今年のゴールデンウィークに隠岐を初めて訪問しました。
隠岐は島根県に属する隠岐諸島のことで、大きくは、主とした3つの島から構成される島前(どうぜん)と、隠岐諸島最大の島で、人口も最も多い隠岐の島町に属する島後(どうご)で構成されています。
隠岐は闘牛で有名ですが、それ以外ではあまりなじみがない島というのが私の印象でした。
ところが、実際に隠岐に渡ってみると、特別な島に感じました。
その理由は、島にある神社の多さです。それも、あまり聞きなれない隠岐国一宮である水若酢神社や、隠岐国総社の玉若酢命神社、後鳥羽天皇を祀る隠岐神社のように隠岐独特の神社があるかと思えば、一方で一般的に国内にたくさん散在している春日神社、八幡神社、住吉神社、熊野神社、稲荷神社、日吉神社、大山祇神社など、ほぼ全ての種類の神社があることに驚かされました。
古代(平安時代)から各式が高い神社の指標とされる式内社(延喜式神明帳に記載された神社)が、15社もあったのです。
以下の地図の赤い文字が主要な神社です。神社が好きな人にはたまらない場所でしょう。
島前
島後
私は、これまでの7年間で全国の寺社仏閣を4000カ所程巡ってきましたが、一つの地域、島に、これほどまでに各式が高くかつたくさんの種類の神社がある場所は、隠岐が随一でした。
何故、隠岐諸島にはこれほど沢山の神社が存在するのでしょうか?
この謎は、隠岐を巡り終わった後に分かりました。
まず、「隠岐」の文字に着目してください。
通常は、「隠岐」を「おき」とは読めませんよね。伝えられているところによれば、奈良時代は隠伎(おき)と呼ばれていたようで、その後、「隠岐」に統一されたようです。
何故「おき」と呼ばれるようになったのかは、いずれご紹介することにして、今回は漢字の「隠岐」に着目します。
「隠岐」は「隠れた分かれ道」という意味に捉えられます。
「岐」には、「わかれ道」という意味があります。
「岐阜」の「阜」は、「おか」や「台地」、「小高い山」などの意味です。従いまして「岐阜」は、台地の分れた場所という意味で、岐阜が日本アルプスを中心とした東日本と、なだらかな西日本の山地の分かれ道、中間にある場所、という意味ではないかと個人的には考えています。
「隠岐」の意味が「隠れたわかれ道」であるのならば、このことは何を意味しているのでしょうか?
ここからは私の見解です。
「隠れた」とは、人間の目では見えないという意味に考えられます。人間の目に見えないわかれ道ということは、真っ先に浮かぶのは三途の川のようなあの世に繋がった道ではないでしょうか。
隠岐は、諸島全体があの世と隠された道で繋がっている場所という意味があるのではないでしょうか。
隠岐独特の神社を初めとして、日本全国にあるほとんど全ての種類の神社がある場所です。
これらの事実から「隠れた分かれ道」である隠岐は、単に見えない世界との道がある場所だけではなく、私は記紀に描かれている神産みの島ではないかと考えました。
天と地がはっきり分かれていなかった遠い昔、宇宙が創造され、地球も造られます。その後、イザナギ、イザナギがやて来て、国産みが行われます。
国産みの後は、地球の自然を司る八百万の神々が誕生します。これが神産みです。
神産みの場所は特に書かれていませんが、天から神々がやって来て地球に誕生する際のルート、道は最初は一本道だったのではないかと考えられないでしょうか?
その天から繋がった道が隠岐だったのではないかと。
隠岐に誕生した八百万の神々が日本各地、世界各地に飛び散って、現在のような地球の自然、生態系を創っていおったのではないでしょうか。
隠岐に独特の神社がある一方で、国内に点在するほぼ全種類の神社があることが、神産みの島を物語っているではないでしょうか。隠岐諸島を巡って、私はそのよう感じた次第です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。