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問題は、坂本龍馬に成り済ましていた武市半平太は、その後、どうなったのか?
ということになります。
これが今回ご紹介したい内容です。
結論から申し上げます。
坂本龍馬に成り済ましていた武市半平太は、長州藩出身の伊藤博文に成り済ましたのです。
つまり、歴史上の実績で言うと、
武市半平太 ⇒ 坂本龍馬 ⇒ 伊藤博文
という流れで、同一人物である武市半平太が行った所業なのです。
もちろん、坂本龍馬と伊藤博文は本物が存在していたのですが、現代のような情報化社会でない幕末には、すり替わり、成り済まし、替え玉が自由に行えていたようです。
明治天皇がその筆頭ですが、幕末や明治維新の写真や肖像画の顔が違う場合があります。
これらは、現代ではなかなか難しい(実際には国内でも行われているようですが)、すり替わり、成り済まし、替え玉が頻繁に行われていたからです。
尊王攘夷派と幕府派が熾烈な権力争いを行っていた幕末期には、両派の幹部は常に命を狙われていたので、替え玉が必要だったのでしょう。
替え玉の坂本龍馬が亡くなったと知った実質の坂本龍馬を演じていた武市半平太は、坂本龍馬から旧知だった伊藤春輔(いとうしゅんすけ)に成り済まします。
その後、本物の伊藤春輔は亡くなったようです。
話は変わりますが、孝明天王は伊藤春輔に暗殺されたという説がありますが、それは本物の伊藤春輔ではなく、伊藤春輔に成り済ました熊襲の仕業だったようです。もちろん、武市半平太の仕業ではありません。
伊藤春輔は、吉田松陰の松下村塾に学び尊王攘夷運動に参加し、長州藩の有力藩士として幕末まで活躍していました。明治維新後、伊藤春輔は博文と名を変え、政治家として活躍して行きます。
その後は初代内閣総理大臣に上りつめます。
実際には、武市半平太が伊藤春輔になって「博文」と改名したのです。
この時、歴史は大きく変わったのです。真の歴史は謎に満ちているのです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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