人間は地球を舞台に活動しています。太陽系の他の惑星には人間はいません。
しかし、太古の昔には、地球及び他の惑星にも人間に近い姿をした天部の存在がいたようです。
天部とは、梵天、帝釈天、弁財天のような仏教に由来する神のことです。
天部のさらに上に位置していたのが不動明王などの明王です。太陽系の惑星を守護していたのが不動明王だったようです。天部や明王がいた世界が十界の天界(神界)です。
太陽系の他の惑星に宇宙人はいるのかと言われれば、前述したような天の存在を宇宙人と考えるとしたら「いる」と言ってもいいのかもしれません。
現在は、宇宙の法則よって、人間は太陽系以外には出られないようにされているようですが、将来的には科学的にではなく、霊性的に可能になるのかもしれません。科学がどんなに進化しても人間は太陽系の外には出られないようです。
出口王仁三郎が霊界から通信を受けて書き下ろした霊界物語には、地球誕生からの成り立ちが描かれています。その成り立ちは、現代の通説である科学的に推測されているものと似ていて、生物が住めるような地球になるには数十億年かかったと書かれています。
しかしながら、大きく異なるのは創造主なる国常立尊(くにとこたちのみこと)の意思によって地球が生まれた、とされている点です。
我々現代人は「自然」という言葉を良く使いますが、「自然」の裏には全てにおいて「八百万の神」の意思があるようなのです。つまり、八百万の神の動きのことを、我々は自然と呼んでいるのです。
地球の誕生は通説では45億年程前とされていますが、創造主国常立尊が生みだしてから、配下の八百万の神の働きによって、現在のような地球になったようです。
八百万の神は目には見えませんが、その八百万の神を祀っているのが日本特有の神社なのです。日本は世界の雛形なので、日本中にたくさんの神社が存在しているのです。
神社といえば、格付からすると天照大神を祀る伊勢神宮が頂点に立っています。天照大神は太陽を司る神です。
天照大神は三貴士の神であり、兄弟神に月読尊と素戔嗚尊がいます。月読尊は月で、素戔嗚尊が地球を象徴する神とされています。
月読尊を祀る神社は、天照大神と比較すると数少なく影が薄い印象を受けます。
一方の素戔嗚尊を祀る神社は、氷川神社系や八坂神社系を中心に、全国各地にそれなりの数がありますが、荒ぶる神の性格を持ち、神話上で天照大神を困らせるだだっ子のような逸話が伝えられる素戔嗚尊は、天照大神と異なり良いイメージがありません。「地球のトップの神にしてはあまり尊敬出来ない神」と私は感じてしまいます。
三貴士はイザナギ尊、イザナミ尊の子供です。記紀では造化三神が地球の創造主で、その後、イザナギ尊、イザナミ尊が日本の国産みを行ったという書き方になっています。
これに対して霊界物語では、地球を創造したのは国常立尊であり、その後、地球の崩壊があり、イザナギ尊、イザナミ尊が地球にやって来て、修理個成したうえで、国産み、神産みを行い、三貴士を誕生させたとなっています。
つまり、地球は記紀に書かれている国産み以前に存在していたのです。その地球を創造したのが国常立尊であると出口王仁三郎は主張しています。
記紀に国常立尊が触れられていないのは、知られては都合が悪い邪神(熊襲)による改竄なのです、国常立尊を祀る神社は極端に少ないです。明治維新の神仏分離の際、国常立尊を祀る神社の祭神が他の神に変えられたり、消されたりしているからでしょう。
現在、国常立尊を祀る神社で有名なのは、摂社の国祖社として祀る榛名神社と、出雲大神宮の奥宮の二つです。
榛名神社
本殿裏の巨岩が名物
由緒板。摂社国祖社も本殿左側にあるが、当日は工事中で公開していなかった
京都市亀岡市にある出雲大神宮の奥宮。国祖国常立尊を祀る
榛名神社、出雲大神宮とも参拝しましたが、特に榛名神社の神気は私がこれまで巡った3000を超える神社の中でもトップクラスでした。国祖国常立尊を祀っているからだと考えられます。
天照大神を祀る伊勢神宮ばかりが脚光を浴びていますが、正直に言うと伊勢神宮の神気はたいしたことはありません。その理由は天照大神が本来の力を出せない状況にある、結界がかかっている状況にあるからだと私は考えています。
現時点で、最高の神気を出しているのは国祖社に国常立尊を祀る榛名神社だと思います。
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