富士山は天竺の中心 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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富士山は、日本の最高峰であるだけでなく、世界的に最も美しい山の一つとして有名です。

 

その山容の美しさから、二つとない山ということで、不二山と呼ばれてきたとも言われていますが、霊的にも最高級に重要な山のようです。富士山は、立山、白山(もしくは御嶽山)と合わせて日本三霊山とも呼ばれていて、他の霊山よりも特別なのです。

 

何が特別なのか、その詳細はまだはっきり分かっていませんが、神国日本の火の浄化ラインの中心であることは間違いありません。

<富士の火ライン>

 

また、出口王仁三郎によれば、太古の昔(30万年以上前)には、神々の間で天教山と呼ばれ、高さ18000mもある世界最高峰の山だったとされています。

 

その後の地球の大変動(地球が膨張)によって、頂上部分を残して地下に沈んだのが、現在の富士山だそうです。これは、時期的なことを別にすると間違っていないと、私は考えています。

 

このような世界最高の霊峰と言って良い富士山を守護しているのは、山梨県・静岡県を中心に関東地方にもたくさん点在する浅間神社で、その総社は、富士宮市に鎮座する富士山本宮浅間大社とされています。

 

そもそも、守護する神社の名称が、富士(不二)神社ではなく、何故浅間神社という名称なのか、私にとっては深い謎ですが、このことはいずれ分かると思っています。

 

また、祭神は浅間大神であり、浅間大神は木花咲耶姫命のことであるとされていますが、これは改竄されていると思われます。恐らく別の神でしょう。浅間の意味とともにいずれ分かるはずです。

 

浅間神社の総社である富士山本宮浅間神社ですが、これはレプリカのようなもので、実際に浅間神社の中心となる神社は他にある可能性が高いです。富士山本宮浅間神社に参拝しても神気は小さいですから。

 

以前の記事でご紹介した、北口本宮冨士浅間神社を初めとした富士山の東西南北を守護する浅間神社や、甲斐国一宮とされる笛吹市の浅間神社、河口湖町にある河口浅間神社等、富士山周辺には規模が大きい浅間神社がたくさんあります。このような神社は神気が強く感じられますから、本物の神社です。

 

そのような浅間神社の中で、私が目に留まったのは、小さな山奥にある神社でした。

<ヤフー地図:冨士御室浅間神社>

 

地図では小室浅間神社となっていますが、正式には富士御室浅間神社という、富士山の二合目にある神社です。

 

先程の地図を拡大していただくと、この神社の境内地が富士河口湖町の飛地になっていることが分かるはずです。本来、この場所は、富士吉田市に所属する地域ですが、富士御室浅間神社の境内地だけは、富士河口湖町勝山という住所になっているのです。

 

その理由を調べてみました。

 

富士御室浅間神社は、699年に当地に創建されたと伝えられており、その後、958年に参拝しやすいように河口湖半に里宮が創建されたようです。里宮は現在では規模が大きくなり、1973年には富士山二合目の本宮自体も里宮に移築されたため、富士山二合目も場所が里宮の住所の飛地とされているようです。

<WIKI:冨士御室浅間神社>

 

現在では二合目の社殿は、富士御室浅間神社の奥宮扱いにされていて、里宮の住所である富士河口湖町の住所と同じになり飛地となっているようです。(ただし、ウィキペディアでは二合目の奥宮が本宮扱いになっています)

 

私は、この二合目の飛地が気になったので、7月に行って来ました。

 

二合目といっても標高は1700mを超えます。途中までは車で行けますが、そこから奥宮までは2kmほど林道を歩く必要がありました。

 

林道を歩いて行くと富士吉田川の富士山登山道にぶつかります。林道には人影は全くありませんでしたが、登山道は富士山登山客で結構な数の人と出会いました。

 

登山道を少し下ると、登山道横に廃墟になった建物が見えてきました。

 

道路脇には富士山二合目の標識がありました。

富士山二合目飛地①

 

建物の周りはロープで囲まれ、立入禁止にされていました。

富士山二合目飛地②

 

ここが、元々の冨士山御室浅間神社の本宮跡のようです。おそらく1973年に河口湖半へ移築された後、50年以上、放っておかれたために自然に壊れたのではないかと想像しました。

 

神社跡の扱いにしては、酷い状況です。このように神社や神社跡が荒れているのは、神社関係者に熊襲が入り込んでいる証拠です。きちんとした神社関係者なら、神社はその名のとおり神の社ですから、きちんと管理します。

 

壊れた建物の前には、小さな石造りの祠がありました。

富士山二合目飛地③

 

これが今でも奥宮として祀られている冨士御室浅間神社でした。ここはそれなりの神気が残っていました。

 

周辺を散策していたら、巨石がたくさんあることに気づきました。

富士山二合目飛地④

 

富士山は火山ですから巨石があってもなんら不思議ではないのですが、人工的に切り取られたような形の巨石が見られたのです。

 

直方体の巨石の上には巨木が生えています。この直方体は人工的でした。

富士山二合目飛地⑤

 

どうも、この富士御室浅間神社の周辺には、巨石を積み上げた信仰場所があったようで、かつての修験の場としても使われていたようなのです。

 

つまり、この富士山二合目の飛地が、神代から天竺の一つとして進行の場所になっていたような痕跡があったのです。

 

林道沿いにも至る所に人工的な巨石が散らばっていました。

 

そう、富士山も当然天竺なのです。天竺の中でも、中心的な場所だったはずです。

 

熊襲は、それを隠すために、二合目の冨士御室浅間神社本宮を、わざわざ里宮に移築したのです。

 

そして、本来の本宮の波動を下げるため、きちんと整備すべき本宮跡の建物も放っておいて、守護神をないがしろにしていたのです。これが熊襲の常套手段です。

 

このことに気づけば、神も戻ってきます。そして、この本宮跡も整備されていくでしょう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。