隠岐については神産みの島であるとご紹介しました。
神国日本の中でも、最も神秘的な場所の一つであるのが隠岐なのです。
隠岐は神産みの島であり、かつ隠れた道であり天界(神界)と繋がっているのですが、天界と両極端の場所である地獄を初めとした黄泉の世界にも繋がっていると考えられます。
隠岐は島根県に属します。島根とは、「(神産みの)島の根っ子」という意味だと私は考えています。
隠岐が属する県名に島根という名称が付けられる程、隠岐は霊的に重要な場所であり、隠岐と大きな幹で繋がっている場所が隠岐の対岸にある島根県の本土でもあるのではないでしょうか。島根県出雲地方に出雲神話が残っている理由は、隠岐と繋がっているからと考えています。
島根県から隠岐に行くにはフェリーが一般的ですが、隣接する鳥取県の最西端の町である境港からもジェットフォイルが運行していて、短時間で隠岐に行けることもあり多くの利用客があるようです。
境港は漁業が盛んな港町ですが、近年では、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげる氏の出身地であることを前面に出し、「ゲゲゲの鬼太郎」で町興し、観光に力を入れている風変りな町です。境港市にある米子空港にいたっては「米子鬼太郎空港」とネーミングしている程です。
ところで、私は水木しげる氏が境港に生まれたのは偶然ではない、と考えています。霊的には境港と隠岐が繋がった重要な場所であることを、水木しげる氏は「ゲゲゲの鬼太郎」を描いて伝えたかったのだと思うのです。今回はこのことをご紹介したいと思います。
「ゲゲゲの鬼太郎」で描かれている妖怪は、当然ながら人間とは異なる存在です。現世では、妖怪を目の当たりにすることは出来ませんが、実際には姿が見えないだけで、妖怪の魂はウヨウヨ存在しているのです。
国内においては、中世くらいにまでは妖怪伝説が各地に残されていますよね。妖怪伝説については、フィクションと考えている現代人が大半だと思われますが、実際にはほとんどが実話であることが多いようなのです。
宇宙は、大きく分けると十界に分かれていて、人間界は十界の真中付近の上から6番目にあり、人間界の下に阿修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界があります。
私見ですが、妖怪とは主として畜生界・餓鬼界の存在であり、その存在が人間界にやって来て悪さをしているのだと考えています。
これら妖怪は、中世くらいまでは人間界(現世)に頻繁に出入りが可能だったようなのです。
しかしながら、邪神が現世との出入口(神社やお寺がある場所であることが多い)に結界を張り出入口を塞いできたために、それまでのように妖怪の姿のままで現れることが出来なくなったのです。河童や人魚伝説も同じような理由で現代では見られなくなったのでしょう。このような状態を、「地球の波動が下がった」と私は定義しています。
現界に物理的に姿を現せられなくなった妖怪たちですが、畜生界や餓鬼界と異なり、欲望が溢れて楽しい人間世界へ、どうしても行きたくなったのです。
そこで、彼らは肉体と魂を分離して、魂のみで現界に入る方法を考え出したのだと思われます。
しかし、人間界に入って来ても魂のみで肉体がありません。肉体がなければ楽しめません。
そこで、人間の肉体を持ちたいがために、人間に憑依するようになったのではないか、と私は考えています。いわゆる浮遊霊とか憑依霊とかと呼ばれる存在は、水木しげる氏が描いた妖怪達の魂ではないのでしょうか。
彼らの魂は、人間になりたいという欲求のために人間に憑依して、人間をおかしくしているのです。
人間も簡単に憑依される訳でありません。通常の精神であれば妖怪の魂がやって来ても心までは簡単に奪われません。
しかし、何等かの精神的なショックを受けたり、重い病気になって気弱になったり、認知症になったりして波動が下がった場合に、憑依する妖怪の魂によって心を奪われるのだと思います。
憑依する妖怪の魂は、楽しむために人間に入り込んでいるので、憑依したとしてもそれ程悪いことはしないはずです。
ただし、特に近年頻発しているような、とても人間と思えないような凶悪な無差別殺人事件や通り魔事件が起きたりするのは、邪神に操られた(契約した)妖怪の魂が、仕方なく命令を受けて憑依しやすい精神的に病んでいる人間に憑依して事件を起こしていると考えています。
このような妖怪が本来いるべき世界と繋がった場所が、水木しげる氏が生まれた境港と関係していると私は考えています。
境港の「境」とは、人間界と、畜生界及び餓鬼界との境という意味ではないでしょうか。境港の場所から畜生界及び餓鬼界に繋がった霊的な道があるのではないでしょうか。
また、境港は島根と隣接した場所です。隠岐ともおそらく霊的に繋がっていて天界(神界)との境でもあるはずです。
つまり、境港は十界の各地と繋がった国内でも数少ない場所ではないかと考えられるのです。
今年のゴールデンウィークに隠岐に行った際、西ノ島からフェリーで島後に行く途中、船内に水木しげる氏と隠岐の繋がりについて紹介したポスターがありました。次の画像です。
水木しげる氏は、境港の出身ですが、本名は「武良 茂(むら しげる)」で、武良氏のルーツは、島後(隠岐の島町)の北東にあった武良地区であることが書かれていました。
そこで翌日、その隠岐の島町の武良地区に行ってみました。
現在では、武良という地名は残されておらず、隠岐の島町中村地区となっていました。そこにある北小学校の校庭に水木しげる氏の銅像がありました。
銅像の前には、樹齢500年以上と伝わる大きな一本があり、その松には「唐笠の松」と名が付けられていました。
唐笠の松からは、「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する人気キャラクターである唐笠お化けを連想させられますが、唐笠には『天笠』の意味があると私は考えています。
水木しげる氏がゲゲゲの鬼太郎を描いた背景には、妖怪の本質と、宇宙の仕組みを、人間的に漫画化して伝えたかったからだと私は考えています。
さらに、その妖怪の世界に繋がった場所が境港であり、神の世界に繋がった場所が隠岐であると。
もっと言えば、出雲に幽界を統治するように国譲りさせられた大国主神話が残っているのはこのためだと考えています。とにかく日本は奥が深い国なのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。